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「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

COVID-19:PCR検査 -地獄への道は、善意で舗装されている-

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(26)

(2020/8/1) 訂正箇所あり

全国各地で感染が広がっていると報じられている。相変わらずのマスメディアの「煽り」である。

「煽り」というのは、「無症状者」から「重症者」まで、ごちゃまぜで、新型コロナウイルス感染症」の「感染者」として報道しているからである。「無症状者」というのは、「症状がない」つまり、発症していない、病気ではない、新型コロナ感染症という病気にかかっていない、ということである。ただ、PCR検査で「陽性」になったというだけである。

以前、「メディアが不安を煽っている 報道災害か?」(2020/4/20)で、次のように書いた。

<分析的な情報がほとんどない。診察数、発症から診察までの日数、風邪やインフル等と判定した数、PCR等検査数、陰性数、陽性数、軽症・中等症・重症別、治癒数、年齢別、基礎疾患有無別、治療の程度別、他の感染症(特にインフルエンザ)との比較、等々>

付け加えれば、「症状の変遷」、「検査陽性判明時点で感染経路不明者とされた者のその後の追跡調査結果」、「感染者の遡及情報(第1次感染者は誰か)」、「PCR検査の精度に関する情報」(誤判定の有無、それとも無謬?)も必要であろう。最近は「無症状者」が注目されているので、「無症状者に関する情報」も必要である。

より基本的には、「PCR検査の陽性・陰性判定基準」は妥当なのか(0-1なのか)、「陽性・陰性」と「症状」の関係をどう見るべきなのか、「症状」をどのように定義するのか(0-1なのか)、も知りたいところである。

これらに関する適切な情報が無ければ、判断できない。限られたデータや海外のデータ(論文)にのみ依拠して、憶測の情報を流していては、事態が良くなっているのか、悪化しているのかわからない。ましてや個別の事例を一般化して話すべきではない(若い人でも、後遺症が出るとか…)。

私はマスメディアが第一義的に悪いかのように書いてきたが、マスメディアに登場する感染症専門家」や「現役の医師」や「専門外の学者」の憶測が第一義的に問題だと感じている。憶測というと怒られるかもしれない。彼らは、「可能性があると言っている」とか「専門家としての経験からそう言っている」と抗弁するだろう。ならば、上述のようなデータに基づき発言してほしい。おそらくマスメディアに登場せずに地道に研究している専門家はいるだろう。そういった専門家の意見も知りたいところである。

だが一方こうも思う。専門家は専門家であるがゆえに、「偏狭さ」を免れない。専門家の意見だけを聞いていたら判断を誤る。虫の目を持っているかもしれないが、「鳥の目、魚の目、心の目」を持っているかどうか、甚だ心もとない。

【参考】(年代別・週別・新規)陽性者数&死亡数*1

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大騒ぎしている割には、死亡数が少ないと感じる。今後、更に増えるだろうが、冷静に受け止めるべきである。

もちろん、「死亡数が少ないから問題ではない」とか、「軽症~重症者」は問題ないとか、言っていない。先に挙げたようなデータ分析をして、適切な対策を講ずるべきである。私が、■正しく恐れる、■冷静な頭脳と温かい心、 ■鳥の目、虫の目、魚の目、心の目 と言っているのは、このことである。

 

*****

 

児玉龍彦*2東大教授の参議院予算員会(2020年7月16日)での参考人発言が注目されている。

www.youtube.com

児玉説は、次の動画をみるとわかりやすい。

⇒ https://www.youtube.com/watch?v=Zx7ocDrhz0Q

 

私はこの話を聞いて、日ごろ「人権」を主張している人たちが、なぜ問題視しないのか非常に不思議に思った。

私は、今回の記事のタイトルを、<PCR検査-地獄への道は、善意で舗装されている->としたのだが、その理由を以下に述べる。

児玉の話のポイントは、

  • 無症状者がウイルスを排出し、エピセンター化している。(エピセンター:感染集積地)
  • 封じ込めには、無症状者への対応=隔離が不可欠である。
  • 漫然と(全国一律に)PCR検査をするのではなく、エピセンターに対して、全例検査をする。

つまり、ウイルスを排出している無症状者を隔離するために感染集積地の全員にPCR検査をすべきであるというのである。無症状者を検査対象者にしているところが、クラスターと異なる。

この話の肝は、「無症状陽性者がウイルスを排出し、他者にうつしているかどうか」*3であるが、それを考える前に、「感染地域」に居住する人の全員にPCR検査をすることが、何を意味するのかを考えてみたい。

第1に、PCR検査の精度の問題

PCR検査の問題点は、偽陽性偽陰性が避けられないことにあるといわれる。ただPCR検査は「感度が低く、特異度が高い」そうなので、おそらく偽陽性は問題にならないだろう。問題は偽陰性のほうである。陰性と判定されても、実際には陽性である確率がかなりある(感度が低い)とされている。だとすれば、偽陰性と判定された「無症状の陽性者」が、ウイルスをまき散らしているかもしれない。無症状者を隔離する必要があるというのであれば、偽陽性偽陰性」及び「検査後感染した可能性」があるため、毎日検査する必要がある。検査機器の精度が向上しても、程度問題だろう。(2020/8/1訂正)

