浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

主権国家と国民国家 クラズナーの主権概念

久米郁男他『政治学』(17)

今回は、第7章 国内社会と国際関係 第2節 国民国家システムの形成と拡大 の続きである。

前回、「主権国家システムの形成」について説明があったが、復習しておこう。

  • ウェストファリア条約(1648年)を契機として、諸国家は中世的な宗教的・普遍的階層秩序から離脱し、主権と領土と国民を備えた国家、即ち主権国家の並立という認識を共有するようになった。
  • ウェストファリア条約によって、各国王はその領地における排他的な権利とともに、その領地内の宗教を決定する権限を持つことが認められ、対外的に国家は主権の平等が認められた。
  • 主権国家は、国境によって他と区分された土地、すなわち領土を備え、自国の領土内における統治については何ら制約を受けない排他的な統治権(対内的主権)を持ち、また国際関係においては、自国より上位の主体の存在を認めず、各国の平等が認められた(対外的主権)。

 

古城(本章担当)は、「主権国家国民国家とはどのように異なるのだろうか。また国民国家とはどのような国家を指すのだろうか」と問うて、説明している。

「近代国家」は、①領土、②主権、③国民を備えた国家であるとされるが、では「国民」とは何か。

近代主権国家の形成は、国境で区切られた領土の支配権の確立によって成し遂げられたため、その支配圏には、通常、多様な人々の集団を抱えていた。従って、近代国家は領土国家を前提にして、その内実である人的集団を国民として形成しなければならなかった

この最後の文、「近代国家は~国民として形成しなければならなかった」の主語、「近代国家」とは誰のことか。人的集団を国民として形成しなければならなかった主体は誰か。領邦国家の国王? この意味での国民とは、領土内の統治の対象とされた人々を指すのではないか。

国民国家の形成の契機となったのは、17,18世紀に起こったイギリス革命、フランス革命アメリカ独立革命などの市民革命であった。市民革命によって主権が国王から市民に帰属することにより、市民革命を経た諸国はナショナル・アイデンティティの共有という内実を備えた国民国家の体裁をとることとなったのである。

これもどういう意味かよく分からない。「主権が国王から市民に帰属することにより~国民国家の体裁をとることとなった」というが、主権が国王から市民に帰属することがなければ、国民国家とは言えないということだろうか? それはまた民主主義国家とどう違うのか?

「ナショナル・アイデンティティ」もどういう意味かよく分からないので、次回以降にとり上げたい。

これに対し、市民革命を経験していない主権国家は、むしろ国内におけるナショナリズムの台頭が国家を分裂させることを恐れ、何とかして国民国家の体裁を整えようとした。特に、ロシア帝国オーストリア=ハンガリー帝国などの帝国は、帝国内に多様な民族集団を含んでいたため、国民という内実を意図的に形成することによってナショナリズムの台頭を抑えようとした。このような国々では、主権を国民に与えることなく、共通の言語=公用語の制定という言語政策等によって国民意識の醸成をはかるなど公定ナショナリズム」と呼ばれる政策がとられたのである。

「市民革命を経験していない主権国家」とは、主権が国王にある国家である。ここで「国民国家の体裁を整える」とは、国王がナショナリズムの台頭をおさえ、領土内の人々を統治の対象とするということであり、その手段として「公用語の制定という言語政策等」を用いたということであろう。ナショナリズムについては、次回以降にとり上げたい。

この状況は、多くの帝国の消滅をもたらした第一次大戦によって大きく変化した。第一次大戦後は、ロシア革命の立役者のレーニンアメリカ大統領のウィルソンの主張の影響によって「民族自決」が国際的な規範となった。この原則に従い、ポーランドユーゴスラビアチェコスロヴァキアハンガリーフィンランドなどの東欧を中心とした国々が主権国家として独立を果たした。しかし第一次大戦後、民族自決の原則はヨーロッパを中心とする地域に限定的に認められたに過ぎなかった。即ち、アジア、アフリカ等の多くの植民地にはこの原則は認められなかった。第二次大戦後には、国際連合憲章にも見られるように民族自決の原則はあらためて確認され、多くの植民地で独立を求める植民地ナショナリズムの動きが台頭した。1960年には国連総会で「植民地独立付与宣言」が採択され、植民地独立が後押しされた。1960年代以降、反植民地運動の結果、アジア、アフリカを中心に多くの国々が、国民国家として独立を果たした。

