浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

議会と行政府のフリーハンド

神野直彦『財政学』(20)

今回は、第9章 予算過程の論理と実態 の続き として、「予算の執行」、「支出負担行為実施計画と支払計画」、「決算過程」、「決算処理」(p.130~)を見ていこうと思っていたが、後でふれることにして、第10章 予算の改革 に進むことにする。

本章は、予算改革の三つの流れ、予算改革としての国民経済計算、政策評価と事業別予算、費用・便益分析の展開、PPBSの導入と挫折、財政計画と予算政策の限界、という内容である。

本書の発行は、2007年であり、「予算改革」の話題は古いかもしれないが、神野が言わんとしたことが何であるかを、まずは理解しよう。

 

予算改革の三つの流れ

神野は、先に「古典的」予算原則とは区別された「現代的」予算原則が提唱されるようになってきていると述べていた。現代の財政運営の変化に応じて、予算手続きも変更する必要があるとの主張である。(第7章)

その改革の方向とは、行政府に裁量と責任を与え、予算手続きも多元化すべきだという点にある。「古典的」予算原則のように、議会の決定通りに財政を運営しようとすれば、財政は効率性を喪失するというのである。そこで行政府に裁量の余地を与え、期間も単年度に限定せずに運営した方が、効率的財政運営が可能となる。もちろん、その代わりに行政府に責任も持たせる。「現代的」予算制度の提唱とは、このように議会による予算統制が生じさせている非効率性を、行政府に権限と責任を付与することによって克服しようとする主張だと言って良い。(p.99)

なぜ、このようになってきたのか? 

「財産と教養」のある市民しか参加しない「近代システム」から、大衆も政治に参加する「現代システム」に転換すると、議会に様々な利益の代表者が送り込まれるようになり、議会がそれらの多元的利害を調整せざるを得なくなる。

第7章でも述べられていたが、19世紀の「近代システム」から、20世紀の「現代システム」への転換は、「財産と教養」のある市民だけでなく、大衆の政治参加によるものだという。

無産者で無教養」の大衆の代表者が議会に送り込まれるようになったという歴史の理解が必要である。財政は政治と無関係ではない。

多元的利害の調整→公共サービスの提供→行政活動の拡大というのが論旨であるが、歴史的事実を学んでいないので、何とも言えない(「ああ、そうですか」というしかない)

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https://www.fidh.org/en/region/asia/bangladesh/civil-society-decries-mass-arrests-amid-worsening-human-rights

議会が行政を限定するよりも拡大させていく。→行政府の予算執行に、フリーハンドの余地を認める
「現代的」予算原則が主張するように、行政府にフリーハンドの領域を認めるようになれば、その活動の結果責任を問われなければならなくなる。そうなると、予算制度そのものを、財政の結果責任を問うという目的に適合するように、改善しようとする動きが登場してくることになる。 

行政府にフリーハンド(自由裁量)の余地/領域を認める。これはどの国のどの時代のことを言っているのか。もちろん、20世紀になってすべての国がそうなったわけではない。日本はどうだったか。

詳細を検討していないが、現在の日本では、行政府に大幅なフリーハンドが与えられているように思う。行政府が立法の機能を果たしているように思われる。

この結果責任は、議会が決定したとおりに執行するという執行責任ではない。裁量を認められた行政活動の結果責任である。そのため行政活動の合法性ではなく、効率性という結果責任が問われることになる。 

行政府は自由裁量の領域を認められている。そこでは効率性という結果責任が問われる。

神野は、こうした予算改革の動きには、二つの意図が潜んでいるという。

第1に、議会の多元的利害の調整に役立たせるという意図…多元的利害を調整する機能を持たざるをえない現代の議会が決める予算は、多元的利害を調整する任務を負うことになる。
そのためには、予算に計画機能を持たせ、多元的利害を調整する。

議員が予算を作成するのではなく、行政府(官僚)が予算を作成する? 議員は「政策」(=予算)にどれだけ関与するのか?

第2に、行政の効率性という結果責任を明確にするという意図…議会が決定した予算を決定通りに執行するのではなく、行政府に委任する領域が拡大するとともに、行政の結果責任(効率性)を明確にする予算制度が要求される。

行政の結果責任を明確にする予算制度とは、どういうものか。決算の承認の話か?

こうした予算改革の潮流は、3つに整理することができる。(1)予算の結果が国民経済にどのような効果をもたらすのかを、明らかにしようとする国民経済予算(national economic budget)の流れである。(2)政府の実施する政策を評価する手段として、予算を改革しようとする流れである。(3)単年度主義に基づく予算に対して、長期にわたる財政計画を策定するという流れである。

この後、予算改革の潮流についての説明がある。

今回は、神野の説明に簡単にコメント(感想だが)するにとどめた。

 

※ 古典的予算原則と現代的予算原則については、以下の記事でふれた。

 

  • 2019/07/31 予算のプリンシプル(1)
  • 2019/09/08 予算のプリンシプル(2) 偽造・変造された文書を公開されてもねぇ…
  • 2019/09/28 現代財政は、予算原則を守れなくなっている?
  • 2019/11/02 原則と例外 どちらが重要か?