今回は、第2章 社会心理学の歴史的な実験 のうち、「認知的不協和実験」が順番であるが、第3章で説明があるようなのでパスし、「リスキー・シフト実験」をとりあげる。(リスキー・シフトは、ストーナーが1961年に提唱した社会心理学の用語)
集団極化(集団極性化)
- 集団極化とは、個人の判断や意見が、集団による討議や他者の意見との接触によって、優勢だった判断や意見へより傾くこと。リスキー・シフト(risky shift)とコーシャス・シフト(cautious shift)がある。
- 集団で討議した場合の決定は、1人で考えて決定した場合よりもリスキーな決定になる(リスキー・シフト)。
- 個人の安全志向が強い場合は、集団討議によってより安全志向が強まる場合がある(コーシャス・シフト)。
- メンバーの中にリスキーな志向の人が多ければ集団討議することによってよりリスキーに、安全志向の人が多ければより安全な方向に偏るといったように、意見が極端なものになることを集団極化(集団極性化)と呼ぶ。
- リスキー・シフトとは、普段は慎重に判断をし、節度ある行動がとれる人が、集団で判断することで、より危険でリスクの高い決断を容易にしてしまうようになることを指す。(L-A*1)
- リスキー・シフトがより危険でハイリスクな選択だとすると、コーシャス・シフトはローリスクな選択を意味する。(L-A)
- 話し合ってみたけれど、変革するリスクを嫌って結局「現状維持のまましか仕方がない」というような消極的判断となった場合はコーシャス・シフトしたことになる。(L-A)
何らかの会議や打合せで、議論(話合い)をしたことのある人なら、上記のリスキー・シフトやコーシャス・シフトは、確かにそういう傾向があると納得できるだろう。
リスキー・シフトの定義は、L-A(*1) のほうが適切である。
もっとも、組織(集団)の意思決定を、ハイリスク・ローリスクに二分するのは単純すぎる。意思決定は、単純な二者択一ではない。変革するリスクも、現状維持のリスクもある。詳細は「集団の意思決定」の議論で考えることにしよう。
https://sites.google.com/site/hookappsychology2a/group-influence-sarah-dickey/group-polarization
集団極化現象が起こる理由
- 社会的比較説…他者の多くが自分と同じ意見であることを知ることで、自分の意見に確信を持ち、その結果、集団極化が起こる。一方、他者の大多数が自分よりもリスキー(または安全)な意見を持っているとわかった場合は、同調して集団の価値観に合うように自分の意見を変化させるため、やはり集団極化が起こる。
- 説得的論拠説…話し合いを通じて、人はさまざまな論拠(意見の根拠)に接する。その中で自分の意見と同じであり、かつ自分が考えたことのない論拠を積極的に受け入れようとする傾向がある。その結果、自分の意見を確信し、集団極化が起こる。
- 初期多数派主導型の決定プロセス…話し合いをする前の多数派の意見が集団の決定になりやすい。
- 討議をせずに意見をボードに書いて見せ合うだけで、集団極化が起こることがわかっている。(テガートとブルートの実験)
- 集団討議ではすべての情報が均等に話し合われるわけではなく、討議のメンバーが共通して保有している情報ほど話し合われやすい。これを共有知識効果という。
多数派の意見に同調することはよくある例である。自分が確固とした意見を持っているか、あるいは組織における地位に基づく発言力がなければ、多数派の意見に同調する。責任を追及されることはない。
何となくAが良いと思っていても論拠を述べることができないとき、他者の論拠に接して、あたかも自分も当初からそのように考えていたかのように振舞う。
テガートとブルートの実験の詳細は知らないが、ありうる話だと思う。誰がボードにどのような表現で書くかである。
確かに、共有知識効果はあるだろう。どのような集団であるか。誰が構成メンバーであるか。
リスキー・シフトの要因(L-Aの説明)
(1) 責任の所在があいまいになること(個人と集団では責任の重さが違うこと)
- 個人が選択するときは、失敗した場合を想定して選択をする。個人がその結果まで受け止める覚悟で選択をしている。
- しかし集団で決断した場合は、①個人は「自分が全責任を取る」という気持ちで決断しない傾向にある。②むしろ、「何かあっても誰かがなんとかしてくれる」という気持ちになりがち。③そのため、個人が決断するときほど、慎重にならずともよくなる。④その結果、集団討議は極端な議論に陥りがちになる。という傾向がある。
- つまり、集団で討議をする際は責任の所在が個人のときよりあいまいになる。
組織の意思決定においては、決定の手続というものがあり、個々のメンバーが責任を取ることはない。
個々のメンバーは、議論の場において参加することになるだろうが、そこで何が期待されているのかである。
組織においては、意外と「責任の所在」が明確であると言えるかもしれない。(ただし具体的な責任の取り方は明確ではない)
(2) 集団のメンバー構成
- 極端な議論に陥るのは「集団のメンバー構成」による要因が強い。
- ある集団が「リスキーな判断をしがちな人(潜在的なリーダー)」と「あまり意見を持たない人」で構成されていた場合、その集団はリスキー・シフトに大きく傾く可能性がある。
- 一方で、「慎重な判断をしつつ意見を言える人」がその集団に多くいた場合は、コーシャス・シフトに傾く。
- 集団の構成を、リスキーな判断をしがちな人(右)、慎重な判断をしがちな人(左)、意見を明確に出さない人(中)と考えると、そのバランスによって、集団の意見がどちらに傾くか、または均衡を保った意見となるのかが決まる(シーソーの比喩)。
一般に、「リスキーな判断をしがちな人」は、威勢が良く、弁舌が巧みで、決断力があり、リーダーに向いているとされるようである。一方、「慎重な判断をする人」は、二者択一ではなく、複雑さを理解しており、態度(意見・主張)が曖昧であり、わかりにくい。
「リスキーな判断をしがちな人」と「慎重な判断をしがちな人」に区分するのも、単純な二分法思考かもしれない。
リスキー・シフト、コーシャス・シフトの議論は、より広く「集団の意思決定」の文脈で検討されなければならないと思われる。
関連して、エコー・チェンバーの議論にふれようと思ったのだが、長くなりそうなので、別途ということにしたい。
*1:サイト「リベラルアーツガイド」の記事、【リスキーシフトとは】意味・具体例・要因をわかりやすく解説 参照。L-Aと略記。