以上のように、主権国家は、国民という人的な内実を徐々に整えていき、主権の帰属を国民とした国家の体裁をとるようになった主権国家システムは20世紀になると、名実ともに国民国家システムと呼ばれるようになったのである。

第一次大戦後東欧を中心とした国々が主権国家として独立を果たし、1960年代以降、反植民地運動の結果、アジア、アフリカを中心に多くの国々が、国民国家として独立を果たした、という。ここで主権国家国民国家とはどう違うのだろうか。…最初の問いは、「主権国家国民国家とはどのように異なるのだろうか。また国民国家とはどのような国家を指すのだろうか」であった。この問いに対して、明快な説明がなされているようには思えない。読解力不足?

市民革命によって主権が国王から市民に帰属することになったというのであれば、国王主権国家領邦国家)から市民主権国家に移行したというべきではないのか。そしてそのような市民主権国家国民国家と呼ぶのであろうか。では、ナショナリズム(民族)に依拠する国民国家の場合、主権はどこにあるのか。

 

主権概念の再検討(コラム7-1)

モノ、カネ、ヒト、情報の国境を超えた流れの増大により、主権国家の存在を認めることが中核的価値であったウェストファリア体制が崩れつつあるという見方が提示されるようになったという。

クラズナー*1(Krasner,1999)は、主権を、

  1. 国内における主権(国内における政府の絶対的統治権)、
  2. 相互依存における主権(国境を越える交流を管理する能力)、
  3. 国際法における主権(国家の平等、外交権限など国際法上対外的に認められた権利)、
  4. ウェストファリア的主権(国家が国内で有する権限を外から侵害されない権利)

の4つに分けて概念化し、特に国際法における主権とウェストファリア的主権がどのように変容してきたのかを明らかにした。

クラズナーによると、国際法における主権は、国家が承認を与えないという行為や国家以外の主体を承認する行為(国際連合に植民地であったフィリピンやインドの加盟を認めた)によって古くから侵害されてきていたし、ウェストファリア的主権も、介入や他の国際機関への統治の移譲などによって、以前から侵害を受けてきた。つまり国際法における主権やウェストファリア的主権が絶対的に存在し、現代国際システムになって侵害され始めたという理解は修正を要するというのである。国家は、自分の利益に合致している限り、主権の存在を認め遵守するが、自己の利益に合致しない場合は、主権といえども侵害する場合がある。国際関係ではそれが繰り返されてきており、現代国際システムでも同様なことが見られるだけであるという。

このようなクラズナーの主権の検討は、主権の分類を始めとして主権についての論争を引き起こした。17世紀のウェストファリア条約以降、主権国家システムが誕生したという説明では、それ以降あたかも主権が普遍的に遵守されてきたかのように捉えられてきたが、クラズナーの議論は、ウェストファリア条約以降、国際政治において主権概念がどのように認識され、その認識がどのような新たな主権概念を国際的に形成してきたのか、という点についての体系的な考察を促す契機となった。

主権の4分類は興味深い。しかし、「侵害」という用語には、「国際法における主権」や「ウェストファリア的主権」は、絶対に守られなければならないというニュアンスがある。クラズナーがどういう意味で使ったのか分からないが、「国際法における主権」や「ウェストファリア的主権」が絶対に正しいというものではなく、グローバル・コミュニティの観点から問い直されなければならないだろう。

 

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アマンダ・ヘン S/he 1995 シンガポール美術館蔵

http://awakenings.bijutsutecho.com/3/

この画像の意味については、上記URLの記事(展覧会の概要を見る 03「国境を越えない」 視点をかき乱す緩やかな往来 ──小説家・温又柔に聞く)を参照ください。

一部引用します。

この展覧会では、国家という圧倒的な権力に対する抵抗としての美術というコンセプトのもと、作品同士のエネルギーが国境を溶かす可能性を提示しつつ、それぞれの地域および時代固有の闘いを見せようという慎重さが共存していて、緊張感のあるつくりだと思いました。参照点の多いことが、命綱になっている展示だと感じます。(温又柔)

*1:ティーヴン・クラズナー(1942-)…アメリカの政治学者。