浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

なぜ競争するのか?

アルフィ・コーン『競争社会をこえて』(26

今回から、第5章 競争が人格をかたちづくるのだろうかー心理学的な考察 である。

コーンは、競争に伴う心理的な犠牲について述べている。

競争が有効であるという決まり文句を一度も疑ってかかったことのない人でも、競争が自分たちやまわりの人々にどのような影響を与えるのかということになると、とても不安を感じてしまうことを認めざるを得ないだろう。実際に自分が選択しなければならない場面になると、ほとんどの人は、競争が激しい組織や活動を避けようとするだろう。

「競争が有効であるという決まり文句」は、経済学の一教説であり、その内容を知らなくとも、あらゆる社会活動の中に浸透している。しかし、私たちは本当に競争を望んでいるのだろうか? 競争が激しい組織や活動を好ましいものと思っているのだろうか? 実際に自分が「競争が激しい組織や活動」の当事者であるとき、「不安」を感じることは無いのだろうか?

……これらすべてを考慮してみると、競争が有効なものだと言われたところで、アメリカ流の生活の「死に物狂いの競争」(ラット・レース)がどれほど心理的な犠牲を伴うものなのかを考えてみないわけにはいかないのである。

ラット・レース(rat race)とは、「無意味な激しい競争。過当競争。生存競争。また、同僚間の栄進の競争」(デジタル大辞泉)である、アメリカに限ったことではない。ラット・レースが行われていない国や地域や集団を見出すことは困難だろう。コーンは、本章で、この心理的な犠牲について検討している。まずは、競争がもたらす結果について考察する前の、その原因の探求である。

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https://liz-griffin.com/blog/are-you-stuck-in-the-humanitarian-rat-race/

 

なぜ競争するのか

競争を自明の前提としてはならない。「なぜ競争するのか」という問いを立てること。

社会学者や人類学者の説明

文化的な規範が、構造的な競争として固定化されてしまい、きわめて硬直したものになってしまうために、競争を伴わない選択の機会が、職場や教室や遊び場から事実上消えてしまうこともある。こうした構造化された競争もまた、態度や信念を形作り、意図的な競争を助長していくことになる。

競争を公理として受け入れている場(職場や教室や遊び場など)では、競争は「あたりまえ」である。「あたりまえ」を疑うものは変人である。このように構造化されていれば、それが逆に態度や信念を形作る。

行動心理学者の説明

行動心理学者は、規範よりも、競争を好むように訓練する具体的な方法のほうに関心を寄せている。競争を好む態度をとることによって直接に報酬を受けたり、また他人が報酬を受けるのを目の当たりにすることもある。この組み合わせが効果的な学習プログラムを生み出すのである。

簡単に言うと、競争的な行動をするのは、競争的に振る舞うように教育され、まわりの誰もがそうしているからであり、競争をやめるなどと言うことは思いもつかないからである。さらに、アメリカの文化においては成功するためには競争することが求められているように思えるからである、

この説明は、かなり説得力がありそうである。これは「競争」に限らず、何らかの「価値理念」を基づく行動をとることを(政府広報やマスメディアや組織の方針により)教育され、「まわりの誰もがそうしており」、そのような行動をとらないことが「思いもつかない」という事象にあてはまる。

深層心理学者の説明

私たちはなぜ競争的な行動をとるのか? コーンは、「自尊心」という概念が役に立つとして、詳しく説明している。

ここで自尊心とは、「自分の人格を大切にする気持ち。また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度。プライド」(デジタル大辞泉)。また「self-esteem。自己評価、自己価値、自己尊重、自尊感情。自分の存在を価値あるものとして肯定したい願望」(日本大百科全書)と理解しておく。

自尊心は、健全な性格にとって不可欠なものと考えられる。自尊心を強調することは、自分自身に対するゆるぎない尊敬と信頼を示しているのであり、自分自身の価値を永遠に、根底的に受け入れるという表現なのである。…自尊心が無条件のものであれば、他人に認めてもらう必要もないわけであり、後で後悔するようなことをしてしまった場合でも、自尊心が崩れ去ることもない。自尊心は、生活を築いていく核となり、土台となるのである。

この文章の意味は、次の文章により、よりよく理解できよう.

逆に、精神的な障害のもとになるもので広範にみられるのは、自尊心の欠如である。K.ホーナイは、あらゆるノイローゼが自分自身に対する「根本的な信頼」の欠如によるという観点から論じている。H.S.サリヴァンは、「習性として自尊心の強くない人は、他の人に対して好意的な感情を保っていくのが本当に難しい」と述べている。A.マスローは、「自尊心の欲求を満たすならば、自信、価値、強さ、能力、申し分のなさなどの感情へと、また自分が役に立っており、必要とされているという感情へとつながる。しかし、この欲求が妨げられてしまうと劣等感が生まれ、今度は全面的な失望、あるいは代償充足的な傾向、ノイローゼ的な傾向が生じてくる」と述べている。

コーンは、競争意識を理解するためには、自尊心の概念が重要であるとしている。

競争を行うのは自分の能力に対して抱いている根本的な疑いに打ち勝とうとするためであり、そして、最終的には、自尊心の欠如を埋め合わせするためである

という命題を提起しておきたい。

今回はここまで。