浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

ベビーM事件

立岩真也『私的所有論』(31)

今回は、第4章 他者 第5節 生殖技術について の続き(p.160~)である。

ベビーM事件

1985年2月、スターン夫妻(夫は38歳の生化学者、妻は38歳の小児科医)とメアリー・ベス・ホワイトヘッド(当時28歳、無職、白人、子ども2人)が、ノエル・キーンの不妊センターを介して代理母契約*1を結んだ。

この代理母サロゲートマザー、surrogate mother)というのは、第三者の女性に夫の精子を用いて人工授精し、妊娠を成立させて子どもをもうける方法(卵子及び子宮は代理母)である。代理出産には、借り腹ホストマザー、host mother)という方法もあり、これは、自分の子宮による妊娠が不可能な妻の卵子とその夫の精子体外受精させ、その受精卵を代理懐胎者の子宮に移植し出産させる方法である。

  • 契約後、すぐに人工授精が始まり、全部で9回人工受精を受けた結果、妊娠。1986年3月に女子を出産(卵子及び子宮は代理母)したが、出産後、子の引き渡しを拒否し、連れ去る。夫婦が訴え裁判になった。
  • 1987年3月31日、ニュージャージー州上位裁判所判決は、代理母契約を合法とし、依頼者スターン夫妻に親権を認め、メアリー・ベスには親権も養育権も認めないとした。
  • 1988年2月3日、州最高裁判所代理母契約を無効とする逆転判決を下す。父親をスターンとし、母親をメアリー・ベスとするが、父親側に親としての適格性があるとし、メアリー・ベスには訪問権を認めた。(本書94)

これだけを読んでも、代理母契約を無効とする理由がよくわからない。

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https://www.youtube.com/watch?v=VsKSnkdZxrg

 

立岩は、次のように述べている。

  • 子が登場するとは、産む者の身体において、何かが他者となっていく過程である。
  • 私は、やがて「私」でないものが登場することを感受する。この場合に、代理母契約とは、このことを経験してしまった人から、それをとりあげるということである。だから予め渡すことを前提とした契約は認められない。
  • また依頼者側の卵を用いる場合も含め、産んだ母親がまず母親であり、その権利は父親に優先する。誰を親とするかというときに、親としての「適格性」によって判断すべきではない。
  • これは遺伝子という抽象的なものをどれだけ特権化するかということに関わってくる。これを特権化することを認めず、他者が現れるという経験を第一義的なものと考えるなら――ベビーM裁判の判決と異なり――産む者が母であり、第一に親となる。(pp.161-162)

「私でないもの(他者)が登場することを感受すること」に価値をおき、代理母契約を認められないとする議論は、理解できない。(これまでの議論を理解していない?)

親としての「適格性」によって判断すべきではないというのは、その通りだと思うが、「産んだ母親がまず母親であり」というのは理解できない。代理母において「他者が現れるという経験を第一義的なものと考える」から、「産む者が母である」と言うのであろうが、なぜ「他者が現れるという経験」を重要視するのかわからない。 

貧困を背景として、報酬を得ることを目的とした代理母契約を結ぶことは、「代理母」固有の問題とは考えられない。

不妊治療ではなく、「仕事を継続するために、妊娠・出産を他の人に委ねる」こともまた、「代理母」固有の問題とは考えられない。

代理母や借り腹について私見を述べようといろいろ書いてみたが、まとまらないので次回以降に回すことにする。

*1:契約内容…妊娠したら薬をいっさい飲んではいけない。羊水診断を受け、胎児に障害があれば中絶すること、その場合は報酬なし。流産・死産には千ドル。健康な子が生まれたら1万ドル[仮に、当時の為替レートで換算すると約260万円]を受け取る。出産後、直ちに養子契約にサインし、親権を放棄する。2年以内に妊娠しなかったら、報酬はなし。(本書p.94)