久米郁男他『政治学』(14)
今回は、第6章 市民社会と国民国家 第3節 ナショナリズムとコスモポリタニズム のうち、ナショナリズムをとりあげようと思ったのだが、どうも気分が乗らないのでやめにする。話題としては、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』*1や「ユーゴスラビア紛争」*2等々があり興味深いのだが…。これは「いずれ」ということにして、今回は軽く…。
以下の図は、http://www.all-nationz.com/archives/1005045150.html に載っていた世界地図を、180度回転したものである。
これを見れば、「国家」なるものは、相対化しなければならない、という気になってこないだろうか。
「ニッポン、ニッポン」などと、誰が、どこで、何のために叫んでいるのであろうか?
本庶佑がノーベル賞を受賞したら、それは「日本(人)の誇り」なのだろうか? 誰が、誰に対して、何を誇っているのだろうか?
Googleマップで、「世界の中心」と入力すると、神戸市のある地点を指した地図が出てくる。これはどこかと興味があったので調べていたら、「スナック 世界の中心」を指したものであった。
https://toyokeizai.net/articles/-/219125
「世界の中心」(日本)で何を歌うのか知らないが、恐らくは「君が代」を歌うのであろう。
*1:『想像の共同体』(1983)…アンダーソンは、ナショナリズムの歴史的な起源について考察するために国民国家が成立する以前の段階に着眼し、宗教的共同体と王国が社会の組織化のために果たした役割を指摘する。国民とは、これらのシステムが衰退するにつれて登場した新しい共同体であり、これを推進したのは資本主義経済の成立、印刷を通じた情報技術の発展であるとアンダーソンは論じている。…アンダーソンは、ネイションとナショナリズムが近代性の産物であり、政治的および経済的目的のための手段として創られたとみなす点で、アーネスト・ゲルナーやエリック・ホブズボームとともにナショナリズムの歴史主義あるいは近代主義学派に位置づけられる。この学派は、ネイションが人類史の初期から存在していると信じる原初主義者と対立関係にある。(Wikipedia)
*2:ユーゴスラビア紛争(1991-1999/2001)…多民族国家のユーゴスラビアは、第二次世界大戦ではドイツ、イタリアに支配されていたが、戦後にパルチザン勢力を率いる指導者のヨシップ・ブロズ・チトーによって独立を達成する。この国家は、後に『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と言われる程の多様性を内包していた(Wikipedia)。本書の発行は2003年であるが、ユーゴスラビア紛争に対する言及はない。ナショナリズムについて考えようとするなら、ユーゴスラビア紛争をとりあげないわけにはいかないのではなかろうか。