浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

COVID-19:表現の自由と検閲(1)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(94)

※ 当ブログのCOVID-19関連記事リンク集 → https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2021/05/06/210000

COVID-19関連でのYouTubeTwitterなどの「アカBAN」(アカウントの停止、凍結)の話から「表現の自由」の話をするか、「表現の自由」の話から「アカBAN」の話をするか、どちらにしようか迷ったが、後者の順で取り上げることにする。

 

表現の自由

表現の自由を取り上げるのは、アカBANは表現の自由を侵すものではないかという問題意識からである。

表現の自由とは何か? Wikipediaの説明が簡潔によくまとまっていると思うのでこれに依拠する。

表現の自由とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。 他はこれを侵害する事は許されない。

表現の自由の内容としては、(1)集会・結社の自由、(2)言論・出版の自由 が挙げられている.

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DARYL CAGLE - (USA), published on MSNBC.com & CagleCartoons 

https://www.cartooningforpeace.org/en/dessinateurs/daryl-cagle/

 

(1)集会・結社の自由

集会の自由とは、人権としての自由権の一種であり、ある特定の課題に対する賛同者などの集団が、政府等の制限を受けずに一堂に会する自由を指す。一般的に、広義の表現の自由の一環として理解・保護される。歴史的には、現行政府に反対する勢力が集会を行うことに対して、それを嫌う政府が集会を制限して活動を抑圧する例があることから、表現の自由の中でも、政治的活動の自由ないしは参政権の前提としての政治的側面を有する権利として理解されている。

集会の自由は、「現行政府に反対する勢力が集会を行うことの自由」として捉えられよう。そのような自由を認めるかどうか。理念として認めていても、実質的にはどうか。…というようなことが問われよう。

結社の自由とは、自由権の一種であり、誰でも団体(結社)を結成できるとする権利である。また、団体に加入や脱退する権利、団体を解散する権利も含まれる。

政府(国)が、ある目的をもってつくられた組織(団体)を規制する(良い意味でも悪い意味でも)ことは大いにあり得ることであり、いかなる組織であっても結社が認められるというような自由ではない。集会に対する規制も同様であろう。

 

(2)言論・出版の自由

言論の自由とは、検閲を受けることなく自身の思想・良心を表明する自由を指す。言論の自由表現の自由の根幹をなすと考えられ、今では国際人権法で保護され世界人権宣言第19条、市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約自由権規約)にも規定されている。

この定義では、「検閲を受けることなく…」という部分が重要である。検閲とはどういうことか? 誰が検閲するのか? 政府(国)だけか?

権力に対する言論の自由は、権力を監視する意味合いがあり、もし制約があれば民主主義とは言えない。しかし、個人に対する言論の自由は、濫用すると、名誉毀損罪・侮辱罪に抵触する恐れがあり、充分に注意して行使しなければならない。

政府(国)に対して、自由にものが言えるか? 組織の上司(経営層)に対して、自由にものが言えるか? つまり、権力に対して、自由にものが言えるか? 権力と言わずとも、他者に対して、自由にものが言えるか? 私たちの日常生活をふりかえってみれば明らかだろう。このような自由は極めて限られたものだと気付く。「権力に対する言論の自由は、権力を監視する意味合いがあり、もし制約があれば民主主義とは言えない」というのは確かにそうだろうが、何か空しく響く。「民主主義」という言葉を使い、「権力を監視する」などと威勢のいいことを言ったところで、事態が変わるとも思えない。

出版の自由とは、狭義においては、表現の自由のうち印刷を媒体とする表現行為の自由を意味するが、言論の自由と並んで表現の自由を象徴する意義をもつことから、広く表現の自由一般の別称として用いられることも多い。出版はかつてきびしい検閲下におかれていたため、出版の自由は当初は主として検閲からの自由を意味していたが、のちには事後処罰からの自由をも意味するようになった。(ブリタニカ国際大百科事典)

出版の自由は、「検閲からの自由」と理解しておいてよいだろう。では、検閲とはどういう意味か。

 

検閲

検閲とは、行政が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を精査した上、不適当と認められるものの発表を禁止すること。(Wikipedia、検閲)

