浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

遺伝子操作技術の功罪

立岩真也『私的所有論』(28)

体調不良で1週間の休みとなりました。新型コロナウィルス感染かと思いましたが、食あたりでした。

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今回は、第4章 他者 第4節 技術について [4]離脱? を予定していたが、立岩の言わんとすることがよく分からないのでパスする。続いて[5]他者による規定(p.151~) であるが、こちらは分かりやすい(ように思える)。

念頭におくのは、遺伝子操作技術である。

出生前に行われる人為的な操作は、出生前の操作である限り、私自身が決定することは不可能であって、他者によって決定され、行われる。

私がどのような遺伝子構成をもって生まれてくるかは、私は決定することはできない。「自己決定」はあり得ない。それは当然である。

では生まれてくる私の遺伝子が何者かによって操作されていたとしたら、それは「悪夢」なのか。私にとって「有利」な操作があるだろう。

けれど、ある者が他者を制御した時、その他者は他者でなくなる。ここにあるのは、他者の因果のもとにあることそのものの不快ではないか。[①]介入する私Aは介入される者Bから、私Aが侵入してくることに対するBの嫌悪感に発する抵抗に会う。[②]そしてまた、他者B[介入される者]が作為された他者であることに対する私A[介入する者]の抵抗感がある。こうした不快があり、不快があることをしているから、行うことをしないことがあるはずだ。これらの感覚が、他者のあり方を変容させようとする技術[遺伝子操作技術]の進行に対して抵抗する。

ちょっとわかりにくかったので、[介入される者]、[介入する者]という言葉を補ってみた。遺伝子操作をする者はAであり、遺伝子操作されるものはBである。

①生まれてきた子どもBが、自分の「出生の秘密」を知ったら、嫌悪感を抱くだろうか。遺伝子操作によって、社会のなかで生きていくのに不都合な身体をもって生まれてきたとしたら恨みに思うかも知れない。しかし、遺伝子操作によって、社会のなかで生きていくのに不都合にはならない身体をもって生まれてきたとしたら感謝するだろう。

②遺伝子操作をする者は、生まれてくる子どもが作為された(遺伝子操作された)者であることに「抵抗感」を抱くだろうか。社会のなかで生きていくのに不都合な身体をもって生まれてこないように操作するのであるから、抵抗感や良心の呵責を感じることはないだろう。

「制御」とか、「介入」とか、「侵入」という言葉を使うから、抵抗感が生ずるのではないか。

技術は進行していくだろうと思う。それは世界を思うような世界にしたいという欲望が存在するからであり、そして、その欲望はまったくまっとうな欲望であり、またそれが技術によって実現されるからである。

「世界を思うような世界にしたいという欲望」はオーバーだ。そのような欲望を抱く者は、狂気の科学者か狂気の政治家だろう。そのような欲望はまっとうな欲望ではない。ただ、狂気と正気の境界線は明確ではない。

そのような極端なことを言わず、遺伝子疾患をもった子どもが生まれないようにしようと努力する者を正当に評価すべきだろう。「欲望」という表現は適切とは思われない。

 

介入・干渉は国家間の関係を背景とした国家統制として現れたし、そのことが問題にされた。その条件は消え去ってはいない。ひとまず植民地はなくなったとしても、国際競争力の獲得・維持という圧力は働き、別段、人類の未来を志向するのでなくても、やむを得ぬ(と思念される)選択として、優生が支持されることがあるだろう。更に今「地球的規模」で「人類」が「直面」している問題は、適正規模の生産ということである。

優生については、後に詳しく説明されるので、その時に考えよう。ただ一言だけ。国際競争力の獲得・維持は、ショーヴィニスト(他の集団に対して排斥的・敵対的・攻撃的な態度をとる者、排外主義者)にとって、「優生技術」を推進する上での格好の口実となるだろう。

