芝垣亮介・奥田太郎編『失われたドーナツの穴を求めて』(1)
先日、BOOKOFFでぶらぶらしていたら、面白い本が見つかった。『失われたドーナツの穴を求めて』という本である。
タイトルに惹かれて手に取ってみると、右上に穴があいている。実際には、
こんな図の黒丸のところに穴があいているのだが、やや面白みに欠けるので、ドーナツ似の図形に置き換えてみた。ドーナツ似の穴から、「光」(宇宙)を見るイメージである。
昔、実際に穴のあいた本を見たことがあるが(『人間人形時代』)今回が2度目である。
また上の写真ではわからないが、タイトルの「失われたドーナツの穴を求めて」の印字がカバーフィルムになっている。これだけでも価値ある本だと思うが、目次をざっとみると、興味をそそるテーマが並んでいる。
はじめに
第0穴 ドーナツとその穴にまつわる深い謎を学問する ― ドーナトロジーへようこそ (奥田太郎)
第1穴[歴史学]ドーナッツの穴はいつからあるのか (大澤広晃)
第2穴[実証研究]失われたドーナツの穴を求めて (芝垣亮介[松川寛紀 監修])
第3穴[経済学]ドーナツの穴はいくらで売れるのか (後藤剛史)
第4穴[物質文化論]ドーナツの穴から世界の成り立ちを覗く (佐藤啓介)
第5穴[コミュニケーション学]ドーナツの穴に向かって会話する (今井達也)
第6穴[数学]ドーナツの穴は数学的に定義できるか (佐々木克巳)
第7穴[言語学]私たちは何を「ドーナツの穴」と呼ぶのか (芝垣亮介)
第8穴[哲学]ドーナツに穴は存在するのか (奥田太郎)
「認識論」ではなく「存在論」が私の関心事の一つなので、第8穴[哲学]ドーナツに穴は存在するのか が最も読みたい部分なのだが、えてしてこの類の論には肩透かしを食らうので(まともな本を読んでいないからか?)、「言葉」に気をつける意味で、最初に 第7穴[言語学]私たちは何を「ドーナツの穴」と呼ぶのか を読むことにする。
奥田は、注75で次のように述べている。「<ドーナツを穴だけ残して食べることはできるのか>という問いに答えていそうなタイトルの本として、大阪大学ショセキカプロジェクト編『ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問-穴からのぞく大学講義』(大阪大学出版会、2014年)があるが、そのような期待のもとに読み進めると失望させられるので注意されたい。…」。私はこの本を読んでいないので何とも言えないが…。
あな不思議な「穴」
芝垣は、「穴と呼ぶもの」と「穴と呼ばないもの」の具体例をあげている。「ドーナツの穴」がテーマなので、まずは「穴」の意味(定義)をはっきりさせる必要がある。
「穴」とは、まずもって「空間」である。芝垣は、次のような例をあげている(p.156)。但し、最後の行は、私が追加した。
- 5円玉の穴、落とし穴、ズボンの穴(ひざ等)、ピアスの穴
- コップ・瓶の中の空間、ズボン・スカートの空洞部分(足を通す部分)
- 洞穴、れんこんの穴、大穴[競馬等の]、穴場、抜け穴、風穴
- 家・教室の中、ボールの中の空間、口の中
- 人員・帳簿に穴があく、理論の穴
- 浮き輪、フラフープ、指輪、腕輪、首輪、輪ゴム、ちくわ(156)
- 耳の穴、鼻の穴、お尻の穴、毛穴
- モグラの穴、ハチの巣、鍵穴、バウムクーヘン
これらを一つ一つとりあげ、「穴」とは何だろうか? と考えるのは、なかなか楽しい作業となるだろう。ここでは、アンダーラインを引いた「空間」(穴)について、イメージ画像を載せてみよう。
<ズボンの穴>
通常、ズボンに穴があけば、修繕の対象となるか廃棄される。しかし、上図の穴は、ファッションである。穴はプラスの価値がある。
<瓶の中の空間>
ボトルカルチャ(ボトルの空間に入った観葉植物)
コップや瓶の中の空間を穴と呼ぶことはない。しかし、地面にコップや瓶型の空間があるとしたら、それを穴と呼ぶだろう。空間の形状は同じである。何が違うのか。
<れんこんの穴>
https://shop.ng-life.jp/kuwabarafarm/0462-001/
「穴」のあいている部分は、レンコンの「地下茎」の部分であり、「根」ではない。「蓮根」という漢字は不適切で、「蓮茎」(はすくき、れんけい)とすべきだろう。(芝垣は「根」と言っているが、議論に影響を及ぼすものではない)。
この蓮茎の穴は中心に1個あるのではない。穴の大きさ・形・配置・数は、全く同じではないところが興味深い。
正月の遊びに「福笑い」というものがあった。いまなら、オンラインゲームで遊べるなら楽しいだろう。(豚鼻だけでなく、蓮茎鼻をパーツとして用意する)。
<ボールの中の空間>
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005110371_00000
このNHKの動画はなかなか面白い。上図のボールは、(左上)テニスボール、(左下)バレーボール、(右上)サッカーボール、(右下)ピンポン球 の中は「空っぽ」である。硬式野球ボールやソフトボールの中は「空っぽ」ではない。他の球技の球の中はどうだろうか。
ボールとは関係ないが、この動画の中に「サザエの断面」が出てきた。この写真が興味深かったので、サザエの断面で検索していたら、次のような写真があった。
https://halyfavo.hatenablog.com/entry/10299407
断面図4つ掲載されているが、そのうちの1つである。Halyfavo氏は「内面は驚くほどにシックな装いの真珠の殿堂であった。バンド状の真珠層が全体に掛っている」と述べている。なぜこのような形状の穴なのか。
<人員に穴があく>
穴があく理由はさまざまである。求人・求職の状況次第で人生を左右する。
<首輪>
首飾りには「鎖状のものや玉をたくさんつないで長く垂れ下げる形式のロングネックレス、首にぴったり巻くような形式のチョーカー、幅広の涎掛状のビブ、長めの鎖に飾りを下げるペンダント、それに写真や小物を入れるいれものを取り付けたロケットなどがある」(鍵谷明子、世界大百科事典)。
チョーク(choke)の意味…(首を絞めて)窒息させる、むせさせる、息苦しくする、息を詰まらせる、詰まらせる、ふさぐ、いっぱいに詰める、だめにする、枯らす、チョークをかける。(weblio英和辞典)
チョーカーは、輪のサイズ(空間)が重要な点である。
「穴と呼ぶ空間」の定義
芝垣は、「穴と呼ぶもの」と「穴と呼ばないもの」とに区分して、例示している。ここに共通する「もの」は「空間」であるとして、「穴と呼ぶ空間」を定義している。
「穴と呼ぶ空間」の定義…後から外力を加えてあけた空間(p.157)
芝垣は、この定義を穴と呼ぶものに共通の要素、つまり人が穴と呼ぶときに認識しているものとして提案している。
では、このように定義した場合、冒頭の様々な「空間」(穴)は「穴」と呼べるのだろうか?
(続く)