浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

COVID-19:【コロナ後の世界】あなたはどんな人ですか?

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(97)

※ 当ブログのCOVID-19関連記事リンク集 → https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2021/05/06/210000

内田樹東京新聞の「時代を読む」というコラム(2021/10/3)に、(本の宣伝を兼ねて?)「コロナ後の世界」という一文を寄稿している。

「コロナ後の世界」という枠組みで考えるのは、「コロナ後の世界が早く到来しますように」と願う人(A)や、「コロナ後の世界はコロナ前の世界とは別のものになっている」と(無意識のうちに)考えている人(B)が多いからだろう、という趣旨のことを書いている。

一方、「コロナはただの風邪だ」「ワクチンは打たない方がいい」「これまでのライフスタイルを変えない」と主張する人(C)がいる。「ウイルスの一つくらいで、世界が変わるはずがないし、変わるべきでもない」と思っている(D)。罹る人間は罹り、死ぬ人間は死ぬが、それによって世界は別に以前と違ったものになるわけではない。そう思っている人(E)は「コロナ後の世界」というような問題意識をそもそも持とうとしない、とも書いている。

 

(A)のように考える人がどれほどいるのかわからない。マスメディアによればこのように考える人が多いだろうということになる。たぶん。調べもせず…。

(B)のように考える人は、歴史的に物事をみようとする人に多いようだ。たぶん。コロナ前後で何が変わる(変わった)と見るか、論者により多様だろう。

(C)のように考える人は、「陰謀論者」と呼ばれているようだ。「陰謀論」か否かは、なかなか判断が難しいところがある。ファクト・チェックで「偽」とされたものはフェイクであり、陰謀論だと称して良いかどうか。誰がどのような基準で判定しているかが問われなければならない。このあたりは、「COVID-19:表現の自由と検閲」のシリーズで考えていきたい。

(D)のように考える人は、(C)のように考える人とイコールではない。また、「ウイルスの一つくらいで、世界が変わるはずがない」と「ウイルスの一つくらいで、世界が変わるべきでもない」とは異なる(事実の認識と当為)。「世界」という多義的な言葉をどういう意味で使うか。それによって、多様な言説が生まれよう。

(E)のように考える人は「宗教家」あるいは「世の中を達観/諦観している人」に多いようだ。ここでも「世界」という言葉の意味が問題である。

 

私は、(A)のように考えない。

私は、(B)のように考える。但し、日常生活の感覚では、元の生活に戻る。しかし「世界」の特定の意味(イデオロギーや制度面で)で、「世界は別のものになっている」と思う。

デジタル監視社会

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https://www.ft.com/content/5aa33f07-11ef-461e-80e8-be9b50f9c879

 

私は、部分的に(C)のように考える。一部の人にとっては、コロナはただの風邪だ。一部の人にとっては、ワクチンは打たない方がいい。一部の人はこれまでのライフスタイルを変えなくてよい。…日常生活のレベルでは、ほとんどの人が「これまでのライフスタイル」に戻るだろう。

私は、(D)のように考える。「ウイルスの一つくらいで、世界が変わるべきでもない」というときの「世界」は、「ウイルスがいない世界(ゼロコロナ)」を目指すべきではないという意味においてである。ウイルスの存在論/意味論を考慮すべきである。

私は、(E)のように考える。「災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候」(良寛)。何もしないで災難を受け入れよ、というのではない。天災、人災は避けるに越したことはない(とりわけ人災は)。でも、個体の有限な生(死)は、素直に受け入れるべきである。

 

あなたはどんな人ですか?