浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

COVID-19:制御された状況下での感染は許容する

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(20)

今回は、分子ウイルス学・免疫学研究者である峰宗太郎氏へのインタビュー記事(日経BP、2020年5月29日、「神風は吹かない、でも日本は負けないよ」)を読むことにします。

引用中、(Y)は日経ビジネス シニア・エディターの山中浩之氏。(なお引用はごく僅かに変形をしたところがある)

 

相場観あるいは湯加減

  • (Y) 飛沫感染接触感染を避けるために、どの程度我慢すべきか。「湯加減」を知りたい。温(ぬる)過ぎたら文字通り風邪を引いちゃうし、熱過ぎたら入っていることができない。ワクチンが普及するまでこの状態となれば、「ゆっくり、リラックスしながら入り続けられる湯加減」を知りたい。
  • 私は「相場観」と呼んでいる。その相場観、お湯加減がどのぐらいだかが分からないせいで、緊張しちゃう人は緊張し過ぎて「もうすべて消毒しなきゃいけない」。緩む人は、「もういいだろう?」になってしまう。あとは、やけっぱちといいますか、「神風」願望。
  • (Y) 峰さんはそれぞれの要素の効果を全否定しているわけじゃない。「分からない」と言っている。だから「××さえあれば大丈夫」と言い切るのは「(少なくとも現時点では)間違っている」と言っている。

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スペイン風邪の例を持ち出して)第2波、第3波が来ると騒いでいる(脅している)人は、また暴落が来ると騒いでいる(脅している)人と同じである。相場を読む人は、日々の動きに一喜一憂しない。

「すべて消毒しなければならない」、「もういいだろう」…いずれも極端であり、何も学んでいない。

 

状況のコントロール

  • (Y) 認知心理学によれば、人間は「状況をコントロールしている」ことに最大の喜びを覚えるのだそうです。新型コロナ下でも、「状況をコントロールする方策があり、自分は自分自身をコントロールして、その方策に沿って動いている」という実感を得られるかどうか。その辺が、湯加減のカギになるんじゃないでしょうか。
  • 「状況をコントロールできている」と、皆さんに納得していただくにはまず「この方策にはこれこれの根拠がある」という証拠、エビデンスは必須です。

とりわけ政治家は、「状況をコントロールしている」ことに最大の喜びを覚えるのだろう(権力)。しかし、その方策には、どれほどの根拠(証拠、エビデンス)があるのか。メディアの報道に流された単なる思いつきか、それとも深い見識に支えられた妥当な方策なのか。

 

科学者とエビデンス

  • ですが、結論から言うと、具体的なもの、マスクひとつにしても、我々科学者はエビデンスを皆さんを満足させるほど明確に示すことができません
  • マスク1枚でどのぐらいウイルスが外に出るのを防ぐかというのも、今回の新型コロナウイルス騒ぎで初めて検証されて、研究の論文が出たような状況なんです。

私は未だ、どのような種類のマスクが、どのような場面で、どれほど有効なのか…まともに聞いたことがない。

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暑いけど…マスク 都心で夏日 産経新聞 5/30(土) 、https://news.yahoo.co.jp/articles/686be99640ed9645529ecfc69f92a43b1d2ad27c

 

  • 理論から出てくる結果を、具体的な社会生活に置き換えていく、という点では、科学って皆さんが思っているほど進んでいない。
  • 例えば、西浦博先生(北海道大学教授)が、「接触を8割減らす」と言っていましたが、具体的にはどういうことか。10回買い物していたのを2回にするのが8割なのか。行った先で、10秒話していた人とは2秒だけにするのか。1メートル離れて話していた人については、じゃあ、5メートル離れれば8割減なのか。そういったことって何も説明されてない。
  • なぜなら、説明することができないからです。社会をモデル化してみたら、8割減らせばいいというのは分かったけど、リアルワールドで「何を8割減らすのか」「どうすれば8割減るのか」は、実は分かっていない。もちろん私にも分かりません。
  • (Y) ソーシャル・ディスタンシング。「8割減=2メートル」じゃないんだ。科学によるモデリングは、具体的な人の行動まで数値化して落とし込むことはできていない

8割おじさん(西浦教授)のモデリングは、おそらく素晴らしいものなのでしょう(勉強していないので、何とも言えないのだが)。しかし、メディアの報道で「8割減らせば…」と聞いた時、「??」であった。何をどうしろと言うのか。現実的に不可能なこと、後から検証もできないことを、もっともらしくグラフで示されても、それは、科学者の自己満足な研究論文でしかないでしょう、というのが私の率直な感想であった。

「科学によるモデリングは、具体的な人の行動まで数値化して落とし込むことはできていない」ということを理解していない者が、マスメディアに出て「科学者」として発言すべきではないだろう。

 

