浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

集権と分権、共管領域と機能的集権

久米郁男他『政治学』(39)

今回は、第13章 中央地方関係 をとりあげる順番であるが、その記述を引用してコメントしたいとは思えなかった。

本章タイトルの「中央地方関係」とは、次のような意味である。

  • 日本には、中央政府と地方政府(都道府県、市町村)が存在する。この政府間の関係が中央地方関係である。
  • 中央地方関係を分析する視角としては、分権・集権の概念が最も代表的なものである。分権とは、権力や権限を分けることであり、集権とはその反対に一カ所に集めることである。
  • 中央地方関係は、その法制度的な側面に限ってみても、中央地方間における権限、財源の配分のみならず、地方政府の設置根拠からその執行機関の選出方法まで、非常に多様な要素から成り立っている。(アジア経済研究所) 
  • 集権と分権は、一国内に存在する複数の統治主体、すなわち中央政府都道府県、市町村の関係をいかに律するかという問題であり、政府の機構や権限の諸関係をめぐる学問である行政学の最重要なテーマの1つである。(市川喜崇「日本における中央−地方関係の展開と福祉国家」)

「集権と分権」というと、「集中と分散」という言葉も思い浮かぶ。それは、組織論(経営組織論、組織構造論、組織形態論、経営管理論……、営利企業だけを対象とするものではない)の重要テーマだろう。コンピュータシステムの集中と分散も興味ある話題である。

国家間の対立(戦争)を見るにつけ、分権の優位を主張する国家主義を、「集権と分権」の観点からあらためて吟味する必要も感じたりする。

しかし、ここでは話をそこまで拡げることはできない。

そこで、今回は、市川喜崇の「日本における中央−地方関係の展開と福祉国家」を読むことにする。

福祉国家における中央地方関係-新中央集権
  • 福祉国家の成立と発展は、中央地方関係を集権化させてきた。
  • この福祉国家の進展にともなう中央集権化は、近代主権国家形成期の中央集権化(近代主権国家による封建割拠の克服と地方の土地と人民に対する支配権の貫徹)と対比する意味で、一般に、新中央集権という。

「中央集権」という言葉のイメージから拒否反応を示すのではなく、市川の述べる如く、「近代主権国家形成期の中央集権化」と「福祉国家の進展にともなう中央集権化」とを明確に区別すべきだろう。

では、なぜ福祉国家は中央集権を必要とするのか。市川は3点を指摘している。

  1. 当時、中央政府には対応能力があったが、地方自治体には対応能力が無かった。
  2. 所得再分配機能を積極的に果たそうとすれば、財政の一定の中央集権化が不可避である。
  3. ナショナル・ミニマム[健康で文化的な最低限度の生活を営むこと]の確保を国家が自らの責務とするとき、中央政府は、個々のサービスごとに基準を設定し、それを地方自治体に守らせることが必要である。

今日では、公平性の観点から、特に第2点、第3点が重要だろう。

地域の自己決定権
  • 地域の自己決定権という地方自治の理念は、画一性よりも多様性を重視する。
  • 国家が国民に等しく最低限度の生存権を保障するという福祉国家の理念は、地域による多様な政策の展開を、少なくとも一定程度、制約せざるを得ない。
  • この問題は、社会保障以外の分野でも、例えば義務教育などでも同様に当てはまる。
  • 一方は画一性の要請であり、他方は多様性の要請である。この両者の折り合いをどうつけるかという問題である。

画一性と多様性の折り合いをどうつけるか。集権(集中)と分権(分散)の折り合いをどうつけるか。

親ガチャ(私たちは親を選べない)。地域ガチャ(私たちは、生活拠点(都道府県、市町村)を移動することは簡単ではない)。国ガチャ(私たちは、生活拠点(国)を移動することは殆ど無理である)。

 

市川は、「Ⅱ 日本の中央−地方関係はどのように理解されてきたか」で、「(1)「温存説」による認識の制約、(2) 忘れられた「二重の課題」説、(3) 機関委任事務制度への過度の注目」を論じており、勉強になるが、省略する。

続いて、「Ⅲ 日本における集権体制の変容」で、「(1) 占領改革による旧体制の終焉(第1の過程)、(2) 戦時・占領期における機能的集権化(第2の過程)、(3) 戦時期における社会経済行政の増大と機能的集権化、(4) 補助金の整備と財源保障主義への転換、(5) 占領改革と機能的集権化、(6) 占領期社会保障行政と機能的集権化、(7) 機能的集権化をめぐる総司令部と中央各省の協調関係」を論じており、勉強になるが、省略する。

