浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

租税とは「社会共通の費用を賄うための会費」である。

神野直彦『財政学』(23)

今回は、第4章 租税 の続き(p.151~)である。

 

租税とは

神野は、「租税とは、政府が公共サービスを供給するために、強制的に無償で調達する貨幣である」という。

強制というのは、「政治システムが独占している暴力を背景に調達する」からであり、無償というのは、「反対給付への請求権が無い」からである、とされる。この説明には違和感があるが、後で述べることにしよう。

 

租税根拠論

現代の民主主義社会では、公共サービスの供給の財源として、租税は当然のように思えるが、租税の根拠論として、租税利益説と租税義務説の2つが主張されてきた。

神野は、租税の根拠論がなぜ必要とされたのかを次のように説明している。

財産の私的所有を保障している市場社会の政府が、自ら保障している私有財産から、強制的に無償で貨幣を調達することは、自己否定を意味する。そこで市場社会の政府が貨幣を調達することの正当性を弁明しなければならなかった。

市場社会の政府は、各人の私有財産を保証している。そのような政府が、各人の私有財産(給料や預金など)から強制的に無償で、税金という形で貨幣を調達することは、自己否定ではないかというわけである。

これが自己否定ではないという説として租税利益説と租税義務説の2つがあるという。

 

租税利益説

17世紀中頃から19世紀初頭にかけて、イギリスやフランスで唱えられた。社会契約説的国家観を前提にしている。社会契約説的国家観は、構成員の共通目標を追求する目的団体として国家を考える。

こうした社会契約説的国家観からは、政府活動が国民に与える利益の対価として、租税を正当化しようとする租税利益説が生まれる

利益説のいう利益とは、個別報償を意味するのではなく、一般報償を意味している。もし利益説のいう利益が個別の利益を意味するとすれば、反対給付の請求権が無いという無償性に反してしまう。利益説のいう利益とは、社会契約を結ぶことによる一般報償なのである。 

政治思想としての社会契約説はいずれ詳しく取りあげたいと思っているので(=不勉強なので)、ここでは神野の説明に限って、思うところを述べることにする。

国家を「構成員の共通目標を追求する目的団体」と考えるのは興味深いが、「構成員の共通目的」を規定することは、内容的にも手続き的にも難しい。仮にそのような共通目的が定められたとしても、それを達成する手段に関して合意を得ることがまた難しい。

「政府活動が国民に与える利益」という表現には、「政府」と「国民」が相対している=商取引の契約当事者であるという擬制があるように感じられる。

利益とは、個別報償ではなく、「社会契約を結ぶことによる一般報償」と言っても、抽象的でよくわからない。国民は、税金を納めるから、政府は「国民全体の利益になること」をせよ、という意味だろうか。政府が「国民全体の利益になること」をしなければ、税金を納める必要が無いというのだろうか。 

このような租税利益説が租税の根拠となるのだろうか。いずれにせよ、租税を一般報償との交換取引と考える考え方には賛同できない。

 

租税義務説

19世紀後半のドイツで主張された。有機体的国家観に基づいている。有機体的国家観からは、国家目的のための納税は、国民にとっての当然の義務と主張される。日本国憲法も租税義務説に立ち、第30条で納税を国民の義務として規定している。

しかし、租税義務説は、租税の根拠そのものを、弁証[論証]したとは言い難い。租税の根拠は何かという問いに対して、それは義務だからだと言ってみても、トートロジー(同語反復)に過ぎないからである。

 

国家有機体説とは、

国家を一種の有機体すなわち、各構成部分をこえた統一的組織体とみなす団体主義的学説。それは、国家という団体を重視する点で独立の個人を思考の前提とする個人主義的国家観 (→原子論的国家観 ) と対立し、また国家を共同体であるとする点で国家を権力機構とみなす国家観とも対立する」(ブリタニカ国際大百科事典)