科学者にも分からない

  • 「居酒屋はダメ」と言ったとしても、明確に科学的根拠はあるのかといったら、持っている人は1人もいません。ジョギングで何メートル離れるというのもそうだし、満員電車にしても絶対これ、というエビデンスというものはない。ここに踏み込んで、いかにもエビデンスがあるとか、俺は知っている、みたいに言う人はもう、私の中では科学者じゃないです。とても残念なことに、いずれも「分からない」が正解です。

少なくともテレビに登場する「科学者」が、「分からない」と発言するのを聞いたことがない(ごく一部しか見ていないが)。「~の研究によれば」とか、「可能性がある」とか、「~であるとすれば」とか言う。こういう前置きで発言することで、(そういう前置きを無視してしまう)視聴者(素人)がどういう考えを抱くことになるかを考えないのだろうか。

 

正解が分らない中で対策を打つということ

  • (Y) それでも対策は打たねばならない。
  • その通り。正解が分からない中で対策を打たざるを得ない。じゃ、どうするか。あくまでも相場観でやるしかないということを私はずっと言っていまして、その湯加減はどうすれば分かるかといえば、やってみた結果を見る、すなわちフィードバックで「熱過ぎるか、温過ぎるか」を判断するしかないわけです。
  • 「ああ、しまった、先週みたいに盛り上がっちゃうとやっぱりだめなんだね」とか、「先週ぐらいの活動度合いであれば、なるほど、大丈夫そうだな」ということが、まずマクロに共有される。そこからだんだん局所的解析を発表していただくことで、シチュエーションごとに、ミクロにフィードバックをかける。そういったものが分かってきて、初めて経験論として、「ああいうことをやると、感染が拡大するらしいよ」ということが分かってくる。

相場観とか湯加減というだけでは漠然としている。おそらく方法論としては、目標管理*1とかPDCAとかOODA*2になるのだろう。

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https://teamhackers.io/the-essence-of-pdca-and-ooda/

 

「新しい生活様式」にエビデンスはあるのか

  • そういう肌感覚が出てくるくらいにデータが集まってきたら、そこで初めて科学者はモデリングができるんですよ。なるほど、このぐらいのものだと広がる、広がらない、とモデルを立てて、じゃあ、その原因は何だろう、科学的に解析してみよう、という「研究」の段階に入れる。
  • (Y) そこまでいったら、もしかしたら「居酒屋はこういう席の並べ方で、空調はこうして、こんな接客で、混み具合の上限は」とか、具体的なやり方までエビデンスを持ってアドバイスできるかもしれない。
  • 今の段階で科学に、先に対策の効果を予測しろというのは、原理的に無理です。リアルワールドを単純な系に落とし込んで、科学者にものを言わせようとするのは間違っている。ものすごく単純化した系でリアルワールドを解説する人もいますが、そういう話を聞かされても「それってあなたの感想ですよね」としか言いようがない。
  • 科学者ができることは、分かったことは分かったと伝える。出すべき数値は出す。モニターするものはモニターする。そういったことを繰り返すしかないと思っていて、それを超える発言は、やはり科学者としては領空侵犯、越権行為である。

したがって、専門家会議が提言する「新しい生活様式」は、何もエビデンスがあるわけではなく、「試しに、これくらいを要請しておけばいいだろう」という程度の政治家の意見だろうと思う。そのうち収まってくれば、提言は正しかったとなる。

 

リスクをどこまで取るか

  • このCOVID-19は、インフルエンザと同じで子供もけっこう感染する。重症化例は少ないけれど。そうすると子供経由で、ハイリスク者がいる家庭に広がることは事実なので、やはり流行状況がひどいときは閉じるべきなのでしょう。

全国一律という馬鹿げたことではなく、学校単位に対策すべきものだろう。

  • エンターテインメントに関しては困難な時期。そういうときの戦略は「リスクをどこまで取るか」しかない。簡単に言えば、ある程度の感染者や集団感染、クラスターが生じることはもう「是」とする
  • 既にインフルエンザに関して、我々はそういう姿勢を取り続けている。インフルエンザの感染率はだいたい今回のCOVID-19と同じぐらい。死亡率、重症化率はずっと低いですけれども、そういうものがある中でも別に映画も、音楽も、演劇もやっているわけです。
  • だから、フィードバックを前提として、病気に対する認識をちょっと変える。感染爆発が起こっていない状態においては、どこかでぽこっ、ぽこっと感染者が出ることに対しては、潔癖になり過ぎずに、許容する。それによって、エンターテインメントも含めて、我々の社会生活に不可欠な業界すべてを回す。ただし、いったん感染が爆発しそうになったら、それは素早く抑える。許容と瞬断、そのどちらもが、絶対に必要な状況になると思う。

ある程度の感染者や集団感染、クラスターが生じることはもう「是」とする。メディアや政治家には、是非こういう姿勢をとって欲しい。騒ぎすぎないで、冷静に粛々と対策をして欲しいと思う。集団ヒステリーにならないように願いたい。リスクは何もCOVID-19だけではないのである。さまざまなリスクに目配りして、粛々と対策をとるべきなのである。

