日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」(2020/4/19)で、「融通念仏縁起絵巻」が紹介されていた。これは、天然痘の蔓延の様子を描いたもので、「仏の加護により押し寄せた疫病を払いのける事ができた」という物語であるそうだ。
融通念仏縁起絵巻*1(清凉寺本)https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/M2878JG256/
山本聡美(美術史学者)は、次のように解説している。
仏事を行っている道場の門のギリギリまで疫病[鬼]たちが大勢押しかけている。ありとあらゆる姿をした疫病に対して、家の主が一巻の巻物を示している。その巻物には念仏の仏事に参加している人たちの名前が記されている。つまり参加者名簿なんです。ここにはこれだけの人がしっかりと念仏をしているので、お前達の来るべき場所ではないと諭すと、疫病たちは念仏の功徳に感じ入って、1人1人の名前の下にサインを残して、この人たちには悪いことはしないと約束して退散していったというストーリー。そこに、疫病が押し寄せたが、仏の加護によって押し戻すことができた、という一連のストーリーによって鬼たちの姿が和らげられ、ユーモラスに語られる。物語の中に恐れが回収されていくという役割があった。
私はこの話を聞き、(1)疫病=鬼、(2)仏の加護 について、ストーリーとは関係なく、ちょっと考えてみることにした。
*****
疫病は「鬼」なのか?
絵巻の鬼の表情は実に豊かである(わかりにくかったら拡大してみて下さい)。すべての鬼が、疫病という言葉で想像するような「悪鬼」の表情であるわけではない。何故か? 鬼たちは、必ずしも「恐れおののくような怪物」ではないのではないか。鬼たちの表情を見ていると、「退治すべき鬼ではないのかもしれない」との思いを抱かせる。ウイルスを「退治すべき鬼」と決めつけることは、「人間中心主義」だろう。ウイルスは、人間を敵とも味方とも思っていない。台風は、人間を敵とも味方とも思っていないのと同様である。
だから、絵巻に出てくる鬼たちは、人間たちを試しているのだとさえ思えてくる。私たち(鬼=ウイルス)のたくさんの仲間は、人間の体を住処にしている。「あんたの都合で、私たちを分断しないでくれ」
仏の加護
ワクチン接種を「仏の加護」と考えるのは安易だ。鬼(ウイルス)たちは、道場に入る(人に感染する)前に退散している。鬼たちは、なぜ「念仏の功徳」に感じ入ったというのだろうか。念仏を唱えているのは人間であるのに…。では、人間たちが「鬼を退治してくれ」と仏に頼んだのか。しかし仏は、人間も鬼(ウイルス)も差別しない。人間の身勝手な要求を聞き入れることはない。ではなぜ退散したのか? それは「来るべき時」が来たからに他ならない。(いかなる生物も、来るべき時が来たら死ぬ。)
以上、絵巻物のストーリーとは関係ない私の解釈でした。