浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

競争と自尊心

アルフィ・コーン『競争社会をこえて』(32)

今回は、第5章 競争が人格をかたちづくるのだろうかー心理学的な考察 第2節 勝利、敗北、自尊心 の続き(P.186~)である。

競争における焦点は、他の人々に対する自分の優位性を証明することにあり、このことは、自分の能力を証明してみせることとは全く違う。…相手を何人打ち破ったところで、実際の能力や業績を評価するための満足のいく指標にはならない。

競争に勝つことは、自分の「能力」を証明することにはならない。確かにそうなのだが…。

わくわくするような勝利感などと言うものははかないものでしかない。しばらくの間は喜び一杯で目もくらむような思いがするかもしれないが、間もなく夢から覚めて現実に戻っていく。実際、定期的に競争を行う立場にある人々は、勝利の喜びの大きさも、持続する時間も、時が経つうちに急激に減少してしまうと報告している。まさに麻薬に慣れてしまうのと同じなのである。

定期的に行われる競技においては、このように言えるだろう。

勝利することの心理的な効果が長続きしないことはどんな競争者でも知っているし、このことだけからも、勝利するということの効果が心理的な健全さとは全く関係がないことが分る。自尊心は、わくわくする感じがはかなく消えていくのとは違うのである。

自尊心とは何か。

心理学ではself-esteemの訳語として用いられ、自己評価、自己価値、自己尊重、自尊感情などの訳語も使われている。たいていの人は、自分が他人から受け入れられ、また自分の存在を価値あるものとして肯定したい願望を意識的、無意識的にもっている。これが自尊心にほかならないが、その起源は、ほとんどの両親が自分の子供に与える好意的評価のうちにあるとみなされる。子供たちは、こうした価値づけを全面的あるいは部分的に受け入れ、それ以後の経験と評価をそれに一致させようとするわけである。したがって、幼少時に両親が子供に頻繁に否定的な評価を与えれば、子供は自分自身に対するこの見方をのちのちまで受け入れてしまい、自分をだめな人間と決め込んでしまう自尊心の低い者になる場合も生じる。(辻正三、日本大百科全書

競争に勝つことで、このような自尊心が育まれるとは思えない。

自分が勝利した時に本当に安心することも、満足することもできないのなら、喜びが消え去っていくときにはどうすればいいのだろうか。それは、再び競争することである。…うまくいかなかった戦略に繰返し戻っていくというのは、麻薬中毒ととてもよく似ているものがここで作用していることを示唆している。

定期的に行われる競技においては、このような麻薬中毒に似たものが作用している、なるほど、そうかもしれない。

ギャンブルに取りつかれた人は…金を失ってしまえば、その金を次の一手で取り戻そうという気持ちに駆り立てられる。金が儲かれば、それだけでは満足せず、更に金を儲けようとする。

ギャンブラーも一種の麻薬中毒者と言えるのかもしれない。外国為替保証金取引(FX)やキャピタルゲイン狙いの株式投資ゼロサムゲーム(ギャンブル)であると言えよう。

他の人々を打ち負かしても、自尊心を高めることには役に立たないのであって、もっと他人を打ち負かし続けたいという欲求を強めるだけである。競争がもたらす結果と競争を引き起こす原因は、ちょうど塩水をのむ原因と結果との関係のように互いに依存しあっている。

この悪循環がどんな人間にも同じように作用するわけではない。競争が及ぼす影響の強さは、競争をしたいという元々の欲求の強さを反映していると思われる。このことは、自尊心がほとんどと言っていいほどなく、心理的な欲求が最も大きな人びとこそ、競争の悪循環にとらわれてしまうということを意味している。

「競争をしたいという元々の欲求」がどういうものかわからないが、常にトップを目指したいとか、1億円儲けたいとか、そういうことだろうか。

この悪循環に影響を及ぼすもう一つの変数は、一定の状況において勝利することにどれぐらい重きが置かれているかということであり、最終的には社会全体が勝利することをどれぐらい重んじているのかということである。ナンバーワンであることによる報酬が多ければ多いほど、ますます競争中毒を助長することになる。競争によって、自尊心を高めていくことはできない。にもかかわらず、この中毒は、確かなものになってしまう。正確に言えば、むしろ自尊心を高めていくことができないために確かなものになるのである。これまで見てきたように、勝つことも負けることもともに、望ましくはない影響を及ぼすのだから、問題が競争そのものにあるのは明らかであると思われる。

社会全体が、「競争に勝利すること」に高い価値をおく、このことが競争中毒を助長する。このような価値観の形成には、多くの要因があるだろうが、主たるものに「教育」と「マスメディア」があると思われる。

冒頭に「競争に勝つことは、自分の「能力」を証明することにはならない。確かにそうなのだが…」と述べた。

コーンの上記の説明は、「定期的に行われる競技」についてはかなりよくあてはまると思われる。しかし、(後で出てくるかもしれないが)、「1回」あるいはほんの数回の「競技(競争)」についてはどうだろうか。

例えば、選抜テストで、(評点が何らかの能力を表すとして)3,4,5,6,7点から3人を選ぶ場合、5,6,7点の人が選ばれる。5,6,7,8,9点から3人選ぶ場合、7,8,9点の人が選ばれる。この選抜テストがその後の人生を左右するとしたら…。

しかし、コーンはここで「競争と自尊心」について説明しているのであって、上のようなコメントは的外れかもしれない。

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