 

報連相

  • みんなが納得して変われそうなところから常識を変えていく。既に密集を避けるために、仕事のやり方が変わり始めた。そして、体調が悪ければ出社するな、ということも新たな常識になりつつある。何か異常があったら隠さず素早く報告できる社会を目指す。簡単に報告できるシステムもそうですけど、必要なのは感染した人が差別・攻撃を受けないような、そういった空気感ですね。「本人じゃなくて、病気が悪いわけですから」ということをみんなが理解して、報告も休養も取りやすくする。

「体調が悪ければ出社せず、自宅静養する」というのは、新たな常識でも何でもなく、昔からの常識である。「体調が悪くても出社させる」というのは、ブラック企業である。

しかし、そうは言っても「体調が悪くても出社しなければ、給料が減って生きていけない」という人もいる。今の制度ではそういう人を十分には助けられない。そこをどうするかは考えなければならない。

 

しゃべらなければ大丈夫?

  • 共有部分は、接触感染に気をつけてほしいですけど、今のところは感染は起きていない。満員電車も推奨はしませんけれど、実は感染者の話はそんなに出ていない。この前、散々たたかれたK-1の観戦でもおそらくクラスターは起こっていない。こういったことから、現段階ではあくまで推論ですが、どうやら「しゃべらなければ大丈夫」ではないか、というひとつの相場観、湯加減が見えてくる。そして、例外事項というのはいくらでもあるので、感染者がいれば例外的に拡大することはあり得ます。なので、そこはある程度、許容する社会を目指す

「しゃべらなければ大丈夫」という相場観に立てば、ソーシャル・ディスタンスは不要である。私は、この相場観に賛成するが、行列の区切り線は守っている。

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https://www.nikkan.co.jp/brand/covid-19/

 

制御された状況下での感染を許容する

  • (Y) 完全シャットアウトは事実上無理ですから、そこは諦めて、制御された状況下での感染は許容する。感染者ゼロを目指すと、みんなが過剰に自粛して、情報を出さなくなってフィードバックそのものが働かない。
  • 情報収集とそのフィードバックで、「このぐらいの生活をすればいい」ということがだんだん分かってくる。この「このだんだん分かってくる」というところに最大のポイントがある

感染者ゼロを目指さないこと。過剰自粛はさまざまな悪影響を生ずることを理解すること。交通事故ゼロを目指して、自動車運転を禁止するのは妥当な政策ではないだろう。

 

「気楽な正解」はリアルな世界にはない

  • 「今すぐ答えがほしい」と言われて、言っちゃう人が危ない(笑)。そこに特効薬を出してくる人はもっと危ない。アビガン、BCG、日本人の遺伝子と、何か極端なことを言う人はいるわけです。別に悪意からではなくて、その人たちは不安でたまらなくなって、神風が吹く、と信じたくなる。でも、そういう、ある意味気楽な正解って、リアルな世界にはなかなかない

「特効薬」(気楽な正解)はまず無いと心得ておく。一つの答えに拘る必要はない。

 

現場の状況に応じて、じわじわ曖昧にやっていく

  • (Y) この湯加減、相場観、白か黒かを決めず、現場の状況に応じて、じわじわ曖昧にやっていく、というのは、実は私たち日本人の得意技じゃないの、と思った。
  • 欧米の人が好きな「1かゼロか」な、「これが正しい理論だ」と決めて、命令で服従させていくのは、今回の対策上はけっこう危なくて、「どこまでも石橋をたたくように慎重に、かつ柔軟に」というのが、非常に重要なことです。
  • 「何が危なくて何が安全か」というのも、科学者がエビデンスを以て語れる範囲ってとても狭い。分かっていることははっきり発信、分からないことはもう「分からない」にして、今後、一生懸命探す。そして、みんなが当事者として「うにゃうにゃ」いろいろ試す、そういうことをしていかなきゃだめですよね。

「1かゼロか」ではない。「慎重にかつ柔軟に」対策する。根拠薄弱な指標、基準、前提に縛られてはいけない。

 

PCR検査の功罪

  • (Y) 空間除菌…「状況をコントロール」したいという人間の欲望が起こすミス。
  • 「自主的にPCR検査を受けさせろ」という意見なども一緒ですね。専門家が皆で認識してしっかりと広報していることを、あえて逆張りしたり、それ以外の「ミラクル」な方法、つまり「神風」を、業者やメディアの宣伝で信じてしまっている

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https://japan-indepth.jp/?p=51841

 

PCR検査の功罪を正しく認識する必要がある。専門家は、PCR検査や各種検査の意義(限界)を、正しく、わかりやすく周知すべきである。しっかりと広報しているとは思えない。本庶佑や渋谷健司や上昌弘がPCR検査拡大を唱えていた(今でも唱えているいる?)。