浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

因果関係 ― ブラックボックス(内部構造不明の暗い箱)、フラクタル(無限入れ子)

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(31)

今回は、第4章 機械としての生命 第1節 生命の分析(p.164~)である。

前章 第4節(遺伝子は外的に観察された形質の情報を担うか)では、次のようなことが述べられていた。*1

前章の内容を覚えていれば、小見出しブラックボックスフラクタル」にジャンプしよう。

 

  • 医学研究では、遺伝子は病気や症状など外的に観察された形質の情報を担うものとして扱われているようである。
  • 「遺伝子と形質とを、情報の媒体と読み取るべき情報という形で一義的に対応づけることができるかどうか(DNA分子としての遺伝子は形質の情報を担うか)」が問題である。
  • 遺伝子から形質への因果関係を辿ることで、その遺伝子が何らかの形質の情報を担うことが示せるだろうか?
  • 鎌形赤血球症の例:ヘモグロビンβ鎖の遺伝子とは1箇所だけ塩基配列が異なった遺伝子が、貧血症の情報を担うと言ってよいかどうか。この塩基配列の暗号から、赤血球の破壊や重度の貧血症、血流障害、疼痛発作、脾臓や腎臓、肝臓などの損傷などの様々な症状は、決して読み取れない。
  • そもそも「鎌形赤血球症」という病気の内実はこれら症状の総体につけられた名前に他ならないのだから、遺伝子は「鎌形赤血球症という病気の情報を担う」とは言えない。
  • ヘモグロビンの変異は、ここで列挙したもの(赤血球の破壊や重度の貧血症、血流障害…)のほかにも、ほとんど気づかないような、あるいは予想もしなかったような無数の結果を生じさせることであろう。
  • 遺伝子は、何らかの形質の原因となるものではあれ、ある遺伝子からどのような結果が生じるかは多様であり、遺伝子と形質の間の関係を、情報の媒体とそこから読み取るべき情報というような形で整理することは不可能と言ってほぼ間違いない。
  • DNA分子としての遺伝子の側から出発して、その機能を「情報伝達」として妥当に理解できるのは、タンパク質への翻訳か、せいぜいその修飾までである。そこから先、タンパク質がさまざまな機能を発揮し、外的に観察可能な形質の形成に至る経路は、情報の伝達というよりは、因果関係の連鎖であるというべきであろう。
  • DNAの塩基配列を情報源として生産されたタンパク質が、具体的にどのような因果関係を辿って生物の形態を形成するのかという情報については、塩基配列には書き込まれていない。分子生物学によってDNAが担うとされた情報は、タンパク質のアミノ酸配列の情報、情報解読のために必要な情報、情報発現の制御に必要な情報のみである。
  • 最近多数発見されているRNA遺伝子が担うのも、情報発現の制御のための情報と考えられている。つまり、これらの情報は、どういう場合にどういう順序でどのようなタンパク質を生産するかを規定するものであって、タンパク質が具体的にどのような働きをするかといった情報は含まれていないということである。

SARS-CoV-2とCOVID-19の因果関係については、いずれあらためて考えてみたい。

 

相関関係と因果関係

本章冒頭には、次のようなことが述べられている。

  • 形質を出発点として、それに対応する遺伝子を探そうとする研究において、形質を取捨選択するのは観察する人間の側の関心であって、どのようなことが説明すべき形質とみなされるかは観察者の置かれている状況や観点によって変わり得る。
  • 遺伝子は、それ自身の論理ではないものによってグループ分けされ、外在的な視点から意味づけられることになる。そうして意味づけられた遺伝子を持っている個体が、それに対応すると考えられた形質を必ずしも発現しない時(「肥満に関係する遺伝子」を持っている個体が肥満しない)、あるいは逆に、同じ形質を持っている個体を調べても、それらの間に共通する遺伝子が見当たらない時(ex. 身体の高い個体に共通する遺伝子が見つからない)、「我々の側の理解の論理」と「遺伝子の論理」とのズレが鮮明に現れる。
  • こうした研究手法が明らかにするのは遺伝子と形質の間の相関関係であって、因果関係ではない。
  • 相関関係とは要するに、ある事象AとBが同時に起こるということである。そして、AとBが単に同時に起こるということからは、両者の間に因果関係があるとは言えない。単なる偶然かもしれないし、Cという知られていない原因からAとBが帰結しているのかもしれない。このとき、CからA、CからBについては因果関係が言えるが、AとBの間には因果関係はない。

