浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

COVID-19:藤原辰史の論考(1)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(56)

今回は、藤原辰史(歴史学者)の論考「パンデミックを生きる指針」を見ていくことにします。

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起こりうる事態を冷徹に考える

甚大な危機に接して、ほぼすべての人びとが思考の限界に突き当たる。だから、楽観主義に依りすがり現実から逃避してしまう(日本は感染者と死亡者が少ない、日本は医療が発達している、子どもや若い人はかかりにくい、など)。…希望はいつしか根拠のない確信と成り果てる。

本稿執筆当時(2020/3)の欧米の「感染者」増大を見て、「甚大な危機」と表現したのだろう。現在の「感染状況」は、下図のとおりである。(3月頃の感染者と死者数に注意。いずれも7日移動平均値/100万人あたり)。

感染者数(検査陽性者数)

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死亡者数

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「日本は感染者と死亡者が少ない、子どもや若い人はかかりにくい」というのは、楽観主義に陥っていて、現実逃避しているのだろうか、甚だ疑問である。(日本は医療が発達している、というのは議論がある)。

しかし、仮に「甚大な危機」であるとしよう(今後そのような感染症が出てくるかもしれない)。人々は楽観主義に依りすがり現実から逃避してしまうだろうか。希望は根拠のない確信と成り果てるだろうか。

多くの人びとは、感染症が「危機」だということをマスメディア(の専門家)を通じて知らされる。自然災害のように身近に危機を感じることがない。COVID-19について言えば、エボラ出血熱のような「恐ろしい感染症」が世界中に蔓延している、「都市封鎖」がされている、等々。このような報道に接して、人びとは悲観主義に陥り、恐怖がいつしか根拠のない確信(恐ろしい病気だという確信)と成り果てているのではないか。(言うまでもなく「根拠のない確信」を抱かない人もいる)。

甚大な危機が到来したとき、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた。とりわけ大本営発表にならされてきた日本では、為政者たちが配信する安易な希望論や道徳論や精神論(撤退ではなく転進と表現するようなごまかしなど)が、人を酔わせて判断能力を鈍らせる安酒にすぎないことは、歴史的には常識である。その程度の希望なら抱かない方が安全とさえ言える。

大本営発表についてはそのとおりだと思うが、それと現在の「コロナ危機」を同一視できるだろうか。為政者たちが配信する安易な危機論が、人びとの判断能力を鈍らせる安酒になっていないか。それはCOVID-19がどの程度「恐ろしい病気」であるかの冷静な事実分析なしの「安易な危機論」に起因するのではないだろうか。

歴史研究者は、発見した史料を自分や出版社や国家にとって都合のよい解釈や大きな希望の物語に落とし込む心的傾向を捨てる能力を持っている。そうして、虚心坦懐に史料を読む技術を徹底的に叩き込まれてきた。その訓練は、過去に起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別することを可能にするだろう。科学万能主義とも道徳主義とも無縁だ。

科学者は、発見した事実を、自分やメディアや国家にとって都合のよい解釈や、希望/脅威の物語に落とし込む心的傾向を捨てる能力を持っている(と思いたい)。また、虚心坦懐に事実を解釈する技術を徹底的に叩き込まれてきた(と思いたい)。それは科学者のみならず、私たちすべてが持つべき教養(科学的態度)ではなかろうか。

しかし、虚心坦懐に事実を解釈することは難しい。群盲象を評す(なでる)。木を見て森を見ず。観察の理論負荷性井蛙・夏虫・曲士

事実はさまざまに解釈されうるということを認識するならば、教養ある人びとの「対話」(議論に勝つことではなく、「合意」を目指す努力)が必要である。私にはこの「対話」が決定的に欠落しているようにみえる。

私たちは、COVID-19に関して、どれほどの「事実」を知っているだろうか。マスメディアの報道する事実を「真実」あるいは「虚偽」と勘違いしていないか。SNSの報道する事実を「真実」あるいは「虚偽」と勘違いしていないか。

「非専門家」が「科学的事実」を評価することは難しい(というかほとんど無理である)。それでも、さまざまな意見を聞いて、自分の経験を考慮しながら、判断せざるを得ない。さまざまな意見(とりわけ少数意見)と「対話」(議論)の内容が報道されなければ、考えることもできない。

 

国に希望を託せるか

人びとは、危機が迫ると最後の希望をリーダーとリーダーの「鶴の一声」にすがろうとする。自分の思考を放棄して、知事なり、首相なり、リーダーに委任しようとする。

これはどうだろうか。自分の思考を放棄しているだろうか。為政者のリーダーシップを期待しているだろうか。すべての人が自分の思考を放棄しているわけではない。すべての人が為政者のリーダーシップを期待しているわけではない。(首相や都道府県知事にどれほどの人がリーダーシップを期待しているだろうか、甚だ疑問である)。「鶴の一声」で、「罰則付きの命令」を期待しているとは思えない。(もちろん、中にはそういう人もいる)。

