浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

北欧の成長モデル (2)

香取照幸『教養としての社会保障』(27)

今回は、第8章 【新たな発展モデル】北欧諸国の成功モデルから学べること 第2節 北欧の成功―新たな成長モデル の続きである。

北欧は製造業モデルから脱却し、人的資本の充実に力を入れ、知識産業を中心とした産業構造への転換に成功した。知識産業モデルが彼らの新しい成長モデルである。

北欧の知識産業モデルへの転換が望ましいものであるかは、国際分業・国家間競争の有り様の分析を要する。「自国が豊かになればそれで良し」というわけにはいかない。

 

香取は、「優秀だが他の企業では使えない人材」を育成し成長してきたが、「社会が流動化している時代には、社会全体にとっては逆に非効率的な人材育成法になる」というが、これは疑問である。

個別企業はある特定の産業・業種に属するのだから、他の産業・業種に使える人材を養成する必要はない。香取の言っていることは、国の経済成長のためには、産業構造の転換が必要(例:製造業→情報サービス業)であり、それに必要な人材を育成する必要があるということである。これは、社会保障(失業→職業訓練)とは関係ない話である。(失業者の職業訓練により、成長産業に属する企業に就職して、活躍する人材になれるとは考え難い)

 

低成長時代に求められる社会保障の機能は、格差の拡散に歯止めをかけ、貧困や社会の分裂を防ぐことで民生の安定を図ると同時に、経済成長に貢献することである。しかし、所得の再分配が現役世代に薄く高齢者に厚い、日本の現行制度は、経済の低迷が示しているように、適切に機能しているとは言えない。一方、北欧はそれに成功している。

低成長だろうが、高成長だろうが、「格差の拡散に歯止めをかけ、貧困や社会の分裂を防ぐこと」は重要である。しかし、社会保障の機能は「経済成長に貢献すること」というのは理解しがたい。

所得の再分配が、現役世代に薄く高齢者に厚くなっているかどうかは、データに基づく検証を要する。その際、何をもって、「薄い、厚い」と言うのかの判断基準を示す必要がある。しかし、それよりも、現役世代と高齢者世代という二分法自体が問題である高齢者世代に貧富の差があり、現役世代に貧富の差があることは誰もが知っていよう

 

福祉から就労へ(from welfare to work)

イギリスでは、1997年から2007年まで政権を担ったブレア労働党政権は、”from welfare to work” をスローガンに様々な改革を実施した。…社会保障制度の重点を現金給付型から職業訓練などの能力開発型に転換した。福祉に食べさせてもらうのではなく、働けるように全力で支援して、社会に出て働いてもらう、ということである。

失業者に対する職業訓練が、どのような内容のものであり、どの程度のものか。能力開発というと聞こえはいいが、希望する職種に適合した能力開発を為し得るものだろうか。

失業者は、なぜ失業に至ったのか、その原因に応じた対策を講じなければ、「格差の拡散に歯止めをかけ、貧困や社会の分裂を防ぐこと」など不可能ではなかろうか。

「失業者」は、必ずしも「求職者」ではない。この違いを考えてみる必要がある。

給付から能力開発型に重点を移した北欧やイギリスの社会保障制度の転換は、新たな成長モデルのヒントになり得る。なるべく多くの人が働き続けられる社会環境を作る、なるべく多くの人が自立して社会参加できるような社会にする、そのことによって、現役世代の生活が保障され、人びとが能力を発揮し自己実現できるようになり、結果、格差と貧困の拡大を回避し、社会を活性化することができる。これが、北欧諸国が作った新たな成長モデルである。

これまでコメントしてきたことからして、北欧やイギリスの社会保障制度の転換が、「新たな成長モデルのヒント」になるとは考えられない。

「なるべく多くの人が働き続けられる社会環境を作る、なるべく多くの人が自立して社会参加できるような社会にする」、これは確かに望ましい社会だろう。だけれども、「そのことによって[給付から能力開発型への社会保障制度の転換によって]、~結果、格差と貧困の拡大を回避し、社会を活性化することができる」というのは短絡的すぎる。北欧諸国の社会保障制度とはこのようなものだったのだろうか。

**********

焦点:ほころぶ「北欧福祉モデル」、デンマーク選挙の争点に (2019/5/29)

f:id:shoyo3:20220222175619j:plain

月29日、平等なユートピアを模索する世界中の多くの人々にとって、北欧型の福祉国家モデルは、長年のあいだ憧れの的だった。写真はデンマーク中部オールップの自宅でくつろぐ、92歳の認知症の女性(2019年 ロイター/Fabian Bimmer)

人口高齢化を受けて、北欧諸国の政府は何年もかけて、「ゆりかごから墓場まで」式の寛容な福祉国家を少しずつ骨抜きにしてきた。…デンマーク国民は、他の北欧諸国の市民たちと同様、世界でも最も高い部類に入る税金を喜んで納めてきた。全国民を対象とする医療、教育、高齢者介護サービスのために、払う価値のある代償だと考えていたからだ。だが、公的債務削減のために歴代政権が支出を削減してきたことで、かつては無料だったサービスを自費で負担しなければならない人が増えてきた。…

フィンランドでは4月の選挙で、福祉コストの増大に対応するための増税を訴えた社会民主党が20年ぶりに第1党となった。

欧州有数の富裕国の1つであるスウェーデンでは、移民・福祉をめぐる懸念を背景に、昨年の選挙でナショナリスト政党のスウェーデン民主党への支持が急増した。

それでもまだ北欧諸国は、米国、ドイツ、日本といった財政規模の大きい他の経済協力開発機構OECD)諸国と比較して、貧困層、高齢者、障害者、病人、失業者に向けた社会給付に対する国民1人あたり公的支出という点で上回っている。(https://jp.reuters.com/article/denmark-election-welfare-idJPKCN1T114H

高齢化、移民、公的債務増が、福祉国家維持に困難をもたらしているようだ。移民は、国家間の問題であるが、高齢化はすべての国において現在または(近い)将来の問題である。公平/公正の理念をどこまで現実化し得るだろうか?