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COVID-19:超過死亡/過少死亡について

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(71)

※ 当ブログのCOVID-19関連記事リンク集 → https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2021/05/06/210000

COVID-19は、どれほど危険な病気なのか。人がバタバタ死んで、日本全体の死者数が激増しているような状況なのだろうか。

COVID-19の死亡により、過去の平均的な死亡数を大幅に超過しているようであれば、危険な病気と言えるだろう。これを見るために、「超過死亡」が参考になる。今回はこの「超過死亡」について見ていきたい。

以下は、感染研の記事による。*1

  • 超過死亡数および過少死亡数とは、「過去のデータをもとに統計モデルから予測された死亡数」と「実際に観測された死亡数」の差である。

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https://exdeaths-japan.org/graph/weekly/

  • 青の棒グラフが観測死亡数。点線が予測死亡数*2(過去のデータをもとに統計モデルから予測された死亡数)で、上下の実線が予測の上限と下限*3
  • ⊕(+記号)は、観測死亡数>予測死亡数(上限)(=超過死亡数)の週、⊖(―記号)は、観測死亡数<予測死亡数(下限)(=過少死亡数)の週。

・上図は「日本全体」であるが、「東京都」は、

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2017年、2018年、2019年いずれも、1,2月の週に「超過死亡」となっているが、2020年の1,2月の週は「過少死亡」となっている。だとすると、2021年の1月の週の「超過死亡」は、「本当に新型コロナの影響なのかな?」と思ってしまう。「よくわからない」というのが正直なところである。(その他の府県については、各自チェックしてみて下さい)。

細分化していけば、超過死亡、過少死亡が目立ってくるが、日本全体で見れば、平準化されて目立たなくなる。このとき、全体に焦点を合わせて「何も問題はない」と言うか、部分に焦点を合わせて「大変だ」と言うか。いずれにも目配りすることが必要だろう。

 

累積の死亡数(日本全体)のうち、超過死亡数は、

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観測死亡数―予測死亡数=23,796人。観測死亡数―予測死亡数(上限)=超過死亡数2,562人となっている。

 

累積の死亡数(日本全体)のうち、過少死亡数は、

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観測死亡数―予測死亡数=53,196人。観測死亡数―予測死亡数(下限)=過少死亡数5,694人となっている。

ネットで3,132人(=5,694-2,562)の過少死亡数となっています。すなわち、上の数字を見る限り、

2020年1月~2021年1月の日本全体の死亡数は、新型コロナの狂騒にもかかわらず、新型コロナ前の年平均死亡数よりも減少していた。

と言えそうである。(都道府県の数字は、各自チェックしてみて下さい)

 

感染研は、この「超過死亡数」「過少死亡数」がどのように解釈されるべきか、次のように述べている。

現在、超過および過少死亡数の算出において死因の区別はされていません。そのため、示されている超過死亡数の内訳には、新型コロナウイルスに関連する死亡数と、関連しない死亡数の両方が含まれていると考えられます。

このことから、「超過死亡がある」ことは「新型コロナウイルスによる死亡がある」ことを必ずしも意味するわけではなく(新型コロナウイルスに関連しない死亡により超過死亡が生じている可能性がある)、同様に、超過死亡がない」ことも「新型コロナウイルスによる死亡がない」ことを必ずしも意味しない新型コロナウイルスによる死亡があるが、新型コロナウイルスを直接の原因としない死亡数の減少により相殺されている可能性がある)ことにご注意ください。

上記引用の「このことから」以下の文章を次のように言い換えてみよう。

このことから、「超過死亡がない」ことは「新型コロナウイルスによる死亡がない」ことを必ずしも意味するわけではなく(新型コロナウイルスによる死亡があるが、新型コロナウイルスを直接の原因としない死亡数の減少により相殺されている可能性がある)、同様に、超過死亡がある」ことも「新型コロナウイルスによる死亡がある」ことを必ずしも意味しない新型コロナウイルスに関連しない死亡により超過死亡が生じている可能性がある)ことにご注意ください。

論理的には全く同じであるが、記述の順序が違うと、受け取り方が違ってくる。後にくるほうが印象に残る。

だから、書き手は超過死亡があることを言いたかったのであるが、意に反した結果になったので、<「超過死亡がない」ことは「新型コロナウイルスによる死亡がない」ことを必ずしも意味するわけではない>ということを強調しているのだと思われる。(これがレトリックというものか)。

 

感染研は、また次のように述べている。

また一般に、超過および過少死亡はコロナ以外の感染症や気温の変化、あるいはその他の偶発的な要因によっても生じます。

新型コロナウイルス流行期(2020年1月以降)においては、…例年より増加している死因(例えば、外出自粛等に伴う病院不受診や生活習慣の変化に伴う持病の悪化による死亡)と、例年より減少している死因(例えば、他の感染症による死亡)が混在している可能性が高く、新型コロナウイルスの感染拡大による間接的な影響も含まれています。より詳細には、今回算出されたすべての死因を含む超過死亡数は、以下の内訳等の死亡の総和と解釈できます。 

私は、週毎の超過死亡・過少死亡のグラフは、「週毎に」かつ「死因を問わない」ことにしているところに意義があると考える。「週毎」というのは、季節変動を考慮するということである。季節変動を考慮せずに、増えた・減ったというのはあまりに雑な議論である(マスメディアの報道を想起しよう)。「死因を問わない」というのは、死亡の複合要因の問題を(ある程度)排除しているのではないかと思われる。

「以下の内訳等の死亡」(引用省略)として何項目があげられているが、いずれも測定不能な可能性を列挙しているだけで、何か弁明のように聞こえる。そうではなく、さまざまな可能性としての複合要因を捨象しているところに意義があるのではないかと思う。

 

Our World in Dataのグラフ

 

※ 別記事にします。

shoyo3.hatenablog.com