Wikipedia以外の説明も見ておこう。

検閲とは、狭義では、言論・出版等の思想表現行為に対し、公権力が事前にその内容を検査し、不適当と認めるときは規制(発売・発行・上映・上演・放送等の禁止・変更・カット等)を加える措置をいう。しかし、発表後であっても、処罰が過酷・無原則であるため自主規制を余儀なくされる場合には、やはり実質上検閲を構成することになる。広義では、公権力のみならず、社会的に力をもつ個人や団体が同様の規制を行うことも検閲といえる日本国憲法(21条2項)のみならず、近代憲法は原則として検閲を禁じているが、最近では、検閲行為は送り手(発表者)の自由侵害だけでなく、受け手(読者、視聴者)の知る自由を奪うものとして、絶対的に禁止すべきだ、と考えられるようになった。(世界大百科事典)

検閲の目的や動機は、道徳的、政治的、宗教的理由などによる制限や抑圧にある.ゲルホーン(Walter Gellhorn 1906-1995)によれば、「検閲の弁護者たちは、検閲を個人の徳の堕落、文化水準の低下および民主主義の一般的保障の崩壊を阻止する手段と考えている。これとは逆に、検閲に反対する人々は、検閲なるものは、民主主義の生命を支えるこれらの徳と基準を育成向上させる自由に対する脅威である、とみているのである」。また、検閲には自己検閲という問題が新しく生じている。(図書館情報学用語辞典)

これらの説明において、以下が重要な点であると考える。

  1. ふだん「検閲」などという言葉は使われることはない。現在では「規制」という言葉が、検閲に取って代わるものと考えてよいだろう。規制とは、「道徳的、政治的、宗教的理由などによる制限や抑圧」である。とりわけ、政治団体や宗教団体は、異なる考えを持つ者に対して、制限や抑圧の動機を持つだろう。
  2. 政府等の「公権力」による規制だけでなく、「社会的に力をもつ個人や団体」による規制を含めて考えるべきである。
  3. 言論・出版の自由は、発表前のみでなく、発表後も含めて考えるべきである。規制が「発売・発行・上映・上演・放送」後に、禁止・変更・カット等の処置がとられる場合は、「発表前」ではない(検閲ではない)から問題ではないと言えないことは明らかだろう。
  4. 発表後の規制が想定される場合には、「自主規制」(自己検閲)の力が働く。これは、言論・出版等の思想表現行為の自由を自ら制限(規制)することである。「社会的に力をもつ個人や団体」の意向に沿うことを意味する。
  5. 「社会的に力をもつ個人や団体」による規制や「自主規制」は、受け手(読者、視聴者)が送り手(発表者)の考えや思想を知る機会を奪うものである。送り手(発表者)がどれほど軽薄な考えを持っていたとしてもである。
規制

ゲルホーンの言葉は、よく考えてみる必要があろう。「検閲」を「規制」と言い換えて、再掲してみよう。

  • 規制の擁護者…規制は、個人の徳の堕落文化水準の低下および民主主義の一般的保障の崩壊を阻止する手段である。
  • 規制の反対論者…民主主義の生命を支えるこれらの徳と基準を育成向上させる自由に対する脅威である。

「民主主義」を、言葉だけで信仰するのではなく、上記擁護論者の言う「個人の徳の堕落、文化水準の低下、民主主義の一般的保障の崩壊を阻止」という側面を無視してはならない。規制の反対論者とて、これらを否定するものとは思われない、暴力の助長、いじめ、詐欺、違法薬物の売買、ヘイトスピーチ等々が、規制の対象とされるべきとすることに反対する者は少数だろう。

 

昨今の動向として、

企業のグローバル化が進んでいる現在は検閲の形も変わりつつある。2020年からGoogleTwitterFacebookといったビッグ・テックは検閲を強化し、社会問題となっている。(Wikipedia、検閲)

ビッグ・テック (Big Tech)は、世界で支配的影響力を持つアメリカIT企業群の通称。GAFAM、テック・ジャイアンツ (Tech Giants) 、ビッグ・ファイブ (Big Five)とも。通常はAmazonAppleGoogleFacebookMicrosoftの5社を指す。(Wikipedia、ビッグ・テック)

表現の自由との関連では、GoogleTwitterFacebookがメインであり、これらIT企業による規制(検閲)が社会問題となっているということである。

(続く)