浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

明鏡止水 ― ほかの人の妻となるよりも、この人の妾になりたい

言葉(4)

明鏡止水(めいきょうしすい)

曇りのない鏡[明鏡]と、静止している水[止水]のことで、邪念が無く、明るく澄み切った心境をいう。(真藤建志郎、四字熟語博覧辞典)

これが一般的な辞書の説明であり、出典は、『荘子』徳充府編である。

徳充府編の中に、次の一節がある。*1

 

哀駘它―天下を驚かせるほどの醜男

魯の哀公が、孔子に尋ねて言った。

衛の国に、哀駘它(あいたいだ)という醜男(ぶおとこ)がいる。ところが、彼と一緒に住んだ男どもは、彼を慕って離れることができないし、彼を見た女たちは『他の人の妻となるよりも、この人の妾になりたい』とせがむ始末で、その数も何十人という程度にとどまらないという。

男にも女にも好かれる醜男(哀駘它)とはどんな人物なのか気になる。

といって、この男は一度も先頭に立って何かを主張するわけではなく、いつも他人に同調ばかりしている。むろん他人の死を救ってやれる君主の権力を備えているわけではなく、他人の腹を満たしてやるだけの財産もない。そのうえ、その醜さは世間中を驚かせるほどである。人と調子を合わせるだけで、先頭に立って意見を唱えるわけでもなく、その知識の範囲も国内のことに限られている。それなのに大勢の男女が周囲に集まってくるのは、きっと彼に常人と違ったところがあるからだと思われる。

そこで私も哀駘它を召し寄せて会ってみたところ、果たして天下を驚かせるほどの醜男であった。だが私のそばに置いておいたところ、何か月もたたないうちに、その人となりに惹かれる思いがするようになった。そして1年足らずのうちに、私は彼をすっかり信用するようになった。ちょうど国に宰相がいなかった時なので、彼に国政を任せることにした。

ところが彼は、浮かぬ顔付きで、やっと承知したようでもあり、捉えどころないままに、辞退したようでもある。この名利を超越した有様を見て、私自身が恥ずかしい思いをするほどであった。やっとのことで、彼に国政を押し付けてはみたものの、ほどなく私のもとを去っていった。私は心がふさいで、何か大切なものを失ったような思いがし、ともに国を治めて楽しむ友達を失くした思いがする。いったい彼は、どういう人物なのであろうか。

孔子は答えた。

哀駘它は、何も言わないのに信用を受け、功績もないのに親しまれ、他人にその国政を譲り渡そうという心を起こさせ、しかも受け取ろうとしないで心配させると言った人物です。これこそ、きっと完全な才能を備えながら、しかもその心の徳が表面に出ない人物であるに違いありません。

もちろん世知辛いこの世に、このような人物は存在し得ない。しかし、「完全な才能」を備え、「心の徳が表面に出ない」という「理想的」人物像を思い描くことはできよう。

 

哀公が問う。「完全な才能」とは?

孔子:死と生、存と亡、困窮と栄達、貧と富、賢と愚、毀り(そしり)と誉、飢えと渇き、寒さと暑さ、これらはすべて人間の世界を訪れる現象の変化であり、運命のあらわれであります。日夜かわるがわる人間の眼前に現れ出ながら、しかもそれらがどこから生じてくるのか、人知ではその根源をはかり知ることができません。人知を超えたものである以上、このような運命の変化によって心の平和を乱す必要はありませんし、これを霊府(こころ)のうちに侵入させてはなりません。それよりも、運命を自分に調和させて快適なものとし、常に喜びを覚えさせるものとして、日夜間断なく物と接しながら、一切の物を春のような温かい心で包むべきでありましょう。これこそ、あらゆるものに接しながら、心のうちに和やかな春の時をもたらすものであります。このような心境にあるものを、『完全な才能』の持ち主というのです。

とりわけ、「死と生」(生命とは何か)、「存と亡」(存在とは何か)、「寒さと暑さ」(自然現象、星の生成と消滅)は、「人知ではその根源をはかり知ることができない」ようである。「困窮と栄達」、「貧と富」、「賢と愚」、「毀り(そしり)と誉」、「飢えと渇き」は、社会現象であり、運命と称するのはどうかと思うが、<能力-遺伝-生命>と遡れば、運命と称するのも理解できないわけではない。だからこの部分を保留しておき、「一切の物事を、春のような温かい心で包む」心境にあるものを「完全な才能」の持ち主とする価値観はあり得よう。

 

哀公が問う。「心の徳が表面に出ない」とは?

孔子停止した水が万物の準則となることができるのは、その働きを内に保ちながら、これを外に出さないからであります。徳というのは、万物と完全な調和を保つという働きを備えているということです。このような心の働きを内に持ちながら、しかもその働きを表面に出さない人間こそ、万物を慕い集まらせ、離れられないようにする者です。」

停止した水[止水]が万物の準則となるという言葉は、水面(みなも)を思い浮かべるだけでは理解できない。「万物と完全な調和を保つという働き」を内に持っているという点が重要である。

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Still water in Tracy Arm, southeast of Juneau, Alaska.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%9D%A2

 

哀駘它(あいたいだ)という醜男が、男にも女にも好かれるのは、彼が「完全な才能」を備えながら、しかもその「心の徳が表面に出ない」人物であるからであるというのが孔子の答えである。すなわち、「一切の物事を、春のような温かい心で包む」心境にあり、「万物と完全な調和を保つという働きを内に持っている」からであるというのである。

「明鏡止水」の「止水」とは、このような意味である。「明鏡止水」という言葉に出会ったら、女たちに妾になりたいと言わしめる哀駘它(あいたいだ)という醜男の話を思い出そう。

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春の海

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*1:

世界の名著4『老子 荘子』の森三樹三郎訳による(p.236~)。「徳充府」とは、「徳が内に満ちていれば、それが外に符験(しるし)となって現れる」の意味。