適正規模の生産というのは、有限な地球資源に対して、人口調節(選別)が必要であるという考え方があるということを言わんとしているのだろうか。

遺伝子操作は、このような優生思想と関係する。治療と選別は地続きである。二分法思考に陥らないで、現実的な解を見つけなければならない。法制化の検討でどのような議論がなされてきたのか、これから勉強しなければならない。

 

現実問題として、保険(生命保険、医療保険介護保険自動車保険等々)と遺伝子操作技術の関係は、要検討事項である。一人ひとりの遺伝情報と保険事故のデータが蓄積されることによって、その因果関係(確率)に応じた保険料が営利を目的とする民間保険では設定される。営利を目的としない公的保険ではどういう取り扱いになるか。保険料を抑えるために、遺伝子操作が推奨されることになるのだろうか。

保険だけの話ではない。「犯罪者」の取締りと矯正のために遺伝情報の活用、さらには強制的な遺伝子治療が実施されることになるかもしれない。これが進めば、犯罪予防のための遺伝子診断が強制されることになる。

 

技術に対する「素朴」な懐疑、批判として、「神を演ずる」ことになるという言い方がなされる。そしてこうした物言いに対して、「学問」の側から概ね否定的な反応がある。否定の根拠として出されるのは、人は、人にせよ、物にせよ、作為し利用し改変する存在だということであり、神を演じることになるなどと言ってそれを否定するのは馬鹿げた行いだということである。

前段の事実は事実としてその通りだと言うしかない。しかし、それでこの懐疑、批判を否定しつくせたと思うとしたらそれは違う。制御し作為しているという事実があり、そのようにしようという欲望があるのと同時に、そうしようとしない欲望があるのである。そしてもちろん、この懐疑、欲望には、本来神様、創造主は必要とされない。私が決定しないことを言うのに、どうしても私という位格を超越する何かを措定しなくてはならないわけではない。

「神を演ずることになる」という批判は、神を信じる者にとってのみ有効だろう。神を信じない者にとっては、「はぁ?(何を言っているの)」となる。しかしここで終わっては対話にならない。

遺伝子疾患をもった子どもが生まれるかもしれないというときに、あなた(信仰者)はどう考えるのですか、と問うてみることである。さらに言えば、ただ祈っていれば、世の中良くなると思うのかと聞いてみることである。神の概念を議論する必要はない。

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画像:人工ウイルスがテロ兵器になる日(2019/11/20、ジョーダン・ハービンジャーニューズウィーク日本版)より

 

ショーヴィニストにとって、生物兵器は魅力的なものだろう。生物兵器の歴史は古い。生物兵器禁止条約はあるが、どれだけ守られているかはわからない。

現在、ウイルスの遺伝子を組み換え、特定の細胞だけを感染・死滅させる研究が特にがん治療の分野で行われている。この技術を応用すれば、人工的に抗ウイルス剤の効かない薬剤耐性ウイルス、また、鳥インフルエンザのように人類がまったく免疫を持たないウイルスの開発が可能である。テロ目的の遺伝子組み換えウイルスの開発・研究は禁止されていても、これを監視するシステムはすべての研究機関にあるとは限らず、世界のどこかで、いつこのような開発が行われていてもおかしくない。また、これらの人工ウイルスに対するワクチンは当然存在せず(テロリスト(開発者)自身は所持している可能性が高い)、流行してから初めてワクチンの開発が可能になるため、ワクチンができるまで早くても3 - 6か月かかる。国民全員分を用意するにはさらに時間がかかるため、多数の死者が出る恐れがある。(Wikipedia生物兵器)

遺伝子組替技術は、治療にも兵器にもなりうる。新型コロナウィルスが、遺伝子組替技術による生物兵器の実験であるなどと根拠もなく言うつもりはないが、そのような疑念を生じさせるのが現代の状況であるということである。

ショーヴィニストである政治家・科学技術者とそれを支持する大衆(私たち)……

ついオウム真理教の科学技術者を思い出す。東京オリンピックは大丈夫だろうか?