浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

国士無双

久米郁男他『政治学』(38)

久しぶりに本書を読むことにする。

 

今回は、第12章 官僚制 第3節 国民、政治家、官僚(p.240~)である。

現代は行政の活動が多面化・複雑化した行政国家の時代である。専門化した行政官僚制が、専門知識と情報を支えにして様々な活動を展開しており、そうした知識や情報を持たない一般国民が、行政の活動を適切に評価できるかどうかには疑問の余地がある。

専門知識と情報を持たない一般国民は、行政の活動を適切に評価することはできない。しかし、専門知識と情報を持つ国民は、行政の活動を適切に評価することができる。と言うべきだろう。

行政情報が隠蔽されず適切に(わかりやすく)公開されていれば、一般国民であっても、行政の活動を適切に評価することは可能であろう。

本人-代理人関係論(プリンシパル・エージェント理論、Principal-Agent Theory)

本節で、プリンシパル・エージェント理論が説明されている。

民主主義の下では、選挙権を持つ有権者は政治活動を政治家に委任する。有権者は「本人」であり、政治家は「代理人」である。次に、政治家、特に与党の政治家は、政策の形成や実施を官僚に委任する。この関係では、政治家は「本人」であり、官僚は「代理人」である。いずれの関係においても、代理人は本人の意向を尊重することが期待されている。国民が究極の本人ではあるが官僚を監視するのは政治家の仕事であるとされる。

最初の「民主主義の下では、選挙権を持つ有権者は政治活動を政治家に委任する」という文章からひっかかるが、ここでは政治家(本人)と官僚(代理人)の関係がテーマとなっているので、詮索しないでおく。

「官僚は政治家の意向を尊重することが期待されている」というが、「官僚」とはすべての官僚のこと? 「政治家」とはすべての政治家のこと? 「尊重」とか「期待」とか、どういう意味? 官僚(国家公務員)と政治家(国会議員)の関係が、法律でそのように規定されているのだろうか?

本人-代理人関係論では、エージェンシー・スラック(Agency Slack)という言葉が出てくる。エージェンシー・スラックとは「本人の期待と代理人の行動による結果との間に生じるギャップ」のことだそうである。Slackとは、「ゆるみ、怠慢、余裕」の意味のようだから、官僚の行動を表すのに適切な言葉かも(ギャップではなく、政治家の言うことを聞かない官僚? 近年は、政治家べったりの官僚のイメージだが…)。

このようなエージェンシー・スラックを小さくする2つの方法があるという。(1)「監視」を強化すること。(2)委任の程度を減らし、政治家自身が政策形成を行うこと。第1の方法では「監視コスト」がかかり、第2の方法では「立法コスト」がかかる。そこで政治家は、監視コストと立法コストを天秤にかけて、コストの総量が少なくなる政策形成方法を選ぶという。

このような説明を聞くと、単純抽象モデルを現実にあてはめて解釈して自己満足しているように思えてくる。しかも本書の説明ではこのコストが高くつくのかそれほどでもないのかよくわからない。

国会改革-委任の終わりか

本書は、次に国会改革(1999年7月「国会審議活性化法」の成立)の簡潔な説明をし、次のように述べている。

こうした改革を大きな流れの中の一部と捉えるならば、政治家から官僚への委任の撤回作業が進みつつあるのかもしれない。他方において、規制緩和や民営化、PFIの導入など、官僚は市場からも撤収を要求されている

国会改革の詳細については、いずれ詳細を検討しよう。

日本官僚制論

本書は、日本の官僚を3つのタイプに分けている。

1.国士型官僚

行政は政治の上に立ち、社会とは距離を置くべきであると考える官僚である。彼らは、政治家や利益集団は自分たちに関わる利益だけに関心があり、官僚だけが国益という観点に立っていると考える傾向にある。…彼らは、官僚は自律的に仕事をすべきだと考える。官尊民卑の伝統の下でアメとムチを持つ官僚、というイメージである。

