浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

なぜ社会保障はうまくいかないのか?

香取照幸『教養としての社会保障』(1*1

本を読むのに色々な読み方がある。私は、本書を「なぜ社会保障はうまくいかないのか?」という問題意識を持って、読み進めたいと思う(社会保障はうまくいっていないと感じているので)。なお、私は「社会保障」の問題とは、「私たちが共に生きる社会のありかたそのものが問われている問題」であると思っている。

今回は、第1章 系譜、理念、制度の体系(ギルドの互助制度を手本としたビスマルク)である。*2

 

1.社会保障の系譜

為政者が困窮する民を救うという行為は、古今東西、太古の昔から行われてきた。
社会保障の中心的な仕組みである社会保険制度は、19世紀ドイツの政治家ビスマルクがつくったのが始まりである。
社会保険の原型はギルドの互助制度。弟子たちがマイスター(師匠)の老後の面倒を見るということを順々に繰り返してきた制度である。
国家が担う制度としての社会保障は、産業革命を契機に生まれた。
産業革命後の社会では、農村から労働者として都市に移動してきた人々が過酷な労働と貧困に苦しみ、格差の拡大・富の集中、治安の悪化、衛生水準の低下など様々な社会問題が噴出した。それを解決していくシステムとして登場したのが、社会保障制度である。
社会保障が国家の機能として普遍的に位置づけられていくのは、第2次大戦後である。イギリスでは、『ベバリッジ報告』で福祉国家の理念が語られ、「揺りかごから墓場まで」のスローガンのもと、福祉国家への道を歩み始めた。

今日、「為政者」は、(心身の)困窮者(心身障害者のみを意味しない)を救っていると言えるだろうか。

産業革命後の「格差の拡大・富の集中」が、今でも進行中なのではないか。

 

2.福祉国家の理念

<民生の安定>(人々の生活の安定)  

近現代国家の社会保障の機能は、「民生の安定」である。民生の安定とは、国民の生活・生計の安定を守る、人々が生活に困ることなく安んじて生活できるようにする、ということである。

民生という言葉はあまり馴染みが無い(民生委員という言葉はあるが)。社会保障の機能としては、「人々の生活の安定」と言った方が良いだろう。

初期の資本主義、いわば剥き出しの資本主義の下で、資本家は労働者を生産手段としか考えておらず、翌日働くために最低限必要な休息以外はすべて労働に使うのが当たり前と考えていました。家に帰ってご飯を食べて寝る以外すべて労働時間という時代だった。

長時間労働、ノルマ、裁量労働、持ち帰り残業、過労死、個人事業主の労働時間。

労働者を使い捨てにするようでは、労働力はすぐに枯渇してしまい、社会は持続できない。…最初はイギリスで工場法ができ、まず年少労働に関する労働時間の規制が始まった。

労働時間規制、年次有給休暇の取得の義務化。

A.スミスは『道徳感情論』で、近代社会を成り立たしめている要素として「個人の利己心(に基く競争)」とともに「共感」を挙げている。社会は競争だけでは成り立たない。共感が「他者の目」を個人の中に内面化させ、そこに「常識-良心」が形成され、内なる道徳-自己規制としてのフェアプレイ=公正という行動規範が生まれるのだ、と述べている。
自由競争・市場競争にもルールが必要で、神の見えざる手が機能するためには、資本主義そのもののロジックからは生まれてこない、社会の構成員=競争に参加する者を律する行為規範が必要である。
近代資本主義と民主主義という枠組みの中で、社会の安定がなければ、資本主義も成長していかない、持続できない、という考えから、第2次世界大戦後に福祉国家の理念の下に生まれたのが現代の社会保障である。

 資本主義の成長、持続のために、社会保障の諸制度があるとは思えない。「人々の生活の安定」のために、社会保障の諸制度がある。

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https://medium.com/swlh/your-life-purpose-is-staring-you-in-the-face-4-ways-to-recognize-it-5922b16cfb20

 

<社会の発展>

社会保障のもう一つの機能は、社会の分裂を防ぎ、それを通じて社会の発展を支える機能である。

持つ者と持たざる者…富が一方に集中することで社会に亀裂が生じ、分裂が生まれる。社会の安定を図るためには、社会の分断を回避し、統合していくことが求められる。

民主主義の理念からすれば、構成員の生命・生存と財産、基本的人権を守るということが無ければ、統治の正統性もない。そこで国家の機能として、富の集中を是正し、所得の再分配を行って格差をなくし、社会の分裂を防ぐ。人々の生きる権利を保障し、統治の正統性を支える。

財産や能力を「持つ者と持たざる者」、この格差が社会を分断する。「人々の生活の安定」のためには、このような格差は是正されねばならない。どのようにして?

