浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

生命とは、子作り機械か? 物質の離合集散か?

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(14)

今回は、第2章 生物学の成立構造 第1節 「物質と生命」という区分 の続き(p.77~)である。

生命は増殖を目的とするという理解

  • 自然選択説では、生物は「増殖を目的として構成された機械」であるということは理論の前提とされている。
  • 自然選択説では、個々の行動や身体構造の合目的性は、個体の増殖に寄与するがゆえに形成されてきたと説明されている。*1
  • 生物が増殖するのはなぜか、つまり増殖するような自然物が、具体的にどういう無目的な過程において発生したのかは説明されていない。
  • 進化[増殖?]することが可能なものがいかにして成立するのかということが、進化論においては説明されていない。

「目的」という言葉にひっかかる。「意識」があるのかどうかよくわからない生物に「目的」があるというのは、どうかと思う。

ここで言う自然選択(進化)は、生物分類(界、門、綱、目、科、属、種)のどのレベルを見ているのか。

 

自然選択については、次のような説明がある。

自然界において,人為的な原因でなく,自然的な原因によって,ある生物の集団のうち特定の性質をもつ個体が生延びる確率が相対的に高くて,より多くの子孫を残すこと。 C.ダーウィンはこれを生存競争の原理によって説明したので,生存競争による適者生存と自然選択とをほぼ同じ意味に使うこともある。(ブリタニカ国際大百科事典)

もともとは、自然的な原因によって特定の個体が選択的に生き残ること。C.ダーウィンは、生物は生きていける以上に多数の子をつくるため、子同士の間で生存競争が生じ、環境により適応した変異をもつ個体だけが生存して子孫を残すことを自然淘汰と呼び、これによって適応的な進化が起こると考えた。現在の進化の総合説では、自然淘汰は個体間ではなく遺伝子間で起こり、適応度の高い遺伝子の頻度が世代を重ねるごとに集団内で増加することによって進化が起こると考える。(垂水雄二、知恵蔵)

これは、「同一種でも各個体に遺伝子に差異があり、環境適応度の高い遺伝子を持つ個体が増加していく」という説明のように思われる。とすると、「生命は増殖を目的とする」というのとは、ちょっと違うような気もする。Wikipediaは何と言っているか。

生物がもつ性質が次の3つの条件を満たすとき、生物集団の伝達的性質が累積的に変化する。

  1. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異)
  2. そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)
  3. 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。(選択)

上記のメカニズムのうち、3番目に関わるのが自然選択である。一般に生物の繁殖力が環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。このように適応力に応じて「自然環境が篩い分けの役割を果たすこと」を自然選択という。

自然選択が直接働くのは生物の個体に対してである。しかし実際に選択されるのは生物の性質を決める遺伝子である。その結果が一般的に見られるのは(あるいは群)においてである。自然選択は同じ種内でもっとも強く働くと考えられる。それは同種の他の個体が、限られた資源(食料、配偶者)を直接に奪い合う第一の競争相手だからである。(Wikipedia自然選択説

「生命は増殖を目的とする」というのと、かなりニュアンスが違うようだ。ただこの説明では、「自然(環境)」が「選択」するという擬人化の言い方になっていて、適切ではない。自然環境の中で、生命体と呼ばれる物質の集合が生成・消滅するという言い方であれば、そうかなと思う。(ただし、物質の集合の性質は問題である)。

遺伝子という概念を取り入れれば、個体とか種とかにかかわらず、環境変化に適応できる遺伝子を有しているかどうかが問題となる。だが、それはそれだけのことではないか。その数が増えようが減ろうが、それは進化でも退化でもない。その数を増やすことが、進化(優れている)とか、目的とか、関係がないだろう。このように述べることは、ヒトが進化の頂点にたっている、などとは言えないということを含意する。

山口は、「生物が増殖するのはなぜか、つまり増殖するような自然物が、具体的にどういう無目的な過程において発生したのかは説明されていない」という、興味深い問いを提出している。あなたは、進化論の話を聞いて、このような問いを提出できるか? ただ、問いを提出できたとして、それに科学的に答え得る可能性はあるのだろうか*2

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マグロは生殖に積極的だった マグロのかなり変な生態とは?(exciteニュース)

https://www.excite.co.jp/news/article/Mogumogunews_006/

 

生命とは何か」を理解するためには、合目的的な構造を持ち、合目的的に振舞っているように見える系について、単にそのメカニズムを物理化学的に説明すれば事足りるとするわけにはいかないであろう。比喩的に言えばそうした説明は、複雑な機械について部品間の力の伝達を記述して事足れりとするようなものだ。もちろん、それではその機械について「理解」したことにはならない。機械を理解したと言えるためには、動作の仕組みについて記述するだけでは不十分で、それが全体としてどういう目的で動作するのかを理解することが重要である。

この比喩は説得力があるようにみえる。メカニズム(部品間の力の伝達)の物理化学的な理解では、機械を理解したことにはならない。機械を理解するとは、どういうことか? 人が作った機械であれば、「全体としてどういう目的で動作するのか」を理解しなければならない。ところが、「自然に作られた機械」(生命)であれば、そうとは言えない。神によって作られたのであれば、神の意図・目的を理解することになるが、そうではないとするなら、「全体としてどういう目的で動作するのか」という問いは、目的があることを前提しているから、不適切な問いであるように思われる。ただし、「もし目的があるとするならば」と仮定するならば、問いは成立するだろう。しかし「目的がないとしたら」どうなのかも考えなくてはならないだろう。「台風」のような単なる物質の離合集散?

生命の合目的性の理解においても、個々の構成要素のメカニズムを記述するだけでは不十分で、生命が一つの個体ないし主体として目的をもって行動することの理解が重要であろう。そして、機械と違って生命は人間によって製作されたものではないから、行動の目的は製作者が与えるものでなく、それ自身が抱くものである。つまり、生命の成立を説明することは、それ自身の目的によって増殖を含むさまざまな行動を為す「主体」がいかにして成立するかを説明することでなくてはならない。

これはロジックとして成立しているだろうか。「機械と違って生命は人間によって製作されたものではない(a)から、行動の目的は製作者が与えるものでなく、それ自身が抱くものである(b)」というが、(a)だから(b)と言えるようには思われない。

人間という生物の場合、人間の行動の目的は「人間自身が抱く」という「常識」*3を、生命一般に当てはめているということはないだろうか。

根本的には、「生命と呼ばれる物質集合体における意識の発生」の問題に帰着するように思われる。

あまり先走って、臆見を述べてもしようがないね。

もちろん、今ここでこうしたことを議論するのは急ぎすぎであり、生物について我々が持つ知の構造をもう少し具体的に整理しておくことが必要であろう。以下では、生命を機械との類比で理解する思想の発生、遺伝子概念の成立、分子生物学の成立など、現代にいたる生命理解の流れを概観し分析していく。

ゆっくりと、本書を読んでいこう。

*1:例えば、キリンの長い首は高い木の枝の葉を食べるという目的に適っているが、そうした首はそれを持つ個体の増殖に寄与するがゆえに形成されてきた。…などという説明は、誰が考えてもおかしいと思うだろう(他の動物は、なぜ首を長くしなかったのか?)。

*2:以前、読書ノートでとりあげた木下清一郎『心の起源』では、「自己増殖」は「特異点」であるとして、説明不能の前提としていたように思う。

*3:この常識も怪しいものである。一般的に、人間の行動に「目的」があると言えるのか。