今回は、第3章 社会の中の個人 のうち、バランス理論 である。
山岸は、F.ハイダー(1896-1988)のバランス理論を、次のように説明している。
人が相手に対して持つ態度は、自分と相手が、ある対象とどう関係するかによって決まるとする理論。
山岸が「バランス理論による均衡と不均衡」として図示しているものを、簡潔にまとめれば、次表のようになる。
私→彼女、私→野球、彼女→野球に対する関係は、いずれも「好き」か「嫌い」かのいずれかであるとする。組み合わせは、2の3乗=8通りである。好きを(+1)、嫌いを(-1)として、積を求めて、(+1)なら「均衡」、(-1)なら「不均衡」と呼ぶ。例えばケース2においては、私は彼女が好きで、野球も好きである。ところが彼女は野球が嫌いである。これはちょっとまずい(不均衡)。
不均衡を解消するにはどうすればよいか?
- 私の彼女に対する想いが強ければ、彼女の野球に対する「嫌い」に合わせる。(ケース4への移行)
- 彼女に野球の面白さを伝え、野球が「好き」になってもらう。(ケース1への移行)
- 私は野球が好きで、彼女は野球が嫌いだ、これは変わりそうにない。であれば、私と彼女は「性格の不一致」で、私は彼女を嫌いになる。(ケース6への移行)
上記例では、「対象」は野球であったが、人でも良いし、何らかの主張(理論、仮説等)でもよい。
ここで、P(私)、O(彼)、X(A説)として、私の彼に対する態度を「信頼」「不信」とする。A説に対しては「賛成」「反対」とする。
解釈は、上記と同様である。
例えば、ケース5について。彼*1はある問題についてB説を主張しており、私は彼に不信を抱いている。しかし、別の問題については、私も彼もA説に賛成している。いかにして不均衡は解消されるか?
まあ話としては面白いが、現実を単純化しすぎている。
- 物事は、「好き/嫌い」や「信頼/不信」や「賛成/反対」などで割り切れるものではない。白黒思考*2が多すぎる。
- O(相手)→P(私)の関係を考慮していない。第三者その他無数の他者との関係を考慮していない。(第三者は、私や彼に影響を及ぼす)
- OやPがいかなる属性を有するか、なんら考慮されていない。(地位、性格、経歴…)
- 対象Xが何であるかによって異なる結果となる。(P→Oは、対象Xにもよる)
従って、バランス理論がどれほど意味のある理論なのかわからない。
PとOを「個人」に限定することなく、「グループ」、「集団」、「国家/政府」、「非統治者/大衆/市民/庶民」などとしてみてもよい。バランス理論は、いかにも学者・評論家の言説の感じはするが、複雑な現実を分析する一視角と捉えておけば、それなりの価値はあるかもしれない。
三角関係
私は、友達のOちゃんが好きである。私は、X君が好きである。OちゃんもX君が好きである。「好きー好きー好き」で「均衡」となるか?
https://woman.mynavi.jp/article/150207-5/
*1:具体的に、誰か特定の人の名前を挿入してみよう。
*2:白黒思考の原因と改善(https://sorakumo.jp/report/archives/224)参照。