浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

社会保障と経済の関係

香取照幸『教養としての社会保障』(28)

今回は、第8章 【新たな発展モデル】北欧諸国の成功モデルから学べること 第2節 北欧の成功―新たな成長モデル の続きと、第3節 目指すのは「安心と成長の両立」である。

知識産業社会における労働

北欧が先陣を切ってシフトした知識産業社会では、…求められる労働の質や形態も変わる。

1960-70年代、北欧は経済成長を遂げたが、その原動力となったのは女性労働者だった。当時の欧州は労働力不足で、植民地を持たなかった北欧には移民がいなかったため、女性を労働力として活用した。中央政府や地方政府が、女性が働くことを前提に、女性が社会で働けるようにするサービスをたくさん作った。

知識産業社会における労働全般の話ではなく、その一部をとらえて「女性労働力」の話をしている。産業構造が知識産業にシフトしてきたから女性の活躍の場が広がってきた(そしてそれが望ましい)と言っているようだ。しかし、いわゆる知識産業でなくても、さまざまな産業、業種、職種で女性が働いていることは言うまでもない。さらに言えば、「家事労働」(家の仕事をしている)も、「社会」の中で働いていることに変わりはない(「帰属所得」を得ている)。女性が社会の中で働くことに関しては、産業構造が問題なのではなく、仕事の役割分担、出産・育児に関する対応の社会的合意の問題であると考える。

今日の日本では、労働力不足が深刻である。高齢者や女性にもっと働いてもらわないと、この国の経済は立ち行かなくなる。しかし、そのためには、介護や子育ての支援など、女性が働くための社会的サービスの充実が先に必要である。それがなければ、子供を育てながら女性が働くことはできない。

「労働力不足だから、高齢者や女性にもっと働いてもらわなければならない」という言い方は、「労働力過剰だから、高齢者や女性は働かなくても良い」というふうにも聞こえる。もちろん香取はそのようには考えていないだろうが…。

働く意思があって能力もあるのに働けない女性がいることは、人的資源の損失であり、生産性の低下を招き、格差と貧困を増大させ、社会の停滞と社会統合の危機をもたらす。

より多くの人が、女性や高齢者が、働くー能力を発揮し、自己実現し、社会に貢献するーということを前提に、働ける環境を作る社会的なサービスを一日も早く作らなければならないことは自明である。

「働く意思があって能力もあるのに働けない女性がいることは、人的資源の損失であり…」と言うが、これは女性に限ったことではない。男性も同様である。このことが「格差と貧困を増大させ、社会の停滞と社会統合の危機をもたらす」と言うが、論理の飛躍があり、説得力がない。

男性女性を問わず、年齢を問わず、「働くこと」そして「働かないこと」のいかなる配分が社会的に望ましいのかが問題である*1

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https://newspicks.com/news/4373101/body/

 

経済と社会保障の協働関係の再確認

以下のような発想が必要であるという。

経済をうまく支える社会保障をどのように構築するか。安定成長を確保するための経済改革とそれを支えられる社会保障を作る。さらに言えば、経済成長に貢献するような社会保障を作る、安心と成長が両立できるような枠組みを考える。

経済成長のために社会保障はある?? 「安心と成長が両立できるような枠組み」と言えば、聞こえはいいが、「経済成長に貢献しないような社会保障」はいらないとでも言うのだろうか??

社会保障は「所得再分配」であり、「給付」と「負担」である。だが「給付」が厚ければよい社会保障だということではない。同じ給付をするにしてもどういう給付をどういう人にどういう形で行うかで経済への効果は大きく変わる。ミクロの効果(受給者の生活改善)だけでなく、マクロ経済のメカニズムの中でより機能するような、さらに言えば、心理的な効果、例えば人々の価値観への影響や行動変容の可能性なども視野に入れた施策の組み立てが必要である。

「給付」と「負担」のあり方こそが問題である。ここではその詳細を述べられない。

「人々の価値観への影響や行動変容の可能性なども視野に入れた施策」が何を意味しているのか説明が無いので、コメントしようがない。

負担についても同じ。減らせばいい、軽ければいいというものでもない。社会保障は医療や介護、子育てなど実体的な社会ニーズをカバーしているものだから、社会保障を縮めれば個人や家庭・企業の負担が増えるだけである。社会全体としてコストを最適化する水準の社会保障、という視点が必要である。

「給付」を増やせば良いというものではない、「負担」を減らせば良いというものではない、という物言いには違和感がある。それはある意味その通りなのだが、それに代わる視点/考え方/規準を示す必要があるだろう。

 

教育・労働・社会保障の一体的改革――「雇用を軸にした生活保障」

経済成長と安心を両立させる社会保障の枠組みを作るためには、雇用と教育と社会保障とをセットで考えなければならない。…それには労働者の能力開発や再教育などの人材育成・能力開発システムも同時に考えなくてはならない。

先に述べた、<「働くこと」そして「働かないこと」のいかなる配分が社会的に望ましいのか>を、真剣に考えてみても良いのではなかろうか。

 

人への投資・知識集積による社会・産業・経済の活性化

知識産業社会への転換のためには、知的労働を担う人材を要請することが必要である。…日本のモノ作りは今でも高い付加価値を持っている。「信頼」という付加価値。…メイド・イン・ジャパンというシールがあるだけで、世界中の消費者に信頼される。製品の信頼を生み出しているのは日本の労働力である。…日本という国にブランド力があるうちに、人への投資を重視する仕組みを早く実現しなければならない。

香取の「富国論」だろう。「日本」という国が良ければそれで良し?

*1:今は漠然とこう思っているだけである。いずれ詳しく考えることにしよう。