もしも私たちが所属する組織のリーダーが、とくに国家のリーダーがこれまで構成員に情報を隠すことなく提示してきたならば、そのデータに基づいて構成員自身が行動を選ぶこともできよう。異論に対して寛容なリーダーであれば、より創造的な解決策を提案することもできるだろう。

組織のリーダーがすべての情報を把握しているわけではない。一般に、専門的情報は「官僚」が保持している。官僚のみが「忖度」して、情報隠蔽することもあるかもしれないが、通常、政府(与党)と官僚が一体となって、「情報隠蔽」、「異論に対して不寛容」となっていると思われる。COVID-19に関しては、果たしてどうだろうか。政権交代が無ければ、組織のリーダーの首を挿げ替えても、事態は変わらないだろう。

「情報公開」というのは難しい課題である。詳細な原始データや専門的情報を公開されても咀嚼できない。公開による悪影響の評価に一致が見られない。ただ単に「情報公開」せよと言っても進展はない。

「緊急事態宣言」を出し、基本的人権を制限する権能を、よりにもよって国会はこの内閣に与えてしまった。為政者が、国民の生命の保護という目的を超えて、自分の都合のよいようにこの手の宣言を利用した事例は世界史にあふれている。どれほどの愚鈍さを身につければ、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に受け止めることができるだろうか。

おそらく藤原の言いたいことは、赤字にした部分であろう。私はこれに同意する。PCR検査強制や刑事罰の話が出てきたことを考えれば、この危惧は現実のものとなるかもしれない。

しかし、日本の「緊急事態宣言が、基本的人権を制限する権能を内閣に与えてしまった」というのは、事実誤認だろう。

「緊急事態宣言」にもかかわらず「要請」でしかないならば、効果は期待できないのみならず、「私たちの生活が立ち行かなくなる、あるいは死に至る」場合があることに対する配慮が欠けている。「こんな極端なことにはならない」というのは「楽観的な希望」であるかもしれないのである。これは、そのような為政者を選んだ私たちが「愚鈍さ」を身につけている(つけさせられている)ということでもある。

 

家庭に希望を託せるか

[COVID-19が危険な感染症であるとして]国が頼りなければ、家庭に生死を決める重荷がのしかかってくる。…家庭では「濃厚接触」は免れないから運命共同体とさえいえる。…家庭が安全であるという保証はない。…家族が機能不全になったら地域に頼るしかない。しかし、不運なことに、そもそも社会的に弱い立場にある人を支える場所が、新型コロナウイルスの影響で機能が低下したり、機能不全に陥ったりしている。

COVID-19が危険な感染症であるならば、家庭が安全な場所ではないことは明らかである。「自宅療養」などありえない。政府ならびに感染症専門家の大多数は、PCR陽性者をすべて「入院」させる(現状は、施設整備の関係で止むを得ず「自宅療養」を認めている)すなわち「隔離収容」することが、感染症対策の基本であると考えているようだ(本当は殺処分したいところだが、人間であるから「鳥」のようにはいかない。いずれ、「お国のために死んでもらう」ことになるかも…)。「PCR陽性者」すべてが感染力をもった「危険人物」であるという前提は大いに疑問である。

COVID-19が危険な感染症でないならば、「自宅療養」がありうる。自宅療養者が急変して死に至る場合がありうることをもって、すべての「自宅療養者」が急変して死に至るというような誤解を与える報道をすべきではない。ただし、「自宅療養者」を放置するのではなく、医療の観点から適切なウオッチをするのは当然である。

この点に関し、次の動画を紹介しておきたい。

#278 死者急増!自宅待機者のケア、このままでいいの⁉ 長尾和宏コロナチャンネル

www.youtube.com

長尾和宏は、私が注目している医師で、いずれしっかりととりあげたい。

 

スペイン風邪新型コロナウイルス

参考にすべき歴史的事件は、「スペイン風邪」である。…1918 年から 1920 年まで足掛け 3 年かけて、3度の流行を繰り返し、世界中で少なく見積もっても 4800 万人、多く見積もって1億人の命を奪い、世界中の人びとを恐怖のどん底に陥れた(当時の人口は17億人、現在は75億人)。

