山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(36)
今回は、第4章 機械としての生命 第4節 さまざまな力学系モデル(p.192~)である。
本節では、生命現象の「力学系モデル」として論じられてきた様々な古典的な理論の概略が説明されている。
シュレーディンガーの熱力学的考察
- 生命の力学系モデルは、シュレーディンガーの『生命とは何か』に由来する。
- 通常の物質は秩序だった構造を与えても急速に無秩序状態(熱力学的平衡状態あるいはエントロピー最大の状態)に陥ってしまう。平衡状態に陥った物質は、もはやその状態から変化しない。
- 生物とは、熱力学的な非平衡状態が、異常なまでに長期間維持されている系である。
- 生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピーを絶えず取り入れることである。
- シュレーディンガーの出した結論そのものは妥当なものではないが、にもかかわらず、秩序と無秩序という熱力学的な観点から生物について考察するという方向を示唆した点において、シュレーディンガーの議論は画期的であった。
チューリングの反応拡散系
- 形態形成の主だった現象は、互いに反応しあいながら組織の中を拡散するモルフォゲン*1と呼ばれる化学物質の系[反応拡散系]によって十分に説明できる。
- そうした系は、初めは極めて均質であったとしても、しばらくするとランダムな攪乱がきっかけとなって均質な平衡状態が不安定となり、パターンないし構造を発展させる。
- こうした反応拡散系によって、ヒドラの触手や植物の葉の輪生といったリング状のパターンのほか、胚の原腸形成、動物の斑点模様、様々な植物の葉の付き方のパターン(葉序)などを説明することができる。
- 反応拡散系の例として最もよく知られているのは、チューリングが説明したかった生物の形態形成ではなく、いわゆる「ベルーゾフ・ジャボチンスキー反応」である。
- 近年、タテジマキンチャクダイ[縦縞巾着鯛]やサザナミヤッコ[小波奴]といったチョウチョウウオ[蝶蝶魚]の仲間の縞模様の形成がチューリングの理論通りであることが示されている。
- グッドウィンによると、キイロタマホコリカビ[黄色玉埃黴、Dictyostelium discoideum]など細胞性粘菌が子実体を作るために集合する際に形成するパターンは、ベルーゾフ・ジャボチンスキー反応で形成される同心円状のパターンと酷似している。
Tyler Larsen、2017/5/30、Macro photo of Dictyostelium discoideum fruiting bodies on black agar.(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dictyostelium_discoideum_fb_3.jpg)
- プリゴジンの言う「散逸構造」も熱力学的な非平衡系における自己組織的なパターン形成についての古典的な理論である。
- 散逸構造の身近な例は、対流におけるベナール・セル*2の形成である。
- エネルギー勾配を効率よく散逸させるために形成される構造を散逸構造と呼ぶ。
ベナール・セルを撮る(味噌汁)
https://baku89.com/tips/benard-cell
- シュナイダーとケイは、「生物や生態系は散逸構造である」と主張している。
- 生物や生態系は、太陽からの光エネルギーによって生じた勾配を効率よく散逸させるような構造だという。
- 樹齢400年以上のダグラスモミの森林は、皆伐された地域よりも効率よくエネルギーを散逸させる(つまり、表面温度が低い)。
https://plaza.rakuten.co.jp/jura2591/diary/201703190000/
*1:動物の発生過程では,発生を誘導するオーガナイザーの役割を果たす細胞からシグナル分子が分泌され,胚の中を拡散し,周囲の細胞の運命決定を導く道標・位置情報として作用することが知られています。このような細胞間シグナル分子はモルフォゲンと呼ばれ,胚の中のどこの細胞が将来,脳や血管など,どの臓器の細胞に分化するかを制御しています。……(https://nanolsi.kanazawa-u.ac.jp/post-13317/)
*2:ベナール・セル…薄い層状の流体を下側から均一に熱したときに生じる、規則的に区切られた細胞(セル)状の対流構造をいう。各セルは渦を形成しているので、ベナール渦ともいう。イリヤ・プリゴジンにより提唱された「散逸構造」のうち最もよく知られた例である。…典型的には正六角柱になるが、条件によっては正四角柱になることもあり、横と縦の比率(アスペクト比)は1対2から1対3になる。(Wikipedia)