Cは、交絡因子*2と呼ばれる。

これに対して、DNA操作技術の進歩を背景に、遺伝子から形質へという方向で、両者の因果関係を直接的に調べようとする実験も盛んに行われるようになった。いわゆる「逆遺伝学」であり、分子生物学的な意味での遺伝子を操作して、その結果生じる形質の変化を観察する。…同じ操作に対して何時でも同じ結果が観察できたなら、遺伝子と形質との因果関係を、操作とその帰結という形で確認することができる。

例:ショウジョウバエの「アイレス遺伝子」を、羽であれ脚であれ適当な部分で発現させると、そこに眼が形成される。

 

ブラックボックスフラクタル

ここからの記述が興味深い。

但しいうまでもなく、こうした手法では、遺伝子と形質の間を結ぶ因果関係の詳細はブラックボックスとなっている。アイレス遺伝子について言うと、その遺伝子がタンパク質に翻訳されてから眼の形成に至るおそらくは恐ろしく複雑な過程については何も分からない。

遺伝子(原因)と形質(結果)の間を結ぶ因果関係の詳細はブラックボックスである!

ブラックボックスとは、内部構造不明の暗い箱である。

この意味は、「スイッチを入れる遺伝子」の比喩で理解されよう。

「スイッチを入れる遺伝子」という比喩的表現を受けて言うと、壁のスイッチを押すと電灯が点いたということから、スイッチと電灯の間に因果関係があることは推定できるが、壁の裏側でどのような過程が進行しているのかは分からないようなものだ。

そこで、ブラックボックスを開いて遺伝子と形質との間の詳細な因果関係の連鎖を見ようとすると、こうした事情が入れ子のように続くことになる。スイッチと電灯の比喩で言うと、スイッチと電灯の間の因果関係は、まずスイッチを押すこと、電気が流れること、電灯が点くことなどという一連の過程に分解されるだろう。この過程はさらに、スイッチを押すこと、その先に取り付けられた金属片が電極の隙間に差し込まれること、電気が流れることなどの過程に分解されうる。それをさらに細かく見ると、指とスイッチの間の接触、スイッチの運動、スイッチと金属片の接合部の微妙な変形、金属片の移動、などと分解されていく。要するに、ある二つの事象の間の推移過程を分解していくと、その気になれば無限に分割していくことが可能になってしまうということである。因果関係とは、一見すると自明な概念のようでいて、実はなかなか厄介なものなのである。

因果関係の厄介さはこれだけではない。逆遺伝学の手法に戻って考えると、遺伝子を操作したことの帰結として何を観察すればよいのかが必ずしもはっきりしないということも問題となる。羽や脚に眼が形成されるというような目立った結果なら気づかれやすいだろうが、それ以外には何の変化もないとは限らない。電灯の比喩を続ければ、電灯のスイッチを押せば、電灯が点く以外にも、電灯が発熱したり、電流メーターの針が動いたりもするだろう。その他にも微細すぎて気づかないような変化がおこっているかもしれない。我々が「因果関係」だと思っているものは、実在のあるがままを捉えたものではなく、ある原因と我々が気付いた結果との関係だということである

「鎌形赤血球症」の例を思い出そう。

つまりはこういうことだ。

因果関係の連鎖はどこまでも繋がっていくので、どこまでをある一つの原因からの帰結とみなすべきか、ということも自明ではないということである。

ドーキンスが言うには、「遺伝子の直接的な産物はタンパク質分子のみであるから、動物の皮膚の色など遺伝子が担うと一般に考えられている形質も遺伝子からの直接の帰結ではなく、間接的な帰結である。クモの巣やビーバーのダム*3など生物個体の外側にまで広がった構造物も、遺伝子からの間接的な帰結である点ではそれらと同じなのだから、ある遺伝子の表現型*4だと考えて差支えない」(『延長された表現型』)。

しかし、遺伝子の「表現型効果」は、「風が吹いたら桶屋が儲かる」式に、どこまでも延長して言ってよいものだろうか。やはりどこかで歯止めが必要ではないか。

「風が吹いたら桶屋が儲かる」式の因果関係を何かおかしいと思うならば、遺伝子(原因)の表現型効果(結果)を無闇矢鱈に延長することがおかしいと気付くはずである。

要するに、

現象の推移は連続的なのであり、「原因」となる事象と「結果」となる事象とが明確に分節されているわけではなく、ある原因に対する結果がある時点で終了するわけでもない。原因と結果の間は無限に分割可能であり、他方、ある原因からの結果は無限に続いていく。

