浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

財政は、社会・政治・経済との関連でマクロに考察しなければならない。

神野直彦『財政学』(4)

今回は、第3章 財政学の生成、第4章 財政学の展開 である。財政学説史なので、逐一コメントのスタイルではなく、ポイントと思われる部分の引用にとどめる。

ドイツ正統派財政学とか財政社会学は、あまり馴染みがない分だけ面白く読めた。

財政学は、経済学の一分野であるのみならず、政治学社会学の一分野でもある。

 

<第3章>

財政学の起源

  • 財政学には二つの起源がある。官房学と古典派経済学である。
  • 官房学とは、神聖ローマ帝国領域内の領邦国家*1の「領主の家計」の経営(殖産興業、富国強兵のための国家経営学)である。*2

Le radeau de la richesse perdue (The raft of wealth lost) *3 /Ludovic Baron

f:id:shoyo3:20190511083118j:plain

https://blog.fotolia.com/us/2016/02/12/ludovic-baron-the-meeting-of-classical-art-with-modernity/

 

古典派経済学

  1. 必要悪のドグマ…政府は必要悪であり、財政の規模は小さいほど良い(「安価な政府」論)。スミスは、政府の機能を、①国防、②司法、③公共事業、④君主の尊厳の維持の4つに限定する。
  2. 中立性のドグマ…安価な政府の財源を賄う租税は、中立でなければならない。市場経済の動きを歪めないこと。課税前の所得分布状態を、課税後にも保障すること。4つの課税原則:①公平の原則(所得比例課税)、②明確の原則、③便宜の原則、④徴税費最小の原則。
  3. 均衡財政のドグマ…財政収支を均衡させるべきである。公債の起債は、安価な政府や中立性の要請に背反する(公債排撃論)。
  • 古典派経済学の信仰…古典派経済学が神として崇め、信仰の対象としたのは、市場経済という自然的秩序を支配する神の力である。神の「見えざる手」に支配される自然的秩序としての市場経済
  • 古典派経済学は、財政現象そのものを総体として分析するのではなく、財政が経済システムに与える影響を個別的に分析の対象とした。
  • 古典派経済学が市場経済を自然的秩序として信仰できた背景には、皮肉なことに市場経済の領域が限定されていたという現実が存在する。当時の人間の生活は、市場的人間関係で補完された共同体的人間関係によって支えられていた。家族、コミュニティ、教会などのインフォーマル・セクターやボランタリー・セクターという社会システムの活発な機能が前提とされていた。

ドイツ正統派財政学

  • 政経費は生産的である。「生産的労働は自然的暴力と、人為的暴力から保護されなければ、遂行されることがない。したがって、災害など自然的暴力から生産的労働を保護する社会資本ばかりではなく、人為的暴力から生産的労働を保護する防衛や治安維持、さらには労働者保護に支出される政府の経費は生産的である」(ディーツェル、1855)。古典派経済学の3つのドグマは否定される。
  • ドイツ財政学は、資本的経費について公債の起債を認める建設公債原則を提唱している。
  • 租税政策に所得分配の不平等の是正という社会政策的役割を認める。市場経済による所得分配に、租税が中立的ではなく、介入することを主張した。
  • 社会は市場経済的人間関係だけによって組織されているわけではない
  • 「経済社会」は、「市場経済」と「共同経済」という二つの「経済組織」で構成されている。(シェフレ)
  • ワグナー[1835-1917]は、シェフレの財政学を発展させ、経済、政治、社会という諸要因との相互関連性と相互制約性を強調しつつ、包括的な財政学体系を完成させた。
  • ワグナーは、「国民経済社会」には3つの経済組織が存在すると主張する。①個人主義的経済組織(市場経済)、②共同経済組織(自由共同経済と強制共同経済*4)、③慈善的経済組織。
  • ワグナーの財政学は、1870年代から第1次大戦に至る半世紀にわたって、世界的に支配的学説として君臨した。

 

<第4章>

混迷する財政学

  • 第1次大戦を契機にドイツ正統派財政学の権威は失墜し、混迷の時代に入った。それは現在まで続いている。
  • ドイツ正統派財政学を支配的財政学説の地位から引きずり下ろしたのは、財政現象そのものの変化だった。
  • 第1次大戦は人類史上、未体験の「総力戦*5」となった。総力戦は、国民経済および国民社会の総動員を要求する。膨大な戦費調達をどのように租税で賄うのか。そもそも租税で賄うべきなのか、公債で賄うべきなのか。悪性インフレへの対応。…このように際限なく生起してくる財政問題を前に、ドイツ正統派財政学が立ちすくんでいたのに対して、二つの方向から批判が生まれてくる。一つは、財政学を経済学に接近させようとする試み(新経済学派の財政学)であり、もう一つは、財政学を社会学に接近させようという試み(財政社会学)である。

