浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

異なる道の可能性、「あえて反論する」という方法

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(5)

今回は、第Ⅱ部 論証 第4章 論証の構造と評価 の続き(p.64~)である。

根拠となる主張の (1)意味規定、(2)事実認識については前回みたので、今回は (3)価値評価である。

(3)価値評価

価値評価に関わる主張には、大きく分けて次の2種類がある。

(a)「よさ」に関する価値を評価するもの(例:これはとてもいい本だ)

(b)あることを為すべきかどうかという規範に関わるもの(例:この本はぜひ読むべきだ)

価値評価に関わる主張が根拠として働くためには、その価値・規範が論証の相手と共有されていなければならない。しかし、共有されていると考えられている価値・規範は、しばしば明示的に述べられることがなく、暗黙の前提となっている。

相手が自分と異なる価値・規範を持っていたとしても、一方的にそれを否定することはできない。そのため、価値評価に関わる相手の主張が根拠として適切でないことを示すには、その評価が独善的であり、そうでない評価のほうがむしろ説得力があることを示す、といった手続きをとることになる。それ故、事実に関する主張の場合よりもはるかに、間接的な、からめ手からの方法をとらなければならない。*1

ある人が具体的な書名をあげて、「この本はぜひ読むべきだ」(規範)と主張したとしよう。これは「根拠」となり得るか。「この本は、何々について、説得力を持って、書かれている。だから、読むべきだ」というのならわかる。この場合、「何々について」や「説得力を持って」が「根拠」なのであり、「読むべきだ」は「結論」なのではないか。

「価値と「規範」を「価値評価」で括るのは果たしてどうか。「価値」が「根拠」であり、「規範」が「結論」ではないのか。もしそうだとすると、「価値」に関して、それが「適切」かどうかは、なかなか難しい問題であると思われる。

いずれにせよ、どのタイプの主張が根拠として挙げられたとしても、その主張がなお問題視される場合には、そこへと至る論証をさらに求めねばならない。逆に、論証を提出する側としては、相手と共有できる地点を求め、そこから論証を出発させるようにしなければならない。そして、何が共通の出発点となり得るかは、相手によって異なってくる。その意味で、論証とはつねに「対人論証」なのである。

対人論証とは、議論に参加する人びとの個人的感情、偏見、傾向、性格、地位などに訴えて、いつわりの説得力をもつ論証。人に訴える論証(日本国語大辞典)。論者の地位・職業・経歴・性格・主義などを理由にして、論者の主張の真偽を判断しようとするもの(デジタル大辞泉)。であれば、野矢の用法は適切とは思われないが、悪い意味を取り除いて、「論者の地位・職業・経歴・性格・主義など」によって、「出発点」が異なるということであれば、その通りだと思う。

 

導出の適切性

適切な論証とは「適切な切性根拠から、適切な導出によって、結論が導かれているもの」であった。ここで「導出の適切性」が説明されている。

ポイントは、本当にそこで提示された根拠からその結論が説得力を持って導かれるかどうかである。この根拠と結論のつながりを「導出の関連性」と呼ぶ。問題は導出の関連性の強さを評価することである。

その為、ここでは「あえて反論する」という方法をトレーニングする。提示された根拠を仮に認めたうえで、そこから導かれる結論に対して敢えて疑問を投げかけてみるのである。

前回 IF(AND(①,②),③,③ではない) という関数をみた。もし、①かつ②がTRUE(真)であれば③である。FALSE(偽)であれば、③ではない。「あえて反論する」という方法は、①かつ②がTRUE(真)であると認めたうえで、そうだとしたら、③が導かれるかどうかを検討しようというのである。③が導かれるかどうか大いに疑問があれば導出の関連性が弱く、おそらく③が導かれるということであれば導出の関連性は強い、という言い方をする。

根拠が提示され、そこから結論が導かれる。多くの場合、われわれはそこで立ち止まって吟味せずに、単に聞き流す、あるいは読み流してしまう。だが、あえて立ち止まってみる。ここでもっとも要求されるのが、「論理」という言葉にそぐわないと思われるかもしれないが、想像力である。この根拠をうけいれ、しかもこの結論を拒否することがどういうことであり得るのか、その可能性を思い描く想像力、これがここで求められる。こうして、その論証が導く道筋とは異なる道の可能性をとらえつつ、その上でその論証の進む道を自分も進むかどうかを決断する。この想像力を活性化させるためのトレーニングが、「あえて反論する」という方法にほかならない。

