浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

高齢世代と現役世代の支えあいは可能なのだろうか?

香取照幸『教養としての社会保障』(22)

今回は、第6章 【国家財政の危機】次世代にツケをまわし続けることの限界 の続き である。

本章は、社会保障と国家財政について考えるものであるが、次のような項目からなっている。

(1)巨額の財政赤字―世界最大の債務大国

(2)財政赤字はどこから生まれる? 最大の歳出項目は?

(3)財政赤字削減、どうやって実現する?

(4)経済成長と財政再建―まぜ基礎的財政収支が重要なのか

(5)大きすぎる財政赤字のもう一つの弊害―政府の機能不全

(6)社会保障の財源と国家財政

(7)社会保険料負担―企業負担は重いのか、軽いのか?

 

今回は、(5)と(6)である。

「量入制出の原則」と「量出制入の原則」

大きすぎる財政赤字になると歳出削減圧力が大きく働き、新たな政策課題に取り組もうと思っても、おカネがないから、政策選択の幅が狭くなる。政府の政策遂行能力を奪う。

子ども世代へのツケ回しを避けようと思えば歳出削減は一つの方策である。そうすると、政策選択の幅が狭くなる。端的に言えば、カネがないから出来ない、ということである。

神野直彦は、次のように述べていた。*1

市場経済では「量入制出の原則」(入るを量って出ずるを制するの原則)が支配しているのに対し、財政では「量出制入の原則」(出ずるを量って入るを制するの原則)に基いて運営されるということである。市場経済では、企業であれば企業の売上、家計であれば賃金収入、というように、収入がまず決まり、その収入に基いて支出を決める。というのも、企業の売上は生産物市場、賃金収入は労働市場というように、市場が収入を決めてしまうからである。そのため市場経済は、「量入制出の原則」で運営されている。ところが財政では、収入が市場によって決められるわけではない。財政は市場メカニズムによってではなく、政治過程で決定されるからである。そのため必要な支出を決めてから、それを賄う収入を決めることになる、政治過程で収入を決めるには、必要な支出が決まらない限り、収入の決めようがないからである。従って、財政は「量出制入の原則」で運営されることになる。(『財政学』、p.7-8)

市場経済(企業、家計)では「量入制出の原則」で運営されているが、財政は「量出制入の原則」で運営されているというのである。赤字公債の発行推移をみれば、確かに「量出制入の原則」と言えよう(とりわけ、新型コロナ対策での巨額の赤字公債発行を見ればそう思う)。

香取は「大きすぎる財政赤字になると歳出削減圧力が大きく働く」と述べている。つまり財務省は「量入制出の原則」を守ろうとしているかのようであるが、各省の予算要求を抑えきれずに、「量入制出の原則」で運営せざるを得ないというところか。最近は内閣府の力が強いのでますますその傾向が強まっていると言えるかもしれない。

財務省批判勢力は、例えばコロナ対策費のように必要不可欠のものは「赤字公債」をしてでも対策せよと言うのであるが、それが「子ども世代へのツケ回し」あるいは「ハイパー(超)インフレ」になりかねない、というリスクの検討が不十分であるように思われる。そういうリスクはないというのがMMT(現代貨幣理論)であるらしいので、今後検討することにしたい。

 

社会保障給付費とその財源

社会保障給付費とその財源はどのようになっているだろうか。香取は、国立社会保障・人口問題研究所の「平成26年社会保障費用統計」よりグラフを載せているが、この最新版を「日本の財政関係資料」(令和3年4月、財務省)より見ておこう。(Ⅲ.各分野の課題 22.社会保障分野、p.27)

