浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

模擬刑務所実験(スタンフォード監獄実験)

山岸俊男監修『社会心理学』(9)

今回は、第2章 社会心理学の歴史的な実験 のうち「模擬刑務所実験」(スタンフォード監獄実験)をとりあげる。

実験概要は、次の通りである。

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された、とジンバルドーは主張した。(Wikipedia

山岸は、次のように述べている。

実験を開始して間もなく、看守役は命令調の言動が増え、囚人役への侮辱行為が頻発するようになった。囚人役は受動的な言動が目立ち始め、自己否定的になった。囚人役のうち5人には、実験開始後2日で、号泣や激怒、抑うつ的症状があらわれ、実験から解放される事態になっている。そのうちの1人は心因性の全身発疹で治療が必要になった。

実験参加者たちは無作為に看守役と囚人役を割り当てられただけなのにもかかわらず、この役割から生じた社会的状況の力に飲み込まれてしまったのである。ジンバルドはこの原因の1つにアイデンティティの喪失をあげ、その後の実験で、没個性化された状況では人々の逸脱行動が増加することを検証している。

また、次のようにも述べている。

囚人役への侮蔑的行為はジンバルトの目が届かないところでより多く行われた。このことから、実験者への同調や服従ではなく、自ら役割を果たそうとするようになったと考えられる。

職場(組織)において、「役職が人を作る(育てる)」ことを見聞きしている人にとっては、上記実験は「なるほど、実験で証明されているんだ」と思うかもしれない。

しかし……

ここからが「本題」である。

 

スタンフォード監獄実験

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コメントしないが、この動画は非常に面白い。(日本語字幕に設定できます)

 

ここで、「人は環境によって悪魔になるのか あの「監獄実験」がいま再び見直されている」*1(2018/9/29、Elfy Scott)なる記事を読み、少し考えてみることにしよう。

第二次世界大戦ホロコーストをきっかけに、現代心理学では、日常とは異なる状況下で、暴力的で不道徳な人間の行為が生じる現象を理解したいという動きが生まれた。スタンフォード監獄実験は、その一端をなすものだった。

「悪意に満ちた環境に善人を放り込んだら、一体どうなるだろう? 人間性は悪に打ち勝つのか、それとも悪が勝利するのか? この獄中生活の劇的なシミュレーションにおいて我々が提示したのは、こうした疑問だった」(ジンバルドー)

1971年の実験だから、第二次世界大戦ホロコーストの記憶が色濃く残っていたものと思われる。現代の私たちには、第二次世界大戦ホロコーストは、「世界史」の勉強の一部でしかないだろうが、「暴力的で不道徳な人間の行為」が、大規模ではないにせよ日常的に見られることを考慮すれば、「スタンフォード監獄実験」は興味ある実験と言えるだろう。

心理学の世界では、スタンフォード監獄実験は、人間はある種の権威を与えられると、攻撃的に振る舞い、権力を乱用し、「邪悪」な一面を誇示できることを示す実例として用いられてきた。しかしいま、この実験とその結果の正当性が疑問視されている。

実験のどこが問題だったのか、いくつか指摘されているが省略する。

スタンフォード監獄実験と類似した実験「BBC監獄実験」を行ったハスラムライヒャーは、「人は、その役割に盲目的に従うわけではない。役割を内在化するのは、その役割を作り出す集団と自分を同一視するときだけだ」と結論づけている。

ハスラムによれば、極端な残虐行為や「非人間化」を示す出来事は、人類の歴史を通じて絶えず起きている。なかでも、ホロコーストや1994年のルワンダ虐殺のような桁外れの惨事は、指導者層の微妙な雰囲気を基盤にして生まれるという。

「指導者層の微妙な雰囲気」とは何だろうか?(想像はできるが…)

ハスラムによれば、他者集団に対して攻撃的に振る舞わせるためには、自分たちに共通のつながり、共通の基盤があると確信させる必要があるという。それが、そうした振る舞いをするモチベーションになるのだ。

先ほどの、「役割を内在化するのは、その役割を作り出す集団と自分を同一視するときだけだ」というのと同じである。

ハスラムの意見に同意したいが、権力と権威、管理と統制、性格がいかに形成されるのか、等々が関わってくると考えられるので、いささかの限定が必要なようにも思われる。

なぜこうした実験が重要な意味を持つのか? 人は役割に従い、疑問を持たずに権力を乱用するというジンバルドーによる研究結果の含意は、広範囲にわたる政治的影響を及ぼしてきたハスラムは、ジンバルドーの結論を精査する必要があると考えている。というのも、ジンバルドーの結論では、たとえ倫理的な抵抗があったとしても、人は常に権力に同調すると示唆されているからだ。「ひどい状況下に置かれた人はひどいことをするという主張も、政治的にはきわめて問題が大きいと思います。なぜなら、そう主張すれば、いっさいの行為主体性が排除され、責任が取り除かれてしまうからです」。

ハスラムは、ジンバルドーやヘイニーと公開討論を行うことができれば、権力を持つ独裁的な政権や団体に直面している場合の個人の責任について、もっと細やかな議論が交わせるのではないかと期待している。「重要なのは、歴史上の独裁政権が打倒されたきっかけは、ほぼ常に、人々が最終的に抵抗し、『それは間違っている』と言ったことにあったという点です」

アトランタで、黒人男性が警官に撃たれ死亡した事件(2020/6/12)、大坂なおみ選手が、マスクで人種差別に抗議した行動が思い出される。

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