浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

COVID-19:コロナ言説と政治経済イデオロギー

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(75)

※ 当ブログのCOVID-19関連記事リンク集 → https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2021/05/06/210000

新型コロナを巡っては、さまざまな言説がある。これを下図のような、政治的自由度と経済的自由度を軸としたチャートに位置づけて見るのも一興である。

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出典:東洋経済 2010年8月14-21日号

上記チャートの前のページに質問表があり、それの結果から自分の考え方の傾向をプロッティングするという熱の入れようだ。

上記のチャートの、1.リベラリズム、2.リバタリアニズム、3.コミュニタリアニズム、4.コンサバティズムの4つの象限で捉える考え方は、いままでのたとえば妊娠中絶にプロかコンか(賛成か反対か)の2元論よりは、ずっと考えの多様性があらわせると思う。

ちなみにリバタリアン自由至上主義者)はパターナリズム(父親的温情主義、たとえばオードバイに乗るときにヘルメットをかぶれというような規制)、道徳的規制(たとえば売春禁止法)、所得や冨の再分配の拒否が特徴だという。(http://jitandokusho.livedoor.biz/archives/1563641.html

 

東洋経済のこの簡潔なまとめは、なかなかの優れものである。

私は自分の思想的立場を固定していないので何とも言えないのだが、経済的自由度に関してはマイナス寄り(平等重視)、政治的自由度に関してはゼロ近辺(個人の自由も、「共同体」も重視)になるのかなと思っている。

 

私は、上図のどこかの立ち位置から、COVID-19対策を考えるということをしない(政治経済イデオロギーが先にあるのではない)。私は、「COVID-19という感染症の拡大をいかに予防するか」というところに関心があり、先入観なしに、いろんな人の意見を聞き、自分なりに考えてみたいと思っている。

 

これまでの対策の推移をみていて(ほぼ日本だけであるが)、(私にとっては、意外なことに)左派系とされる人たちの言説よりも、右派系とされる人たちの言説のほうが説得力があると感じられた。(但し、「反中国」、「国粋主義自国第一主義)」のイデオロギーには賛同できない)。

 

「治療」ではなく、感染予防のための「隔離」が最大の論点であろう。(まず第一に考えるべきは、当該感染症がどれほど危険かを判定することかもしれないが、措いておく)

その際、隔離対象者の識別、隔離手段、隔離期間、隔離の実効性確保、社会経済的影響、医療体制、偏見・差別の防止、補償、財政措置等々、考慮すべき事項が多々ある。こういったことを真剣に考慮せず、思いつきの提言(対策)をしたり、無意味な要請をしたり、「接触を減らす」とか「人流を止める」とか、効果測定もできない非現実的な「子供だまし」には、ほとんどの人が気付いているだろう(だけど、公には口にできない)。

 

私は、危険な感染症の感染予防のための「隔離」は必要だろうと考えている。それは、下手するとファシズムにつながる「統制」に至るのだが、そうではなく、道路交通法の法的規制に類したきめ細かいルールを定めればよいのではないかと考えている。ここに、政治経済イデオロギーが出る幕はない。

 

まともにデータ分析をしない(検査陽性者数のみの分析にどれほどの意味があるのだろうか)。データ分析をしないで対策を考える。政策の効果分析をしない。政策がもたらした実際の損害の分析をしない。

「子供だまし」の相関関係の図を示して、陽性者数が減少すれば、政策の効果を自慢し、陽性者数が増大すれば(減少しなければ)、「国民の気の緩み」とする政府・感染症専門家の言説を何と言うべきか。

 

8割おじさんが、新しいシミュレーションを公開し、8月はじめに再び緊急事態宣言を出すレベルの流行が起きると予測しているそうだ*1。歴史は繰り返す?