先ほど、「実験によって因果関係を確定することができる」と述べたが、このように考えてくると、我々は実験において、客観的に実在している因果関係を確定するというよりは、現象を理解するために因果関係の枠組みを当てはめるというべきであろう。人は実験によって、

本来は連続的に推移しているはずの現象に切れ目を入れ、「原因」とみなすべき事象と「結果」とみなすべき事象に区分することでのみ、現象を理解することができる。

 

そうすることで我々は、現象を要素的な事象の組み合わせとして理解するのである。もちろん、現象の切れ目は任意に入れることができるというわけではないし、理論的にも実験的にもうまくいく理解がなされたときには、「この現象はこのような枠組みで理解するのが最も適切だ」というような実感が伴うものである。とはいえ、ある一つの理解枠組みが絶対的で普遍的なものだというわけではなく、リンゴの落下に対する物理学者の理解と生物学者の理解が全く異なったものであるように、ある現象に対する妥当する理解枠組みを複数想定することもできる。この意味において、因果関係の理解は、現象に対する人為的・恣意的な分解であるとも言えるのである。

 

ブラックボックスのイメージ図を描いてみた。

f:id:shoyo3:20211216184443j:plain

<星空のイメージ>(https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20180707-00088516

左上の星Aが光った後、右下の星Bが光ったように見えたとしよう。

仮説:Aが光れば、Bも光る。

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仮説A→Bを証明するためには、因果関係の証明が必要であるが、上記説明を聞けば、ほとんど不可能なようにも思えてくる。ボックスの中身(内部構造)が不明(暗い箱)ならば、因果関係を立証できない。AとBの関係がボックス(白線のボックス)だけで閉じているとは限らない。ブラックボックスの内部にも、無数の因果関係を想定できる。素粒子レベルの因果関係。またボックス外部の星がどのような影響を及ぼしているのか。ボックス外部の影響を認めるならば、無限大の宇宙になる。さらに時間の考慮もない。

しかし、「因果関係の理解は、現象に対する人為的・恣意的な分解である」と理解すれば、因果関係の究明は決して無意味ではない。議論すべきは、分解の視点であろう。

 

マンデルブロ集合>

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ブラックボックスを開いて…詳細な因果関係の連鎖を見ようとすると、こうした事情が入れ子のように続くことになる。」という記述があったので、フラクタル図形を思い出した。ブラックボックスの内部はフラクタルかどうかは分からないが…。

*1:「遺伝子」から「形質」への因果関係(2021/11/7)参照。

*2:

交絡…ある結果について2つ以上の要因が考えられ、それぞれの原因がどの程度結果に影響しているか区別できないとき、これらの要因は交絡していると言う。

交絡因子…交絡を発生させる要因のこと。例えば、飲酒者と非飲酒者では飲酒者の肺癌発生率が高くなる。これは交絡因子である喫煙の影響によるもので、飲酒者に喫煙者が多いことによる。喫煙の有無で分けてから、飲酒者と非飲酒者の肺癌発生率を比べると違いは無くなり、飲酒は肺癌の発症と関連の無いことが分かる。(統計用語集、https://bellcurve.jp/statistics/glossary/initial/a/

*3:ビーバーのダム…ビーバーは、生息に適した川や湖がある場合はその土手に巣穴を掘るが、適当な場所がない場合は木をかじり倒して得た枝や小さな幹、また石や泥を運び、川をせき止めてダムを作る。大きなものでは、長さ850mにも及ぶダムが作られることもある。ダムは、何十年にも渡って代々引き継がれ巨大化することがあるようである。ダムを作ることによって水の量を安定させ、巣が川の流れや水の増減によって破壊されるのを防いでいると考えられている。(https://biome.co.jp/biome_blog_187/

*4:表現型…生物の外に現れた形質をいう。遺伝子の組合せを示す遺伝子型に対応する語。デンマークのヨハンセンによって名づけられた(1909)。生物のもつ形質には、形態的なもののほか、生理的機能や生化学的な性質、さらには行動や精神活動なども含まれるが、これらは、その生物がもつ遺伝子型によって支配されると同時に、遺伝子の優劣関係や環境の影響によって大きく変化する。(黒田行昭、日本大百科全書