浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

生気論とアニミズム 風は生命である(?)

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(18)

今回は、第2章 生物学の成立構造 第2節 「生物学」の登場  の続きで、「生気論」についてである。

前回記事の最後の部分を再掲しよう。

「存在の大いなる連鎖」から「生物学」へ

  • 博物学は、鉱物と動植物とを等しく対象とするものだった。当時は鉱物から植物、動物、人間から天使に至るすべての自然物は連続的な序列をなしているという発想(存在の大いなる連鎖)が広くいきわたっていた。
  • 19世紀に入るとすぐ「生物学」が登場する。ラマルク(1744-1829、博物学者)は、生物が無生物とは根本的に違う性質を持っているということを明確に打ち出した。博物学の対象から、そのようにして規定された「生物」のみをピックアップすることで「生物学」が成立した。
  • なぜ、鉱物が脇によけられ、植物と動物がひとまとめにされたのか。その背景には生気論vitalismの思想がある。

 

水と風と生きものと

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私の関心(問題意識)は、「鉱物と植物・動物を区分するもの(存在の大いなる連鎖を断ち切るもの)は何か?」である*1。その背景に「生気論」の思想があるというから、期待をもって読み進めたのだが、「生気論」がどういうものか、今一つよく分からなかった。

 

特殊な生命原理

本書の説明では、生気論とは、「生物には通常の物質とは異なる特殊な生命原理(生命特性、生命力)が働いている」という考え方であるという。では、特殊な生命原理とは何なのか。

生気論が想定する特殊な生命原理とは、

①個体全体に働くというよりは、個体を構成する器官や組織が持つ特性である。

②身体を構成する物質が従う何らかの自然法則である。

と考えられたという。「特性」とか「自然法則」などと言っても、単に言葉を言い換えただけで何の説明にもなっていない。

 

生気論とアニミズム

生気論はアニミズムとは異なるという説明がある。

  • アニミズムとは、霊魂(アニマ)にもとづいて生命を説明しようとする理論であるが、生気論は、生物と無生物の違いを科学的に[生命原理によって]説明しようする。
  • アニマは単なる物体としての身体に宿る非物質的・超自然的な実体である。
  • アニミズムが考える生物独特の能力とは、栄養を摂取して成長し、自分から動き、感覚を持ち、理性的に思考したりするといったことであった。こうした能力は、生物個体が全体として持っている能力である。自発性や思考能力は、通常の物理的な因果関係から逃れる。
  • 生気論では、身体を構成する物質(器官や組織)そのものが何らかの生命原理を持っていると考えられた(数多くの解剖実験、切り離された心臓の鼓動、筋肉収縮などの観察に基づく)。「生命の単位」を個体以下のレベルで探求しようという関心がある。
  • 生命を構成する単位は「細胞」であるという現在も通用する考え方が登場したのは、そうした関心に基づく探求の結果である。つまり、生気論的思想は、細胞説の背景あるいはそれを発見に導いた動機ともなっている。

生気論が身体を構成する物質に注目するのは良いとして、それらが「動く」ことをもって、何らかの生命原理が働いていると考えたのだろうか。鉱物は動かないかもしれないが、さまざまな自然現象はどうなのだろうか。川の流れや雲の動きや火山の噴火…これらは生命原理を持っているのだろうか。生気論はそんな単純思考ではないと思うのだが…。

なお、アニマを「精神」、「心」、「意識」などの言葉に置き換えれば、アニミズムは現代でも通用する考え方であるように思われる。「精神」、「心」、「意識」と「物質」との関係は、解明されていないだろう。

 

ラマルクの考えた生命原理

用不用説(獲得形質が子孫に遺伝し、進化の推進力になる)で知られるラマルク(1744-1829)は、生命現象を「自然現象」と考えて、それに関わる「原因と法則」とを探求しようとしたという。

  • ラマルクの考える根本的な生命現象とは、「外的状況を感受する能力」(機能亢進orgasme)と「外界からの刺激を感受した時に収縮する能力」(被刺激性irritabilité)の2つであり、それぞれ「熱素」と「電気流動体」*2によって引き起こされる。(生命現象が起こるのは個体のレベルではなく組織[器官]のレベルである)

つまり、ラマルクは根本的な生命現象を感覚と収縮の2点で考えている。収縮というのはおかしな言葉だが、筋肉収縮を考えているためで、いまの言葉でいえば、感覚刺激と(身体の)反応ということになろうか。

生命現象をこのように把握することはおかしくはないと思うが、これを生物と無生物を区分する生命原理だと考えるのはおかしいと思う。刺激と反応という言葉を使うのは、論点先取りの虚偽ではないだろうか。「風は平野部では吹き抜けるが、山にぶつかると山肌に沿って強制的に上昇する」。この風の動きは「刺激と反応」ともみなせる。とすれば風は生命である。

*1:補足すれば、生物も物質で構成されているのだとすれば、(天使は別として)鉱物、植物、動物を区分するものは何かという疑問が生ずる。

*2:生命の本質的原因は、熱素と電気流動体の2つである。空間中に充満しており、物体を浸透して流れている。この2つの流体が、適切に組織化された物体に作用すると、それを流動させ、生命現象が生じる。適切に組織化された物体とは、水分を含んだゼラチン状の物質が、細胞状の組織をなしている物体である。(p.95)