中世の封建的身分秩序原理を理念化した国家有機体説。国家は部分が先にあってそれから組み立てられたカニズム(機械)ではなく、神から与えられた内在的目的をもったオルガニズム(有機体)であるとされた。そして中世の身分秩序が人体の機能の差異によって説明され、不平等な人間関係が有機体説によって正当化された。…自然法思想から導き出された人民主権論に対抗して国家有機体説が保守主義勢力によって支持された。それは、当時飛躍的発展を遂げつつあった自然科学の権威を借りて国家を生物有機体との類推で説明し、君主主権を正当化した。(安 世舟、日本大百科全書

先の社会契約説と同様に、政治思想としての国家有機体説は興味深いが、深入りしない。

このような有機体的国家観に立ったからといって、租税が「当然の義務」とはならないだろう。憲法が納税を「国民の義務」としているからといって、国家有機体説に依拠しているとは考えられない。

 

租税の意義・根拠

租税の根拠の説明としては、中村弘(税務大学校 研究部教育官)の説明*1がわかりやすい。

利益説については、

社会契約説的な国家観を背景として、租税は国民が国家から受ける利益の対価とみる考え方である。しかしながら、国家と国民の関係について私的経済関係を前提として捉えている点で問題があり、政府の支出が国民の利益にならないものであれば租税を払う必要はないというような危険な考え方を内包しているものともいえる。

義務説については、

国家は個人の意思をこえた必然であり、個人は国家なくして存在しえないとする権威的国家観と結びついて、国家は当然に課税権を有し、国民は当然に納税義務を負うものとする考え方である。

国家の権力的側面を強調しすぎるあまり、民主主義国家においては説得的とはいい難い

では、どのように考えるべきなのか?

近時においては両者を止揚する形で、国家は国民の自律的団体であり、その維持や活動に必要な費用は国民が共同の費用として自ら負担すべきものとして、民主主義的租税観により租税の根拠を示す考え方が有力とされてきた。このような考え方は、…租税が社会共通の費用を賄うための会費であるとの解釈を示したものともいえる。*2

中村の考えはこうである。

現在のわが国が国民主権の民主主義国家であるという観点を重視したうえで、敢えて次のような考え方を提示しておくこととしたい。

租税は、自らの国民福利を確保するために、主権者である国民が自らに課した「社会的責任」であり、決して権威的な国家から無理やり負わされたものではない。

国民が受ける福利は、国民各自の個人的選好によって決められるものではなく、民主主義国家においては民主的手続きを経て社会全体の選好として収斂されるべきもの、すなわち国家が与える福利は基本的に個人宛のサービスではなく社会全体の安定と安全であることから、個人の選好が充足されないからといって租税を免れることは許されることではない。しかしながら、政府の行動が国民の福利に反するものであれば、当然のことながら租税への反発が生じることとなる。主権者としての責任を国民が納得できるような政府の存在こそが、納得できる納税の大前提ということではなかろうか。

冒頭、中村はこう言っていた。

政府が担うべき公機能の中身についての精査こそが必要というべきではなかろうか。市場原理や経済効率性のみが一人歩きするような社会では、自らの生活の安定や安全は確保できないということを国民は実感しつつある。 

 

現代の民主主義国家においては、租税を「社会共通の費用を賄うための会費」とする考え方こそ最も適切であるように思える。そして社会共通の費用とは、自らの国民福利を確保するためのルール制定、諸施策の実施のための費用であり、これらを民主的手続きで定めるべきであるということになろう。

冒頭、神野は「租税とは、政府が公共サービスを供給するために、強制的に無償で調達する貨幣である」と言っていたが、「租税とは、社会共通の費用を賄うための会費である」と言うほうが、民主主義国家にふさわしいだろう。

もっとも、民主的手続きで、「富国強兵」(経済成長&軍事力強化)を目指すことが望ましいとは思わないが…。

 

ここまでで触れなかったが、税制はグローバルにも考えるべき問題である。

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https://www.world-psi.org/en/un-report-says-global-tax-system-needs-urgent-reform

*1:https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/kenkyu/ronsou/51/03/hajimeni.htm

*2:「これらの他にも、国家を国民の生命・財産を保護する保険者に例え、租税をその保険料であるとする考え方や、国家と国民を互酬的関係として位置づけ、租税を社会的交換として捉えようとする考え方などもみられる」としている。…国民健康保健における保険料と保険税の違いを考えることは、租税が何であるかを考える手助けとなろう。