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COVID-19:「ウイルス」と「トランスポゾン」

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(73)

※ 当ブログのCOVID-19関連記事リンク集 → https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2021/05/06/210000

ウイルスを「病原体」としてしか見ない偏向した見方を改めることが必要であろう。

今回とりあげるのは、中屋敷均『ウイルスは生きている』の第2章 丸刈りのパラドクス のうち、「ウイルスの境界領域 その1 転移因子(pp.68~79)である。(その2 キャプシドを持たないウイルス は次回の予定)。

私は無知なので、トランスポゾンを知らなかったのだが、本書を読んで、実に面白いと思った。

転移因子

多くの生物種における近年のゲノム解読によって、様々なタイプのウイルスが、生物ゲノムすなわち核内の染色体DNAに侵入していることが明らかになった。そのような配列は、総称して内在性ウイルス様配列EVE:Endogenous Viral Element)と呼ばれている。EVEにはゲノムに侵入することで有名なレトロウイルスだけでなく、DNA型のウイルスもあれば、RNA型のウイルスもあり、細菌から動物・植物といった高等真核生物に至るまで、幅広い生物種のゲノムに普遍的に存在している。

このEVEとよく似た存在に転移因子*1と呼ばれる一群のDNA配列がある。この転移因子という用語は、トランスポゾンや挿入配列(IS:Insertion Sequence)といった名前で研究されてきた遺伝因子の総称である。

これら転移因子の特徴は、ウイルスとは違い病気を起こすことではなく、文字通り、一定の長さの配列がゲノムDNA上を「転移する」(動く)ことである。つまり核内のゲノムDNA中の特定のDNA配列が、元いた場所から飛び出して、別の場所に引っ越しするようなことを行う。

この転移因子にはDNAトランスポゾンレトロトランスポゾンという2種の大きなグループがあり、前者ではDNA配列がそのまま移動するのに対し、後者は転移の中間体にRNAを使用することを特徴としている。

 

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https://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/virus/research_L1.html

 

この転移因子はウイルスとの境界が明確ではない。中屋敷は、例として、転移因子の一種であるLTRレトロトランスポゾン*2レトロウイルス*3の関係を、模式図により説明している。

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(図は、アルファベット3文字で表記されていたが、理解しやすいように日本語に置き換えた)

この二つは保有する遺伝子の名前も遺伝子構成も瓜二つである。違いは、レトロウイルスがエンベロープ(ウイルス粒子の外殻)をつくるための env という遺伝子を付加的に持つことだけである。…この二つとも自身のRNAから逆転写によってDNAを合成し、それを宿主のゲノムDNAに挿入するというプロセスを持っている。従って、一つの細胞の中での挙動は、レトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンとの間にはあまり差が無く、エンベロープを使うことにより細胞外に出て、新たな細胞に感染できるというレトロウイルスの性質のみがLTRレトロトランスポゾンとの主要な差異である。

一方は他の細胞に移動することができるが、他方は一つの細胞内の移動にとどまる。これは明白な差異である、と言えるかどうか。

いろんな生物のゲノム配列をつぶさに見ると、その中にはenvが変異したことにより壊れて機能しなくなっているレトロウイルスが多数見つかる。この場合、これらの変異ウイルスはLTRレトロトランスポゾンとしての活性は保つものの、当然、他の個体に対する感染性は持たない。では、これらの変異遺伝子はレトロウイルスなのか、あるいはレトロトランスポゾンなのであろうか?

生物はどのように分類されるのか。

通常の生物(ウイルスを含む)の体系的な分類であれば、感染する/しない、光合成する/しない等の特定の生物学的特徴だけに頼るのではなく、例えばリボソームRNAのような多くの生物が共通して持っている遺伝子配列の類似性から進化的な関係を解き明かす、分子系統解析という手法が用いられる。これは進化的な関係が近ければ、保有する遺伝子の配列も似ているはずだという考え方に基づき、遺伝子配列の類似性を数値化することで、系統関係を推定する方法である。この方法を用いれば、例えばラフレシア光合成をしなくても植物に分類されるし、ユーグレナの場合は、エクスカパータという植物でも動物でもない分類群に属すことになる。

この手法を用いて、昆虫と哺乳類のレトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンの系統解析を行うと、

レトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンが、まず大きく分かれるのではなく、昆虫の因子と哺乳類の因子とが大きく分かれた後に、それぞれの中にレトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンが存在するという関係になる。

これはどう解釈されるのか。

この結果は、レトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンの共通祖先のようなものがあり、それが昆虫と哺乳類の進化に合わせて分化した後に、それぞれのグループ内でレトロウイルスになったり、LTRレトロトランスポゾンになったりしたことを示している。

このようなことを考えあわせると、レトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンは系統的な意味では一つの集団という理解が正しいように思える。つまり、レトロウイルスは細胞外に出るようになったLTRレトロトランスポゾンとも言えるし、LTRレトロトランスポゾンを細胞から出ないレトロウイルスというふうに考えることもできる。

外に出ればウイルス、内にとどまればトランスポゾン。(ステイホーム !?)

このレトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンの関係は極端な例ではあるが、近年見つかったマーベリックやポリントンと呼ばれるDNA型の転移因子たちもDNAウイルスに限りなく類似しており、ここで述べてきたことと同様の問題が発生している。

しかし、また一方、転移因子の中には、明らかにウイルスとは異なっているものが存在しているのも事実であり、すべてを一つのグループにすることも難しい。さて、その境界をどこで引くのか?

ウイルスを「病原体」として一方的に排斥するのではなく、「ウイルスとトランスポゾンは地続きである」と認識すべきかと思われる。生命の根幹に関わる事象。

*1:転移因子は1950年前後に、アメリカの植物遺伝学者バーバラ・マクリントックによって初めてその存在が提唱された。彼女の「動く遺伝子」仮説が、細菌を用いた研究の進展により分子としての実体が明らかにされ、1983年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。(本書)

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https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/5552/

*2:レトロトランスポゾン…トランスポゾンつまり「可動遺伝因子」の一種であり、多くの真核生物組織のゲノム内に普遍的に存在する。レトロトランスポゾンは、自分自身を RNA に複写した後、逆転写酵素によって DNA に複写し返されることで移動、つまり「転移」する(wikipedia)。LTR(long terminal repeat)は、末端反復配列。

*3:レトロウイルス…RNA (リボ核酸 ) を遺伝子とする RNA型ウイルスの仲間で,RNAを鋳型にして DNA (デオキシリボ核酸 ) を合成する酵素 (逆転写酵素) をもつウイルス群の総称。逆転写酵素の働きにより,ウイルスの遺伝子である RNAが DNAに姿を変えて宿主細胞の染色体 DNAに組込まれる点が最大の特徴である。動物に癌を発生させる腫瘍ウイルスの多くがこのグループに属しており,成人T細胞白血病ウイルス HTLV-1はその代表例である。エイズの原因となるヒト免疫不全ウイルス HIVもレトロウイルスの1種。(ブリタニカ国際大百科事典)