アルフィ・コーン『競争社会をこえて』(17)
今回は、第3章 競争はより生産的なものなのだろうか-協働の報酬 第2節 競争がなにもならないものだという説明 の続き(p.101~)である。
資源のより効率的な利用は、競争ではなく、協力によって可能となる。
食品ロスと飢餓の現状(市場競争の結果?)を考えれば、資源のより効率的な利用が求められていることが理解されよう。
集団というものは、成員の総和以上のものである。協力のほうが、それぞれの成員の備えている技能を上回るケースはとても多い。労力を調整しあったり、分業したりすることが可能になる。
労力の調整(忙しい人を手助けする)や分業(私たちの社会は、巨大な分業によって成り立っている)は、「協力」の取り決めによる。競争は成員をバラバラにする方向に働く。
非協力的なやりかたは、いつも2倍の労力を必要とする。自分一人で取り組むには、誰か別の人が既に克服してしまったような問題に、時間と能力を費やさなければならない。
科学者たちが互いに競争しあうのではなく、互いに才能をプールしあうならば、技術的な欠陥も、想像力を駆使することによって、もっと早く解決されるのではないか。
解明された事実、ノウハウなどを共有する仕組み(協力の仕組み)がないのは、大いなる時間と能力の無駄である。
競争している人たちは、競争から十分な恩恵を受けることができるように互いに好意をよせたり、信頼しあったりすることがない。
好意と信頼は、共生社会の必須倫理だろう。
自分が他人に受け入れられていると感じている人々は、安心してもっと自由に問題点を探り、危険をおかし、可能性に賭けることができるのだと思っている。
共通課題に取り組むにあたり、自由に問題点を探ったり、リスクのある可能性に賭けることの是非をフランクに話し合える組織である必要がある。
競争は楽しいものではないために、作業の遂行を遅れさせてしまう。競争はすぐれた業績を引き出してくれるものではないばかりか、明らかに不安を醸し出す大きな原因になる。不安があると、遂行される作業の質の低下につながる。行動心理学の流れに属するある研究では、競争を、電気ショックときわめてよく似た嫌悪感を催す刺激とみなしている。
競争は不安を生み出す。「嫌悪感を催す刺激」とはうまい言い方だ。競争を賛美する者は、「勝たねばならない」という強迫観念に駆られているようにみえる。
競争を擁護する人々は、競争が不安を生み出すことを決して否定しない。むしろ彼らは、不安があったほうがよりよく作業を遂行するように動機づけるのだと主張する。
「ヤークス・ドッドソンの法則」は、どんな仕事も適度なレベルの刺激を受けるのであり、そのレベルは仕事が複雑で困難なものほど低いのだと主張する。けれども多くの場合、競争によって、抑えがたいほどの不安が生み出されるように思われる。ストレスが溜まってしまった競争的な状況においては、失敗を避けるように促すのがせいぜいなのである。そして失敗を避けようとすることと成功しようとすることとは、決して同じではない。
競争を擁護する人たちの意見も聞いてみなければならない。
ヤーキーズ・ドットソンの法則(Yerkes–Dodson law)
人は、多少のストレスがあると注意力が高まり作業効率(パフォーマンス)が高まるが、逆にストレスが高すぎると作業効率は落ちていくという法則である。
パフォーマンスを上げるためには、簡単な作業では比較的大きなストレス、複雑な作業の場合には低めのストレスが向いている。例えば、まったくの無音の環境より、小音で音楽を聴きながら作業すると効率が上がるという経験がある方もいるだろう。これは音楽が小さなストレスとなり、簡単な作業の効率を上げていると言うことができる。
ヤーキーズとドットソンの二人はネズミを迷路に入れ電気ショックを与えるという実験を行った。わずかな電気ショックの場合にはネズミは通常の状態よりも迷路の出口に早くたどり着くことができたが、電気ショックが強いとただ逃げて走り回るだけだった。このことから適度なストレスは目の前のタスクに集中させるために効果的だとわかった。
(世界と日本のUX | BLOG、https://uxdaystokyo.com/articles/glossary/yerkes-dodson-law/)
上の図を見れば、コーンが「どんな仕事も適度なレベルの刺激[ストレス]を受けるのであり、その[刺激の]レベルは仕事が複雑で困難なものほど低い」というのが理解されよう。すなわち、複雑な仕事(作業)に対して、過度なストレスを与えることは、(不安が生みだされ)作業効率を低下させる。
もっとも、簡単な作業と複雑な作業を明確に区分することはできない。個人差もあることであり、頂点(分岐点)がどこにあるかは一般的に定めることは困難である。
「競争的な状況においてはストレスが溜まる」ということであれば、作業効率は落ちると言っても良いだろう。
ジョン・アトキンズによれば、「失敗を避けようとする傾向は、……業績をあげようとする活動を企てる傾向に逆に作用し、それを挫くように作用する」
自分には勝利をおさめるチャンスがほとんどないと思い込んでいる人たちにとって、競争は、そのような人たちの業績を著しく低いものにしてしまう。
競争環境は、「自分には勝利をおさめるチャンスがほとんどない」と思い込む人を生み出す。そしてそう思い込まされた人の業績は低いものとなる。
競争が不愉快だと考えている人々に対する競争的な文化の対処の仕方は、「失敗を恐れている」といって非難することである。こうした言い方をする人は、競争に反対するただ一つの理由が恐怖感であると仄めかすことが多い。
競争を擁護する多くの人々は、「プレッシャーに耐えられないのなら、そんな負け犬は消えてしまえ」と言いながら、敗北する恐れのあるシステムを擁護するのである。
「失敗を恐れている」というのは侮蔑の言葉である。競争を不愉快だと考える人は、そのような侮蔑の言葉に、「野蛮」を感じるであろう。
競争を擁護する人は、自分が負け犬になる可能性のあるシステムの擁護者でもあることを自覚し得ない。
あるいは自覚しつつ、競争を擁護している。いったい何のために?