1960年代まではほとんどすべての官僚は国士型官僚であった。国家は官僚が背負っているという強烈な意識を持って、彼らは働いていたのである。

2.調整型官僚

彼らは、政治と行政はどちらかが上に立つというよりも、対等であるとみているので、政治と協力すべきだと考える。そして、利益集団などの意見にも耳を傾けるべきだと考える。国士型が政治や社会を見下す傾向にあるのに対し、調整型は政治や社会の中で様々な利害の調整を行うことこそ官僚の役割であると考える傾向にある。官民協調による行政指導というときにイメージされている官僚である。

1970年代以降、自民党の政権が長期化し、利益集団の活動も活発になるにつれて、調整型官僚が登場した。

3.吏員型官僚

行政は政治の下にあるべきであり、社会とは距離を置くべきだと考える官僚である。利益集団と話し合いながら政策を作ったり、様々な利害を調整するのは政治家の仕事であり、定められた政策を厳格に実施することが官僚の務めであると考えるわけである。官僚というよりも公務員というイメージである。

1980年代半ば以降、政治と社会からの圧力がさらに強まった結果、吏員型官僚が現れる。

迷える官僚

このように官僚のタイプは時代を追って多様化してきたが、人数という点で見ると、1990年頃に一番多かったのは調整型である。政治家の意見も聞こう、利益集団の意見も聞こうというのであるから、調整型は柔軟でバランスの取れた官僚に見える。しかし、それぞれのタイプの官僚には長所があると同時に短所がある。

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国士無双

「国士」とは、「1.国家のために身命をなげうって尽くす人物。憂国の士。2.その国で特にすぐれた人物」(デジタル大辞泉)の意味である。これを次のように言い換えてみよう。「社会全体の普遍的価値の実現のために尽力する人」(社会:グローバルな共生社会)。これが私の「国士」の解釈である。このように解釈すれば、本書の「国士型官僚」の説明は、いささか批判的すぎるようにも思える。天下国家(=グローバルな社会全体)を論じることのできる人物、普遍的価値を具体的に考えることのできる人物、そのような人物こそ「官僚」にふさわしいだろう。それは「政治家」だというのであればそれでも良い。政治と行政のどちらが上だとか対等であるとか、そんなことはどうでもよい。

国士無双」という言葉がある。「国の中で並ぶ者もいないほど優れた人物のこと」(Wiktionary)である。

 

岡田紗佳国士無双13面待ち!!【麻雀最強戦2022】>

www.youtube.com

岡田紗佳は、「グラビアアイドル」で「ファッションモデル」で「プロ雀士」だそうである。(Wikipedia

利害調整

「国士」に利害調整が不要かと言えばそんなことはない。さもなければ「独裁者」になってしまう。普遍的価値を保持しつつ、調整できなければならない。「聞く力」(正確には「対話」)が必要なことは当然で強調するまでもない。

本書が説明する「調整型官僚」は、「官民協調」の「民」、即ち「民間経営者」(利益集団)の声を聞いて「調整」する「官僚」のことらしい。「民」、即ちグローバル社会のメンバーたる「民」の声を聞く「官僚」を意味しない。

アイヒマン

「吏員」のイメージは、ユダヤ人集団殺害の責任者の一人アイヒマンのイメージである。「アイヒマンは、自分は祖国の法と旗、戦争の法則に従っただけであることを理由に最後まで無罪を主張した」(ブリタニカ国際大百科事典)。…祖国のために戦う兵士(=殺人者)は、裁判にかけられれば、アイヒマンと同様無罪を主張するだろう。「官僚組織」にあっては、上からの命令が、一部/多数のメンバーに多大な被害を及ぼすであろう政策・ルールによるものであっても、「自らの生活のため」に従う者は、「吏員型官僚」だといって良い。アイヒマンはどこにでもいる。