第2に、PCR検査後の処置の問題

「無症状者を隔離せよ」という考え方からすれば、軽・中等症の人以外に無症状者にも「隔離施設」が必要である。今後どれだけ発生するかもわからない「要隔離者」のために、都道府県が、いつまでもホテル借用を続けるわけにはいかない。となれば、国が「隔離施設」を辺鄙なところ(土砂災害で被害にあいそうなところ)に建設することになるだろう。

また「無症状者」が一定期間隔離されることになれば(その後も断続的に隔離となることが考えられる)、仕事が行き詰まり、生活が破綻する。家族も分断される。

いま「無症状者」について述べたが、「軽症者」もほぼ同様である。

以上、1,2を考えあわせると、非常に危険なにおいがする。

 

この道の先は地獄か、それとも……

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地獄への道は、善意で舗装されている

この諺の一般的な解釈は、「悪事または悪意は、善意によって隠されているものだ」、というものである。あるいは「善意でなされた行為であったとしても、その実行により意図せざる結果が招かれる」、というものである。

内的な確信が、間違った政策や行動によってなされた危害を正当化することがある。善意あるものは、その行いが集団に対して良いと信じている。それはかれらにとっては自明である。かれらはよりよい善をなしたためと信じた結果の巻き添え被害を正当化する。例えば、ナチス強制収容所は、ドイツ社会のいわゆる「人種的に望まれざる要素」を収容するために作られた。また、グラグはプロレタリア独裁に寄与しない、忠誠心のない分子を隔離するために導入された。あるいは異端審問は信仰に篤い国で異端者を根絶するために設置された。これらのように、なされた害が明白に見えていて、かつ認識されていても、「払うだけの価値があった」として忘れ去られてしまう。

完璧主義者は特に、意図が裏目に出る傾向にある。

集団の倫理的な行動を改善しようとする試みは、よく失敗に終わることが多い。そういった試みとして法律の制定を利用すると、人々は望ましい行動に改善するよりも、法の条文をそのまま遵守しようとする。

企業倫理についての研究によれば、ほとんどの誤ちは、悪意に直接に由来するものではなく、むしろ過ちを犯すと予期していなかった人によってなされるという。

ティーブン・ガラード・ポストはこう書いている。「もし地獄への道が善意で舗装されているとすれば、その理由の一つは、大抵の人が選ぶのがまさにそのような道だからだ」(Wikipedia

新型コロナの「隔離施設」は、「強制収容所」となる可能性がある。新型コロナの陽性者は、「望まれざる者」、「排除すべき者」、「害虫」、「敵」なのであり、排除・抹殺されなければならない。2週間たてば、無罪放免? それは、現時点でそうであるにすぎず、「彼らは常にウイルスを保有しており、ウイルスを排出し続けている」という「研究論文」が発表され、抹殺されることになるだろう。あるいはまた「陰性・陽性」の判定基準が「適切」に改定されるだろう。

ナチス=ドイツにおける強制収容所は、1933年のナチス政権成立直後から、反ナチス政治犯を収容するためにつくられていたが、しだいに拡充され、ユダヤロマ(ジプシー)などの民族的な非差別者、さらに精神障害者身体障害者など社会的に排除された人々が収容されるようになった。(世界史の窓)

新型コロナの陽性者は「隔離」されなければならない、いずれ「絶滅」されなければならない。ユダヤ人やジプシーや障害者と同様に。高齢者が陽性者になれば、「老人駆除」に貢献する。

*1:厚労省新型コロナウイルス感染症の国内発生動向」より作表した。

*2:児玉龍彦村上世彰が、2020年7月3日、日本記者クラブ記者会見した。村上世彰は一時世間を騒がせた投資家である。児玉は「善意」で仕事をしているのだろうが、村上はそこに「カネ」のにおいを嗅ぎつけたか?

*3:そのような事例があるのかどうか。あったとして、①信頼できる研究論文の形になっているか。②国内事例か。③国内でも「無症状の陽性者」がかなり出ているようだが、それは何人で、陽性者のうち何%か。④無症状の各陽性者は、それぞれ何人の他者に感染したか。⑤「無症状の陽性者」はずっと無症状のままか、後で「症状あり」になったか。⑥「無症状」「有症状」というときの「症状」の判断基準は何か。⑦「無症状の陽性者」、「うつされた他者」の属性(年齢、健康状態、その他、問診で聞かれるような事項)はどうか。⑧統計的に「無症状者がウイルスを排出し、他者にうつしている」という仮説は信頼できるか。(以上は、思い付きで並べたのだが…)