課題問題を考えてみよう。

【課題問題4-問7】次の下線部に示された導出に対して反論を試みよ。

子どもは未だ合理的な判断を自ら為すことができない。(a)だから、大人が子どもに干渉することは不可欠である。しかも、現代社会では親子関係が十分に機能しなくなっている。(b)それゆえ、学校こそが子どもに干渉しなければならない。(c)だからこそ、小学校や中学校において、あるいは高校の段階でも、かなりしっかりした校則が必要なのである。

私の意見は下記の通りである。

(a) IF(子どもは未だ合理的な判断を自ら為すことができない,大人が子どもに干渉することは不可欠である,大人が子どもに干渉することは不可欠ではない)において、「子どもは未だ合理的な判断を自ら為すことができない」をTRUE(真)であると認める。そうだとしたら、「大人が子どもに干渉することは不可欠である」を導くことができるか?「大人」は合理的な判断を自ら為すことができるとは限らない。何が「合理的」かは大いに議論の余地がある。「干渉する」とはどういう意味か。「干渉」という言葉は強すぎるので、「教育」という言葉に置き換えても良い。「子どもに教育することが不可欠である」と言えるだろうか。既存の知識、既存の倫理・道徳を教えることは、「教育」か「押しつけ」か。

(b)(省略)

(c) 「現代社会では親子関係が十分に機能しなくなっている」をTRUE(真)であると認める。そうすると、「しっかりした校則が必要である」を導くことができるか? 親子関係が十分に機能しなくなっているのであれば、機能するにはどうしたら良いのかを考えるのが第一である。そもそも「親子関係が十分に機能する」とはどういう事態を言うのかを明確にしなければならない。この論者は「親の(道徳)教育」の代わりに、「学校が(道徳)教育」をしなければならない、と考えているのかもしれないが、そうだとして「校則」をどういう意味で使っているのかが明確にしなければならない。*2

 

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「導出の適切性」を読んで、次のようなことが思い浮かんだ。

1.ルール

IF(テストの点数≧80,合格,不合格)という例においては、「80点以上は合格とする」というルールが存在する。このルールを認める限りは、この導出は適切である。このルールが適切かどうかは別問題である。

2.定義

IF(PCR検査が陽性,COVID-19感染者,COVID-19感染者ではない)という例においては、「PCR検査が陽性の者は、COVID-19感染者と定義する」という定義が存在する。この定義を認める限りは、この導出は適切である。というよりも、根拠→結論の体を為していない。

3.見做し(推定)

IF(PCR検査の陽性者が死亡,COVID-19死亡者,COVID-19死亡者ではない)という例においては、「PCR検査の陽性者が死亡した場合、COVID-19死亡者とみなす」という見做し(推定)が存在する。この見做し(推定)を認める限りは、この導出は適切である。この見做し(推定)に疑義を唱える者には、この見做し(推定)が科学的に妥当であることを示さなければならないだろう。

4.理念

IF(私は集団Nに属する,集団Nの維持・発展を阻害するものを排除しなければならない,集団Nの維持・発展を阻害するものを排除しなくてもよい)という例においては、「集団Nのメンバーは、集団Nの維持・発展に貢献しなければならない」という理念が存在する。この理念を認める限りは、この導出は適切である。しかし、この理念の「絶対性」を認めることが何をもたらすかを考えなければならない。

*1:野矢は、「封建主義がファシズム的体制を意味すると考えるのは、まったくの誤解でしかない」という主張を例に、多くの場合、提示された根拠が「意味、事実、価値・規範」という側面が混在しており、根拠をどう評価することにポイントがあるのかは、その脈絡に応じて判断されなければならないとしている。(注50)

*2:

校則とは、生徒心得、生徒規則等の通称。生徒としての生活指針となる学習上・生活上心得るべき事項を定めた学校内規をさす(日本大百科全書)。

ブラック校則…不合理な学校校則(生徒心得、学校ルール、部則など学校現場の様々なルールを含めて議論されることもある)のこと。2017年、女子高校生が生まれつき茶色い髪を黒く染めるように教師から強要されたことで、身体的・精神的な苦痛を受けて不登校に至ったと主張、訴訟を起こしたことがきっかけでマスコミなどで多く取り上げられるようになった。同年、評論家の荻上チキをアドバイザーとする「ブラック校則をなくそう!プロジェクト」を発足。賛同を求める署名活動には3日間で約2万人の署名が集まった。このプロジェクトでは、ブラック校則の例として「黒染め強要」のほかに、「スカートの長さが決められている」「運動中の水飲み禁止」「日焼け止め持ち込み禁止」「髪型指定」などを挙げている。(2019/9/19、知恵蔵mini)

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