ただ、「機能的集権化」と「機関委任事務制度」についてだけ見ておこう。

機能的集権化
  • 機能的集権化とは、個別行政機能別の中央統制手段の増大のことである。具体的には、中央各省の地方出先機関の新設・拡充、個別補助金の設置、機関委任事務の設置、必置機関・必置職員の設置等がこれに当たる。
  • 福祉国家は、機能的集権化を推し進めた要因のひとつではあったが、すべてではなかった。むしろ、より直接的には、福祉国家という理念的な要請よりも、この時期に増大し、専門分化した新規の大量の行政を、標準的に、どの地方にも満遍なく実施させるという実務上の要請が、機能的集権化の推進力であった。

個別行政とは、「教育、福祉、農政、公共事業など、地方政府が実施している個別の事務、およびそれに関する中央地方関係のこと」である。

「機能的集権化」が具体的に何を意味するかは、上記引用で赤字にした部分であるが、より具体的にその内容を知っておく必要があるだろう。

国家レベルの行政分野においては、地域間に不公平があってはならないのだから、当然「集権化」は必要である。

機関委任事務制度

機関委任事務とは、地方公共団体の長[都道府県知事、市町村長]などの執行機関に対し、国または他の地方公共団体から法律または政令によって委任された事務である。2000年地方分権推進一括法の施行(地方自治法の改正)により廃止された。戸籍、外国人登録、統計調査、河川の維持管理などの事務が機関委任事務とされ、これらの事務執行に関して、委任者(多くは国)は監督を行なっていたが、住民の代表である地方議会は説明を求めるにとどまり意思決定には関与できなかった。(ブリタニカ国際大百科事典)

このような機関委任事務について、市川は次のように述べている。

  • 機関委任事務制度は、機関委任事務の管理・執行において、知事や市町村長ら自治体の執行機関を主務大臣の下部機関と擬制するものであり、問題の多い制度であった。その意味で、2000年の分権改革でこの制度が廃止されたことは、高く評価されるべきである。
  • 2000年分権改革は、機関委任事務制度を廃止したが、決して「明治以来の集権体制」を解体したのではない。明治の集権体制は、占領期に終焉している。2000年分権改革は、昭和の機能的集権体制を基本的に維持しつつ、その不合理な部分を除去し、一定の改善を果たした改革であった

機関委任事務制度の廃止を、集権体制の解体と捉えるのではなく、公平性の観点から不可欠な「機能的集権体制」の再編と捉えるべきなのだろう。これを市川は次のように述べている。

管領

続いて「Ⅳ 福祉国家と分権改革:広範な共管領域の存在」である。(共管は、共同で管理することの意味で理解しておく)

  • 福祉国家において、中央政府地方自治体は相互に責任と関心を分有している。国は国として、一定水準の生存と生活の保障に責任をもっており、自治体は自治体として、地域住民の福祉にやはり関心をもたざるをえない。両者による広範な管領が存在することが、福祉国家の中央地方関係の特色である。したがって、福祉国家における中央地方関係の改革は、単に集権的な統制手段を除去すればそれで足りるということにはならない。
  • 2000年分権改革の実現に至る地方分権推進委員会において、機関委任事務制度廃止をめぐる審議よりも、機関委任事務であった個々の事務を、制度廃止後に、どのように振り分けるかをめぐる審議に多くの時間が割かれた。そして、その中で、500を超える機関委任事務のそれぞれについて、国によるその後の適切な関与のあり方が検討されたのである。…多くの事務は、国の関与のもとに自治体が実施する事務として存続したのである。つまり、国と自治体による広範な共管領域が基本的に維持された上で、その編み直しが行われた改革であった。

「国の関与のもとに自治体が実施する事務」、この言葉に、地方自治体が「~ファースト」のような利己主義を主張するのではなく、また国が地方自治体に「丸投げ」するような責任放棄の態度をとるべきでないことを読み取るべきである。

  • 分権改革のための検討作業の大半が、膨大な各論の処理に充てられざるを得ないところに、現代の機能的集権体制の特徴を見出すことができるのである。そして、この作業を疎かにする改革は、決して好ましい結果をもたらさないであろう。…個々の行政分野ごとに、中央政府による統制と地方政府の自律性という2つの要請を比較衡量しつつ、両者の「兼ね合い」を探るという作業とならざるをえないからである。
  • 管領域は、白地と黒地が鮮やかなコントラストを描くような世界ではなく、ライト・グレーとダーク・グレーが境目なく続く緩やかなグラデーションの世界である。

つまりは、グラデーションの世界で、統制と自律性の「兼ね合い」を図るということである。それは「総論」と共に「各論」を必須とする。

いかにして「兼ね合い」を図るか(バランスをとるか)、それが今も昔も変わらぬ「組織論」の課題であるように思われる。

 

(補) 「集権と分権」、「集中と分散」の他に、「全体と部分」という言い方もある。こちらがより抽象度の高い概念かもしれない。

一点の曇りのない、曇り色・・・(https://nihoniro.exblog.jp/9822913/