浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

条件文-逆・裏・対偶

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(9)

前回の最後に、

「と」を考えることによって、世界が広がる(ちょっと大袈裟か)。そこで、「GNLBHFRV-GB-WHAXN」(仮題)を書くことにした。

と書いた。この仮題は単純な暗号文で、アルファベットの文字を何文字かずらして作ったものである。何文字ずらしたかと言うと、13文字である。この13という数字を、ヒントの動画:ショパン夜想曲13番 作品48-1 で示した。この単換字式暗号(シーザー暗号)は、「ROT13」(Rotate by 13 place)と呼ばれている。(Wikipedia、ROT13参照)。

「GNLBHFRV-GB-WHAXN」は「TAYOUSEI TO JUNKA」の暗号文である。即ち、「多様性と純化」である。「多様性」を無条件に認めると種々雑多なものとなる。「純化」を無条件に認めると多様性が失われる。さあて、どこで折り合いをつけようか。

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今回は、第8章 条件構造 である。

演繹的な推論において最も重要な役割をはたすのは、「AならばB」のような文に代表される、条件文の構造を持った主張である。

前提条件Aが「真」(正しい)かどうかを吟味することは最も重要なことであるが、ここではそれが「真」(正しい)であるとして、何が導けるか、導けないか、誤った導き方をしているのではないかを検討する。具体的な問題を議論する際の基礎理論として、演繹的な推論について考えておくことが必要であろう。

 

条件文

条件文(C):平日ならば、上海亭は開店している。[P→Q]

:上海亭が開店しているならば、平日である。[Q→P]

:平日ではないならば、上海亭は開店していない。[Pでない→Qでない]

対偶:上海亭が開店していないならば、平日ではない。[Qでない→Pでない]

「逆」は導けない。日曜日に開店していても、(C)に矛盾しない。

「裏」は導けない。日曜日に開店していても、(C)に矛盾しない。

「対偶」は導ける。何故なら、

(C)を認め、③を否定してみる。「上海亭は開店していないが、平日である」となる。しかし(C)は認めるのだから、平日ならば上海亭は開店している。とすると、上海亭は開店していないことを主張し、かつ、開店していることを主張することになる。矛盾である。つまり、(C)を認め、③を否定すると矛盾するのであるから、(c)から③は演繹されると言える。

野矢は、例題1の「午後10時を過ぎたならば、上海亭はやっていない」について、このような「対偶」の説明をしている。(上記引用は、条件文(C)についてこのような説明をしてみたものである)。

この説明よりは、ベン図のほうがわかりやすい(ように思う)。

「P→Q」が真であるならば、逆:「Q→P」は偽、裏:「Pでない→Qでない」は偽、対偶:「Qでない→Pでない」は真であることは、明らかだろう。

例えば、「裏」は次図のように考えればよい。

「Pでない」は、灰色と水色の部分(茶色の楕円の外部)である。「Qでない」は、灰色の部分(青色の楕円の外部)である。即ち、水色の部分は「Pではない」が「Qである」ので、「Pでない→Qでない」とは言えない。

 

全称文

逆・裏・対偶の関係を考えられるのは「条件文」だけではなく、「全称文」も同様である。

全称文(U):(すべての)ペンギンは鳥だ。

:(すべての)鳥はペンギンだ。

:ペンギンでないものは(すべて)鳥ではない。

対偶:鳥でないものは(すべて)ペンギンである。

なぜ「全称文」も同様だと考えられるのか?

「(すべての)ペンギンは鳥だ」という全称文は、「なんであれ、それがもしペンギンであるならば、それは鳥である」のように理解すれば、「ペンギン→鳥」という条件文的な構造をもっていると考えられる。

そこで、「P→Q」で表せるこうした文の構造を一般に「条件構造」と呼ぶことにする。

これも、上図のPをペンギン、Qを鳥とすれば、容易に理解できよう。

 

演繹の問題

野矢は、例題4で、次の推論について、演繹として正しいかどうかを問うている。

  1. 数学は総合的である。自然科学は数学ではない。それ故、自然科学は総合的ではない。
  2. 数学は総合的である。幾何学は総合的である。それ故、幾何学は数学である。
  3. 数学は総合的である。論理学は総合的ではない。それ故、論理学は数学ではない。

野矢は、1.は裏を用いた誤り、2.は逆を用いた誤り、3.は対偶であり、正しい演繹である、と「裏、逆、対偶」という言葉を用いて答えている。

ベン図で考えた方がわかりやすいだろう。上記ベン図のPを数学、Qを総合的とする。

  1. 「自然科学は数学Pではない」と言っているので、自然科学は、灰色か水色の部分にある。水色の部分にあれば総合的Qなので、「自然科学は総合的ではない」とまでは言えない(誤った演繹である)。
  2. 幾何学は総合的である」と言っているので、幾何学は、水色か白色の部分にある。水色の部分にあれば数学Pではないので、「幾何学は数学である」とまでは言えない(誤った演繹である)。
  3. 「論理学は総合的ではない」と言っているので、論理学は、灰色の部分にある。灰色の部分に数学Pはないので、「論理学は数学ではない」は正しい演繹である。

ここはあくまで「形式」を論じているのであり、言葉の意味を考慮していない。言葉の意味を考えだしたら、例えば「論理学は数学ではない」などと単純に結論づけることはできない。

 

「PのときだけQ」の条件構造

(例題3)「太郎は試験のある日だけ勉強する」(PのときだけQ)は、「PならばQ」とは違う。

ベン図を書いてみよう(前掲図とは、PとQを入れ替えていることに注意)。Pは「試験のある日」(青色の楕円の内部=水色+白色)、Qは「勉強する」(茶色線の内部=白色)である。

「太郎は試験のある日(P)にだけ勉強する(Q)」という文は、「試験がある日には必ず勉強しているとは限らない[水色部分がある]が、少なくとも試験の無い日[灰色]には勉強しない。勉強するとしたらそれは試験のある日だけだ」という意味である。

それゆえ、「PのときだけQ」の条件構造としては、

  • 試験が無いのであれば→太郎は勉強しない

と答えることになる。あるいはまた、●の対偶をとって「太郎が勉強するのであれば→その日は試験がある」のように答えても良い。

私には、「PのときだけQ」の条件構造の理解が難しかった。今後、現実的な問題を考える際には役だつかな?