浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

脳の改変 欲望の空虚

立岩真也『私的所有論』(26)

今回は、第4章 他者 第4節 技術について [1]技術、[2]「私」 である。*1 *2

ここで言う技術とは、人体に対する操作技術を意味するだろう。

この人体に心を含めるかどうか。人体に脳を含めると心が問題になってくる。

この人体に遺伝子を含めるかどうか。遺伝子操作は非常に興味深い問題であるが、少しずつ考えていこう。

「技術が人間性を侵食する」という言説があるらしい。「技術」、「人間性」という言葉が何を意味するのかを明確にしなければ何とも言えない。立岩は、技術に対する不安あるいは期待(/希望の解消)について考えようとしている。

 

私の「脳機能」に変化が無ければ、私は、私の人体をどのように操作しようと(爪を切ろうが、化粧をしようが、整形手術をしようが)、私のままである、とは言えそうである。(「脳の特権性」の保持)

では「脳に対する操作」はどうか。「私」の特権性を脅かすことにはならないか。(事故や先天性の)脳損傷患者に、私の脳を提供(移植)することは可能か。こんなことは技術的にも不可能だというのならば、脳形成遺伝子の組み換えならどうだろうか。

 

私は、頭も悪く、醜い顔をしている(現代社会の価値基準による判定なのだが)。ならば、頭の良くなる薬(遺伝子)や美しい顔になる薬(遺伝子)による改変はどうか。そういう薬(遺伝子)により「自分を変えたい」という人は多い。

薬(遺伝子)レベルの技術は未だ実現していないが、代替手段は提供されている。学習塾や予備校やeラーニング、美容整形、美肌治療薬(シミ・そばかす薬)、育毛剤等々が望まれるならば、遺伝子治療も望ましいことになるだろう。

私は「自分自身の質を、自身が制御し・変容させることができる」。…私は、自分自身の質(本質)から離脱したのか。私は、お金を払って、誰が決めたか知らない社会の価値基準に沿った改変を、自分の身体(心)に施したのか。

 

私は、「欲望の空虚」に気付くだろうか。 

 

f:id:shoyo3:20191207173441j:plain

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/20768

*1:ブログの表現スタイルを変更します → https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2019/12/05/193000 

*2:これまではよく分からない部分についても引用して、「よく分からない」とコメントしてきたが、今後はこういう書き方をやめる。(重要部分かもしれないが)分からないところはパスする。なお、わかったつもりで書いていても誤解している可能性があることは言うまでもない。