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2020年度は当初予算ベースであるが、金58兆円(46%)、医療41兆円(32%)、介護・福祉28兆円(22兆円)、合計127兆円である。私たちは、年金保険料も医療保険料も介護保険料(40歳以上)も払っているので、保険料ですべてカバーしているように思っているかもしれないが、そうではない。上図に見るように、保険料でカバーしているのは74兆円であるである。公費が50兆円ほど投入されている。(なお保険料は。被保険者と事業主がほぼ折半である。公費は国が35兆円、地方が15兆円である)。比率で言えば、保険料が6割、公費が4割である。

上図の左上に平成2年度(1990年度)の数字が載っているが、保険料が7割、公費が3割である。2020年度と比べれば、金額では保険料も公費も増えているが、割合では保険料が減少、公費が増大している。ただ保険料が減少と言っても、上表を見る限り、事業主負担の割合が減少しているのであって、被保険者負担は横ばいのようである。何故このようになっているのか、詳細を見ないとわからないが、ここでは詮索しないでおく。

香取は、次のように述べている。

社会の高齢化に伴い、医療費や年金などの給付は伸び続けているのに、景気低迷とデフレで賃金が上がらないため、社会保険料収入は90年代後半からほとんど伸びていない。結果、医療も年金も保険料収入では賄いきれないため、様々な形で追加的に公費を投入せざるを得ない。

しかしながら、不景気だから税収は減る一方、足りない分は赤字国債で補填するから、財政赤字はどんどん拡大する。財源の裏付けのない公費を投入しながら、つまり後代に負担を先送りしながら何とか持たせている。 

「日本の財政関係資料」は、次のように述べている。

社会保障制度の基本は保険料による支え合いですが、保険料のみでは負担が現役世代に集中してしまうため、公費も充てることとしています。実際には、必要な公費負担を税金で賄いきれておらず、借金に頼っており、私たちの子や孫の世代に負担を先送りしている状況です。

私たちが受益する社会保障の負担は、あらゆる世代で負担を分かち合いながら私たちで賄う必要があります。また、少子高齢化という最大の壁に立ち向かうため、社会保障制度を全世代型に転換していかなければなりません。 

社会保障制度の基本は保険料による支え合い」とは「共助」であり、「公費を充てる」とは「公助」である。*2

「保険料収入では賄いきれない」(神野)というだけでは、公費投入の考えは導かれない。当然に保険料アップという考えがありうる。「保険」の考え方からすればこちらになる。しかしそうなると……。

「保険料のみでは負担が現役世代に集中する」(財務省)というのは、どういう意味なのか明確ではない。年金(無収入の老後生活を支える)にせよ、医療(老化と共に、医療費が増大する)にせよ、基本的に現役世代が高齢世代を支えるものである(保険の考え方)。もし高齢世代を支える費用がアップしているのであれば、現役世代の保険料をアップすれば良い。高齢世代を支える必要はなく見捨てて良いというのであればそれまでだが、現役世代の保険料アップが可能か不可能かは単純には言えない。「保険料のみでは負担が現役世代に集中する」とは一概には言えないはずである。しかし、少子高齢化の時代に合って、一人の現役世代が何人の高齢世代を支えられるというのだろうか。この点を見れば、保険の考え方は破綻しかけていると言わざるを得ない。従って、公費投入ということになるのであろうが、そうなると「赤字国債」の話になり、「子ども世代へのツケ回し」の話になる。

「家族」のレベルでは「支えあい」がされていると思うが、家族の集合である「社会」のレベルでは「支えあい」がされているのか疑問である。

ここでの議論は「社会」のレベルのものである。「高齢世代と現役世代の対立/支えあい」ではなく、「家族」間の格差、つまり「富裕世帯」と「貧困世帯」の格差が、問題の本質であるかもしれない。

「保険と公費」、「共助と公助」については、これまで数多くの検討がなされてきたことと思うので、おいおい見ていくことにしよう。

*1:2019/02/11、財政とは何か? 量入制出の原則 量出制入の原則 大英博物館 参照。

*2:自助、共助、公助」については、2018/06/04 自分の居場所がない 社会保障を考える 参照。