浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

行政官の心得

香取照幸『教養としての社会保障』(29)

今回は、第8章 【新たな発展モデル】北欧諸国の成功モデルから学べること 第3節 目指すのは「安心と成長の両立」の続きと、第9章 【改革の方向性】「安心」を取り戻すために、どう改革を進めるべきか である。

まず第3節の続きは 第2項 改革の難しさ であるが、これはコメントする気になれない(ほとんど賛成できない)内容なので、小見出しだけ挙げておこう。

 ・社会の発展の源泉は人々の自己実現

 ・セーフティネット自己実現を支える

 ・社会保障と経済成長は相互依存

 ・社会保障・税一体改革

 ・改革に必須な政治への信頼

 ・ポピュリズムの弊害

第9章の冒頭に、行政官の心得のようなものが述べられているので、これを見ておこう。香取の念頭には「税と社会保障の一体改革」があると思われる*1。(「税と社会保障の一体改革」については、いずれ詳細をとりあげたい)

行政官は、やらなければならないことがあり、実現の方法に選択肢がいくつかある場合には、…最も合理性と実現性が高い方法を選択する。

改革(制度改正、そのほとんどは法律改正が必要である)を実現するためにまずやらなければならないのは、利害関係者との調整である。社会保障の世界では、…国民、経済界、労働組合、事業者…さらに政府部内、特に財政当局との調整。そうやって膨大な調整を行って、途中でくじけることなく最後までたどり着くと、次は政府との調整ということになる。議員内閣制を採用する日本では、与党との調整を経て国会で承認されなければ改革は実行されない。政治の世界でどう理解を得られるか、誰と誰をどのように説得するか、力を借りるか、改革は同時にいくつもの制度を作ったり廃止したり、修正・変更したりするから、同じ人でも、ここは賛成だけどあっちは反対だということがあるので、星取表のようなものを作って、全体として最も合意可能性の高い方法を考えながら、調整・説得に努める。そして最後に決めるのは、国民の代表である政治家―議会である。

ここに述べられていることは、<行政官は「改革」を実行するために、最も合理性と実現性の高い制度創設や改正の原案を作成し、利害関係者と調整する>と要約されるようだ。こう要約すれば聞こえはいいが、実際には、<国家公務員が、社会保障改革案を作成し、与党の一部政治家を説得し、力を利用して、法案を通す>というふうに聞こえる。なお、原案は修正されたりすることもあるかもしれないが、もともと与党有力政治家の意に沿う形での原案であるだろうと想像される。

これは何も国レベルの改革(制度改正)だけの話ではなく、ほとんどの組織における意思決定にあてはまる話だろう。

「行政官は、やらなければならないことがある」というが、「やらなければならないこと」とは何だろうか。曖昧表現でよく分からないが、目的・手段の関係における与えられた上位目的のことだろうか。

 

https://www.kaigo-kyuujin.com/oyakudachi/manga/34608

 

「事を成す」ための行政官の心がけ

「事を成す」には強い意志と信念、そして何よりも何のためにそれをやるのかという目標・目的の共有が必要である。

「事を成す」とは大げさな感じはするが、「税と社会保障の一体改革」のような制度創設・改正を成し遂げるためには、「強い意志と信念」、「目標・目的の共有」が必要である、との謂いであろう。

そして、そのための「心がけ」が挙げられている。

  1. 具体的な政策につながる道筋を示すこと。何のために、何をするのか、これをやると何が実現できるのか、誰に対しても具体的に示すことができるようにしておく。
  2. タイムスケジュールを意識すること。…今すぐできること、3年かかること、5年かかること、自分の公務員人生をかけて定年までの時期全てかけてやることなど、様々なレベルがある。一歩一歩積み重ねていくことで、最後に形になる改革もある。…長い時間を要する改革の場合は、今回はここまでしかできないけど、残りは後輩に託すことを考えて、後戻りすることが無いように課題と論点を明らかにして道筋を示しておくことが必要である。
  3. プロセスを重視し、透明で客観的な議論を行うこと。特に社会保障の改革は合意形成が非常に大切だから、議論のプロセスを重視する。合意形成には、プロセスが透明であることも重要である。それが説明責任である。説得できるかどうかは最終的な話であるが、納得を得るには、議論の透明性と客観性を担保しておかなければならない。具体的には、まずきちんと客観的なデータなどを用いて現状を説明し、問題点と課題を明らかにする。そこから積み上げて、具体的な政策を複数示し、そのコストや考えられる成果の予測を客観的に示し、それに基づいて議論する、ということである。
  4. 制度運用の面での課題も視野に入れた改革を提起すること。社会保障は巨大なシステムだから、いくら理念や設計が立派でも、運用できなければ絵に描いた餅となる。
  5. 社会保障制度には負担が伴うため、国民全体で支えていくものであるという視点を明らかにしておくこと。国民は当事者として負担し給付を受けるのだから、議論を進める時には、国民自身が当事者として社会保障制度を支える責任と、サービスを享受する権利を有する、ということを明らかにし、負担の議論から逃げないことが何よりも重要である。

概ね同意できる内容ではあるが、冒頭の「調整・説得」の話との間に、齟齬というか違和感がある。しかし、香取にとっては、そうではないようだ。何故だろうか。

(1)目標・目的(何のために)は、どのように定められるのか。 所与なのか。これも議論の対象なのか。目的・手段の連鎖のなかで、どのレベルのことを考えているのか。作業項目(何をするのか)はどのように設定するのか。期待効果をどのように評価するのか。

(2)タイムスケジュール(予定表、工程表)の作業項目毎の時間配分はどのように設定されるのか。状況の変化をどのように把握し対応するのか。

(3)異なる価値観を持っている人たちの「議論」は難しい(価値観を同じにすることは難しい)。合意に至るまで「議論」を続けることはできない。同じデータを見ていても、解釈が異なる(各人の来歴が異なれば、解釈も異なる)。データが無いときはどうするのか。等々。

(4)運用を考慮しない設計はありえない。想定し得る事態にどれだけ対応策を考えているか。想定外の事態にどのように対処するか予め考えているか。

(5)社会保障制度の維持に要する財・サービスの調達コストをどのように分け合うかも議論の対象である。

 

上記の「心がけ」をもった「行政官」が実際に為すことが、与党政治家との調整・説得である(国民の説得を含む?)というのは、おかしくはないのだろうか。

*1:本書の著者紹介には、「介護保険法、子ども・子育て支援法、国民年金法、男女雇用機会均等法、GPIF改革等、数々の制度創設・改正を担当。また内閣官房内閣審議官として「社会保障・税一体改革」をとりまとめた」とある。