新経済学派の財政学

  • 新経済学派は、全体としての経済組織は、公共経済と市場経済という異質な組織原理に基づく、二つの経済組織によって構成されているという二元的経済組織論を主張する。
  • 公共経済(財政)は、市場経済とは異質な「ゲマインシャフト」という共同的結合にもとづく経済である。
  • 新経済学派の財政学が、二元的経済組織論に立脚したのは、第1次大戦を契機に飛躍的に巨大化した財政が、市場経済に与えるインパクトを分析したかったからにほかならない。

財政社会学の提唱

  • 財政社会学は、第1次大戦による財政破綻から誕生する。財政を「国家」との関連で分析しなければならない。
  • 財政学が財政と国家との関連を分析できないのは、国家と社会と経済との間に相関関係を認めようとしないからである。財政学を社会学によって基礎づけなければならない。(ゴルトシャイト)
  • 社会現象である財政を、社会・政治・経済との関連でマクロに考察しなければならない。
  • ドイツ正統派財政学のマクロ分析の伝統を批判的に継承しようとした財政社会学も、第2次大戦後には急速に影響力を喪失していくことになる。

ケインズ革命インパク

  • イギリスにおいて、財政の経済的効果を分析しようとする問題関心は、1929年の世界恐慌を契機に著しく高まる。その結果、深刻な不況から脱出する手段として、財政政策の活用が意図されるようになる。
  • ケインズ有効需要理論によれば、深刻な不況は、消費と投資から構成される有効需要が、完全雇用を達成する水準よりも、大幅に不足しているために生じている。こうした有効需要の不足、つまりデフレ・ギャップを補い、完全雇用均衡を達成するには、政府が公債財源によって、公共投資を積極的に推進する必要がある。
  • ケインズは、国民経済の均衡を回復するためのバランシング・ファクターとして、財政を位置づけようとした。
  • 財政を景気政策の手段として活用しようとする財政政策は、一般にフィスカル・ポリシー(fiscal policy)[裁量的財政政策]と呼ばれる。ケインズの影響を受け、フィスカル・ポリシーに焦点を絞った財政学が、財政学のメイン・ストリームを形成するようになった。
  • 第2次大戦後になると、長期停滞からの脱出という経済政策上の課題よりも、戦時経済の戦後処理に伴うインフレーションの抑制や経済成長の促進へと、経済政策上の関心がシフトしていく。完全雇用の達成、インフレーションの抑制、それに経済成長など相互に対立しかねない政策課題を、裁量的に調整することは事実上、困難となる。そうなると裁量的財政政策よりも、財政制度それ自体に調整機能を組み込むルールによる調整に、政策的関心が高まっていく。
  • 累進所得税法人税を基幹税とする租税制度を確立しておけば、経済変動によって激しく税収が変動する。不況になれば、自動的に減税となり、景気回復に寄与する。好況になれば、自動的に増税となり、景気の過熱を抑える。こうした財政制度の自動安定装置(built-in stabilizer)に注目が集まる。

*1:領邦国家については、2019/02/07「主権国家システムの形成」参照。

*2:現代国家でも、殖産興業(生産をふやし、産業を盛んにすること→経済成長)、富国強兵(国を豊かにし、軍事力を強化すること)が、主たる目標になっているようにも見える。

*3:(参考)メデューズ号の筏:1816年6月、フランスのフリゲート艦メデューズ号は、ロシュフォールを出港、セネガルのサンルイに向かった。…デューズ号の使命は、パリ条約に従い英国からセネガル返還を受けることである。…メデューズ号は7月2日、西アフリカ海岸の砂洲、今日のモーリタニア付近で座礁した。…批評家のジョナサン・マイルズによれば、筏は「生存者を極限体験へと追い詰める。狂気、乾燥、飢餓。人々は反逆者を虐殺し、死んだ者を食べ、弱者を殺害する」という。(Wikipedia

*4:自由共同経済:組合や慈善団体のような「自由意思的結合」にもとづく共同経済。強制共同経済:国家や地方自治体のような「強制的結合」にもとづく共同経済。

*5:国家の総力を結集した戦争。現代の戦争にあっては単に軍隊が戦うだけでなく,交戦国は互いにその経済,文化,思想,宣伝などあらゆる部門を戦争目的のために再編し,国民生活を統制して国家の総力を戦争目的に集中し,国民全体が戦闘員化するにいたる。このような状況から総力戦という言葉が生れた。第1,2次世界大戦がその典型的事例である。総力戦は長期持久の消耗戦となり,国民総動員の名のもとに老人婦女子まで生産,輸送などに動員される一方,戦闘員,非戦闘員の区別なく攻撃する戦略爆撃による生産,交通の破壊が重要な手段として用いられるようになり,戦争の惨禍も極度に増大するようになった。(ブリタニカ国際大百科事典)