山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(35)
今回は、第4章 機械としての生命 第3節 自己増殖する機械 の続き(p.187~)である。
科学的知識の創造性
ある分子を「プログラム」として理解すること(あるいは生命を「情報機械」として理解すること)は、生命を構成する化学反応系を理解するために観察者の側が設定する「疑似的解決」である。そうした理解枠組みの設定は一つの飛躍として、あるいは創造としてなされる。
この創造はいかにしてなされるのか?
カンギレムは、次のように主張していた。
我々は、単なる物質的な因果関係の系列(「異様なメカニズム」)を、機械と類比させることではじめて、ある目的のために構成されたひとまとまりのシステムをなす全体(「一つのメカニズム」)として理解することができる。(p.179)
カンギレムは、生物に対する機械論的説明が目的論を排除するのは見せかけに過ぎず、実は目的論を前提としていると主張する。(p.180)
そこで山口は次のように述べている。
生物を機械論によって理解するためには、既に機械が発明されていなくてはならない。理解枠組の設定という創造は、既知の機械とのアナロジーという仕方でなされる。
現代のわれわれが、生命を情報機械として易々と理解することができるのも、第二次大戦中に暗号解読機械として始まったコンピュータの発明があるからだ。
生命を情報機械として理解するためには、コンピュータという機械が発明されていなければならない、というのである。
アナロジーは創造の一つの方法である。しかし、類比することで人は一体何をしているのか。私は、科学や技術において創造することとは、理解したい対象において、操作すべき単位を設定し輪郭づけることだと思う。機械を創造[製造?]するとは、求められた機能を果たすべき機械を構成するのに適切な部品という単位を考え出し、それを組み合わせることで新たな機械を作り出すことである。そして未知の現象と既知の機械とのアナロジーは、未知の現象を既知の機械の部品に対応するような仕方で要素に分解することでその理解を図るという営みなのである。
機械は部品から構成される。未知の現象は、要素に分解され、既知の機械の部品に対応するようなかたちで構成されることによって、未知の現象が理解される。
同じ現象を前にしても、理解枠組はさまざまに設定することができる。対象の側に始めから実在している唯一の枠組みを単に拾い上げるだけなら、そこに創造はない。様々に設定できる可能性があるからこそ、枠組みの設定は創造としてなされるのである。機械とのアナロジーを続けるなら、同じ素材を使って別の目的の機械を作ることや、同じ目的の機械を別の仕組みでつくることができるようなものだ。
そうは言うものの、科学理論も機械も、「みんな違ってみんないい」というわけではない。物理学と植物学の間で優劣を問うことは無意味だが、同じ関心に即して作られた枠組みの間では、その関心をどの程度うまく満たしてくれるかという点において、やはり優劣がある。
ある一つの現象がそれ単独で存在することはない。素粒子レベルで考えて、何千億光年先の素粒子AとBの衝突が、あなたの花粉症の一要因かもしれない。「同じ現象を前にしても、理解枠組はさまざまに設定することができる」とはそういうことだろう。
しかし、理解枠組の設定(解釈)は、人間の営為である。人間の営為である限り、「みんな違ってみんないい」ということにはならない。花粉症の原因として、何千億光年先の素粒子AとBの衝突を主張することは愚かなことだろう。
生命を「情報機械」とみなすような分子生物学的枠組みは、今までのところ非常にうまくいっているように思えたのであるが、近年、そうした枠組みに基づく研究が急激に進展した結果、生物学研究はゲノム[遺伝子の全体]やトランスクリプトーム[転写産物]やプロテオーム[タンパク質の総体]と、枚挙主義的になってきている。金子[邦彦]はこうした現状に対して、「枚挙主義を排し、普遍性を求めようとしたのが分子生物学の出発点であったはずなのに、今やその立場を自ら壊しているようにさえ見える」と評する。そうした状況を受けて、システム生物学などの分野では新たなパラダイムが模索されている。また、金子らは、遺伝子中心の情報機械モデルに対する代案として「複雑系生命論」を提唱する。生命現象は熱力学的な非平衡系であり、生物の発生や形態形成は力学的な法則に従って実現される「創発」ないし「自己組織化」として理解できるという発想である。
私は、生命を「情報機械」とみなすことに、また何か「目的」を持っているかのように見ることに、直観的に「それは、ちょっと違うのではないか」という思いを抱いている。物質・エネルギーの流れと「意識」の生成…私の関心事である。
「複雑系」や「自己組織化」は数十年前から議論されているようだが、いずれ詳しく見てみたい。
こうした発想に基づく先駆的な研究としては、チューリングの「反応拡散系」や、ブリゴジンの「散逸構造」、マトゥラーナとヴァレラの「オートポイエーシス・システム」などがある。以下では、こうした流れを汲む生命モデルをまとめて「生命の力学系モデル」と呼ぶ。
次節では、さまざまな力学系モデルの概略が説明されるようだが、生命理解の入門となりうるかどうか。