当時、アジアもヨーロッパも北米大陸にも、これまであり得ないほどの人の移動があった。第一次世界大戦の真っ只中だったからである。…インフルエンザがここまで世界に広がり、多くの兵士たちが死んでいった理由として、戦争中の衛生状態や栄養状態が考えられた。…だからといって、いま、世界規模で繰り広げられるような戦争がなかったことを寿ぐ(ことほぐ)ことはできない。ここ十年の人の移動の激しさは当時の比ではない。その最大の現象は昨今のオーバーツーリズム[観光地が耐えられる以上の観光客が押し寄せる状態、観光公害]である。かつての兵士は いまのツーリストである。船ではなく飛行機で動くツーリストたちの動きは、頻度と量が桁違いだ。それが今回の特徴である。

「人の移動」と「感染症で死ぬ」ということは、「風が吹けば桶屋が儲かる」という論理である。「因果関係」軽視の雑な議論は、「愚鈍さ」を示すものだろう。ただし、「人の移動」を止めなければならない場合がある、ということまで否定するものではない。また、因果関係が証明されなければ何をしてもよい、というものでもない。単純思考で、決めつけたりしないようにしよう。

 

スペイン風邪の教訓

第一に、感染症の流行は一回では終わらない可能性があること。

ウイルスは変異する。「生命にとってウイルスとはどういう存在であるのか」の理解が必要である。

第二に、体調が悪いと感じたとき、無理をしたり、無理をさせたりすることが、スペイン風邪の蔓延をより広げ、より病状を悪化させたこと。

「無理をしたり、無理をさせたりしない」、こんな当たり前のことが忘れられている。核家族化の進行により、「おばあちゃんの知恵」(当たり前のこと)が、伝えられなくなってしまったか。また労働環境の変化により「おばあちゃんの知恵」が、生かされなくなってしまったか。

第三に、医療従事者に対するケアがおろそかになってはならない。…世界現代史は一度だって看護師などのケアの従事者に借りを返したことはない。

エッセンシャルワーカーという言葉がある。しかし、言葉に反して、処遇が十分ではないことが多いようだ。

第四に、政府が戦争遂行のために世界への情報提供を制限し、マスコミもそれにしたがっていたこと。これは、スペイン風邪の爆発的流行を促進した大きな原因である。情報の開示は素早い分析をもたらし、事前に感染要因を包囲することができる。

私は、COVID-19に関し、「偏った情報の提供(開示)」、「疑義のある統計」を強く感じている。これではまともな判断をできない。

第五に、スペイン風邪は、第一次世界大戦の死者数よりも多くの死者を出したにもかかわらず、 後年の歴史叙述からも、人びとの記憶からも消えてしまったこと。…新型コロナウイルスが収束した後の世界でも同じことにならぬよう、きちんとデータを残し、歴史的に検証できるようにしなければならない。…危機脱出後、この危機を乗り越えたことを手柄にして権力や利益を手に入れようとする輩が増えるだろう。醜い勝利イベントが簇生するのは目に見えている。…人類は、農耕と牧畜と定住を始め、都市を建設して以来、ウイルスとは共生していくしかない運命にある。

私は、きちんとしたデータが残されるということに関しては懐疑的である。なぜなら、例えば「死者」の定義、「重症者」の定義、「感染者」の定義がいい加減では、到底「きちんとしたデータ」とは言えないだろう。GIGO

感染が終息/収束すれば、「醜い勝利イベントが簇生する」。確かに。

「人類は、…ウイルスとは共生していくしかない運命にある」。確かに。「ウイズ・コロナ」などという安っぽいカタカナ語ではなく、「生命体はウイルスと共にある」という科学としての「生命論」を理解すべきである。 

第六に、政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされること。…疑心暗鬼が人びとの心底に沈む差別意識を目覚めさせている。これまで世界が差別ととことん戦ってきたならば、こんなときに「コロナウイルスをばら撒く中国人はお断り」というような発言や欧米でのアジア人差別を減少させることができただろう。あるいは、政治家たちがこのような差別意識から自由な人間だったら、きっと危機の時代でも、人間としての最低限の品性を失うことはなかっただろう。そしてこの品性の喪失は、パンデミック鎮静化のための国際的な協力を邪魔する。

自国第一主義にふるまっていては(例えば検疫強化、鎖国)、問題の解決にはならない。「国際的な協力」が必要なことは言うまでもない。しかし、そのような話が聞こえてこない。

他国の現状、対策、分析評価の報道がほとんどない。

差別意識」がどこから生じてくるのか? 「疑心暗鬼」などというものではあるまい。私はまだ確信を持っていないが、「差別意識」の根源には「免疫機構」という生命原理が関係しているのではないかと考えている。

第七に、アメリカでは清掃業者がインフルエンザにかかり、ゴミ収集車が動けなくなり、町中にごみがたまったこと(清掃崩壊)。

第八に、為政者や官僚にも感染者が増え、行政手続きが滞る可能性があること。

当然、感染拡大により、多方面に影響が出る。

 (続く)