「統治」とは、主権者(=国民)が、その国土・人民(=国民)を支配し、治めること(デジタル大辞泉)である。「統治機構」として、国会(立法)、内閣(行政)、裁判所(司法)がある。統治の正統性と格差の是正は直接結びつくものだとは思われない。

同時に、所得再分配を通じて、中低所得者層の所得の「底上げ」を行うことは、有効需要を創出し、消費を支える。経済成長の果実を広く国民に分配することで、分厚い中間所得層が形成され、彼らの消費がさらなる経済成長を支える。

所得再分配の経済効果については、検証が必要である。経済成長のために、所得再分配があるのではない。

 

<相互扶助>

社会保障は、近代化によって失われた社会=コミュニティの相互扶助の機能を、国家が代替・補完するという形で生まれてきた。

産業革命によって、大量の工場労働者が必要になり、農民が地域社会から都市に持ってこられた。結果、多くの人々が、農村社会が持っていたインフォーマルな相互扶助のシステムから切り離された

元気に働いているうちはまだいいのですが、怪我をしたり病気になったリ、年老いてしまったら、誰も助けてくれる人がいない。これでは、社会の安定は保てない。そこで、社会全体のリスクを小さくする、近代社会になって失われた相互扶助の機能を国家が代替するという形で生まれてきたのが社会保障である。

農村社会が持っていた(インフォーマルな?)相互扶助のシステムが、農村(というコミュニティ)の衰退とともに、都市を含めた国家(というコミュニティ)レベルの相互扶助のシステムに移行したと言えないだろうか。*3

 

3.社会保障は壮大な制度の体系である

社会保障は、医療、介護、年金、失業、子育て、公的扶助、社会福祉、公衆衛生、健康増進などなど、生活万般のリスクを補うものである。

日本では毎年100兆円を超えるお金が動く。一つひとつ制度をつくって、制度に基づいてお金を集め、制度に基づいて現金を給付したりサービスを提供したりしている。

制度運用の主体となるのは国だけではない。自治体であったり、健保組合であったり、自治体の中でも、国保介護保険、福祉、生活保護、公衆衛生など、様々な部署が関わる。

さらに、サービスそのものの提供には公的団体だけでなく、民間の病院や福祉施設、介護サービス会社、保育園、分野によっては普通の営利企業などが携わっている。

そしてそれを動かしているのは、それぞれに詳細に設計された「制度」である。結果、社会保障は壮大な制度の塊だということになる。

詳細に設計された「制度」がある。具体的に、社会保障を論じようとする時、それらの「制度」の理解が必須である。その際重要なことは、現在の「制度」はこうなっているということを単に知ることではない。なぜ、こういう制度になっているのか、この制度に問題はないのか、問題があるとしたら、どうすれば良いのかを考えることである。(現在の制度がこうなっているから、このようにすれば得をする、というような情報が幅を利かせているように思われる)

*1:香取照幸…駐アゼルバイジャン共和国大使。年金を改革し介護保険をつくった異能の元厚労官僚。年金局長、雇用均等・児童家庭局長等を歴任し、その間、介護保険法、子ども・子育て支援法、国民年金法、男女雇用機会均等法、GPIF改革等数々の制度創設・改正を担当。さらには内閣官房内閣審議官として「社会保障・税一体改革」を取りまとめるなど、社会保障改革と闘い続けた。(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784492701447

*2:引用は、「です・ます」調から「である」調に変更します。

*3:なお、グローバルレベルのコミュニティの相互扶助(助け合い)の問題を看過すべきではないだろう。