浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

議論の構造の基本形式

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(3)

今回は、第Ⅰ編 接続の論理 第3章 議論の組み立て である。

接続表現

文章は、既にそれを理解している人と、これからそれを理解しようとしている人とでは、異なった見え方をする。理解した目には、その理解が投影されて見えてくる。しかし、初めて読む人にはそういうことは起こり得ない。ここに書き手と読み手のギャップが生じる。書き手は、自分の文章であるから、理解している目で自分の書く文章を見る。それは、決して初めてそれを読む人の視線ではない。それ故、自分の視線でしか書くことができない人の文章は、きわめて読みにくく不明確なものとなってしまいがちなのである。

山道を熟知している人が初めてその山を昇る人のために道標を立てる。議論を書くことにおけるそんな道標が、議論の方向を明示してくれる接続表現に他ならない

野矢が「接続表現」をとりあげる理由はこれであろう。

 

<議論の構造>

議論の大枠

議論全体の大枠をとらえるために、「主題」「問題」「主張」という3つの概念を区別する。

  1. 主題…それが何についての文章かということ。
  2. 問題…その主題について問われていること。
  3. 主張…その問題に対する答え。

これが、議論全体の大枠を設定する。

議論の大枠として、主題(何について)、問題(何が問われ)、主張(どう答えるか)という言葉を覚えておきたい。

この観点から、有機的な関連性と統一性を備えた議論を組み立てるためのポイント。

  • 全体が統一した主題を持っていなければならない。(a)
  • 主張の背後にある問いが連関しあっていなければならない。一問一答の羅列のようになってしまった文章はひとまとまりの議論とは言えない。読ませる力のある文章とは、読み手に的確な問いを誘発する力のある文章である。まず問いを生じさせ、それに答える過程で、次の問いを発生させる。一つの問いの答えが、さらなる問いを生み出していくのである。(b)

(a)主題がはっきりしていれば、ときには脱線しても良いだろう。

(b)アンダーラインを引いた箇所が気になる。「読み手に的確な問いを誘発する力のある文章」とはどういう文章だろうか? (的確かどうか知らないが)私がいま述べたような問い を誘発する文章のことだろうか? 問いと答えの連鎖?

ヨーロッパ人は議論好き

 

議論の基本形式

ある事柄Aを主張したとしよう。その時、その主張に関して二種類の問いかけがあり得る。

  1. その主張の意味がよく分からない場合。その時には、主張Aに対して「どういうこと?」と尋ねられる。
  2. その主張の理由がよく分からない場合。その時には、主張Aに対して「なぜ?」と尋ねられる。

そこで、「どういうこと?」と問われれば「解説」を与え、「なぜ?」と問われれば「根拠」を示す。

 

更に、示された解説や根拠に対しても意味や理由が分からなければ、解説や根拠が与えられる(or 与えられるはずである or 与えられねばならない)。

こうして、それ以上解説も必要とされず、また根拠も十分であるとみなされるようになったならば、そのとき主張Aは明確に、かつ説得力を持って、主張されたということになる。

「みなす」のは「受け手」である。受け手の能力によっては、「みなされる」場合も、「みなされない」場合もあるだろう。即ち、書き手(話し手)が説得力ある主張をしたと思っても、それは受け手に依存する。

主張Aの根拠e1に疑問があれば、「なぜ?」と問う。e1の根拠e2に疑問があれば、「なぜ?」と問う。さらに、e2の根拠e3に疑問があれば、「なぜ?」と問う。以下同様。しつこく「なぜ?」を繰り返せば、書き手(話し手)は「いい加減にしてくれ」と怒り出すかもしれない。その解決策は?

主張Aが明確に・説得力を持って主張されたならば、次の主張Bに移る。ここで、主張Aと主張Bの接続の形は、「付加(そして)」か「転換(しかし)」のいずれかということになる。

主張Bに対しても、「どういうこと?」と「なぜ?」という問いかけはあり得る。主張Bが明確に・説得力を持って主張されたならば、次の主張Cに移る。以下同様。

 

まとめ

議論の基本は、必要に応じて解説や根拠を伴った主張を、付加か転換の形でつなげていくこと、ここにある。

議論の構造の基本形式がこのようなものであると意識していれば、「説得力」ある主張かどうかの判定の手助けにはなるだろう。

【課題問題3-4】次の文章をより論理的に明確になるように接続関係を明示して書き直せ。

日本工業規格(JIS)の定義に従えば、「誤差」とは「測定値から真の値を引いた値」とされるが、真の値が不明だからこそ、測定値を求めるのであり、測定値を求めたからといって誤差が求められるわけではなく、この定義はこのままでは全く役に立たない。(参考:矢野宏『誤差を科学する』)

私の解答は下記の通りである。

日本工業規格(JIS)の定義に従えば、「誤差」とは「測定値から真の値を引いた値」とされる。①しかし、真の値が不明だからこそ、測定値を求めるのである。②したがって、測定値を求めたからといって誤差が求められるわけではない。③つまり、この定義はこのままでは全く役に立たない。

*********

矢野の説明を考えてみよう。(以下は、素人考えです)

JISの定義によれば、②は正しいと考えられる。しかし、①と③には疑問がある。

JISの定義は、物体の重さや長さとか、ある要素の変量とかを測定する場合の定義ではないかと思う。

「真の値が不明だから、測定値を求める」とは言えない。測定によって、未知の「真の値」に迫ると考えてよいのではないか。平均値や標準偏差等を見ることによって未知の真の値の近似値が得られると考えて良いのではないか。

矢野は、「この定義はこのままでは全く役に立たない」と言っているので、たぶん別の個所で詳しい説明をしているのではないかと思う。(私は、矢野の本を読んでいない)