浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「ステレオタイプ」と「今川焼」

山岸俊男監修『社会心理学』(24)

今回は、第4章 対人認知と行動のうち、「社会的カテゴリーとステレオタイプ」、「偏った対人認知」(p.106~)をとりあげる。テーマは「ステレオタイプ」である。

ステレオタイプとは、「多くの人に浸透している固定観念思い込みのこと」であり、例として、「A型は几帳面、O型はおおざっぱ」、「看護師は女性の仕事」、「イスラム教徒はテロリスト」、「卑劣な中国人」、「東京の人は、お洒落で洗練されている。流行の先端を行っている」などがあげられる。これだけのことであれば、多くの人は、「そんなことはない。そうとは限らない」と言うだろう。そして「私は、固定観念を持っていないし、思い込みもしていない。しかし、中には極端な考え方をする人がいる」と言うだろう。しかし、これが問題である

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ステレオタイプの語源

では、あらためてステレオタイプ(stereotype)とは何か。

本来は活版印刷における鉛版を「ステロタイプ」と呼んでおり、これが語源となっている。ステレオという言葉がギリシア語で「固い」という意味を持ち、「型」を表す言葉と組み合わせて定型化されたもの、型にはめられたものを表すようになる。これが転じて、型を使って作られたように同じものを、先入観思い込み多くの人の中で共通している認識を指すようになった。(https://reibuncnt.jp/29835#toc10

現在は、活版印刷*1における鉛版(えんばん)と言われてもあまりピンとこない。そこで私は、ステレオタイプを「今川焼*2と理解することにした。今川焼きとは、主に小麦粉からなる生地に餡(あん)を入れ、金属製焼き型で焼成した和菓子である。

今川焼の屋台(Tomo.Yun、https://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp8690.html

リップマンのステレオタイプ

リップマン(Walter Lippmann、1889-1974、アメリカのジャーナリスト)はその著書『世論』(1922年)でステレオタイプという言葉を用いたのだが、それは次のような意味である。

人間の認識は現実環境を反映しながら思考で形成した疑似環境が存在することを論じている。擬似環境を参照しながら人間は自らの行動を形成するものであり、行動の結果は現実環境に影響する。つまり人間は現実環境、擬似環境、行動の三角形の中で活動するのである。リップマンはさらにこの三角関係を方向付ける固定観念の存在も指摘しており、これをステレオタイプと呼んだ。ステレオタイプは現実環境から擬似環境を形成する時に、事実を恣意的に選別することになる。リップマンはこのような問題を克服するためには、隠れた事実を表面化させて相互に関連付け、行動するために必要な現実的な擬似環境を構築する機能が必要だと考えていた。この機能をリップマンは真理の機能と強調しており、真理の機能は出来事が生じたことを知らせる合図であるニュースと補完しあう。(Wikipedia、世論)

リップマンのこの「ステレオタイプ」という言葉の用法をよく理解しておきたい。

「疑似環境」という言葉の説明も参照しておこう。

現代社会においてのマスコミというのは民衆に真実を伝えているとは限らず、不確実な情報を伝えているということがたびたびある。そして民衆というのは、この不確実な情報を伝えるマスコミのみが情報源であるということから、民衆の暮らしている環境というのはマスコミによる不確実な情報を元として構築されていくということになる。このようにしてマスコミによって構築された環境のことを疑似環境というわけであり、現代社会においての民衆というのは、この疑似環境で暮らしているということに他ならないということである。

疑似環境というのはマスコミの情報の受け手によって構築されているということであり、現代社会に住む民衆というのは、マスコミが伝達する膨大な情報を統合して理解するという能力が有されていない。このために情報を適当に取捨選択して、自らの生活にとって都合の良い像を自らの頭の中に作り出すといった行いをしており、このような行いからも疑似環境というのが作られていくということである。(Wikipedia、疑似環境)

『世論』は100年前の著作であるが、上記説明は現代にも当てはまるように思われる。なお、ここでは「ステレオタイプ」という言葉にはプラス・イメージもマイナス・イメージもないことに留意しておこう。

今川焼

さて私は「ステレオタイプ」という言葉は忘れそうなので、「今川焼」という言葉に置き換えてみた。リップマンのステレオタイプの説明を、今川焼に置き換えて説明するとどうなるか。

  • 何か甘いものが欲しいな。チョコレート、ケーキ、バウムクーヘン、シュークリーム、和菓子…?[現実環境からの範囲を限定した情報の入手]
  • 〇〇の「行列のできる店」の今川焼がおいしいらしいよ。[自分でたくさんの店を調査する暇はない。最近のテレビ、SNS、雑誌などの情報を頼りに目星を付ける。疑似環境
  • 行列に並んで、今川焼を買い、食べる。[行動
  • 私たちは、マスメディア等が流す情報を適当に(詳細検討することなく)取捨選択して、自らの生活にとって都合の良いイメージを自らの頭の中に作り出し、行動している。

私が今川焼というとき、「今川焼き機」という機械*3と「今川焼き」という焼き菓子(生産物)の両方を指す。

今川焼き機は、同型の今川焼を作り出す。型通りのモノを形成する機械である。その型は誰が作ったのか?

ステレオタイプとは

岡田直之日本大百科全書)は次のように説明している。(以下の引用は、岡田直之による)

ステレオタイプとは、特定の文化によってあらかじめ類型化され、社会的に共有された固定的な観念ないしイメージのことである。

簡単に言えば、特定の文化における「常識」ということになろうか。

リップマンは次のように説明している。「多くの場合、われわれは最初に見てから定義づけるのではなく、最初に定義づけてから見る。外界の、あの途方もなく、ざわついた混沌のなかで、われわれは文化がすでに定義づけたものを選び出し、文化が類型化したままに、その選択されたものを知覚しがちである」。

外界(世界)とは、「途方もなく、ざわついた混沌」である(面白い表現だ)。私たちが外界(世界)を理解するとは、「文化がすでに定義づけたものを選び出し、文化が類型化したままに、その選択されたものを知覚する」ことである。が知覚するのではない。「文化」が知覚したもの(選び出し、類型化したもの)を知覚する。「文化」とは誰のことか? 専門家、学者、政治家、権力者…?

ステレオタイプの機能

人間がなぜステレオタイプ固執するかについて、リップマンは二つの理由を述べている。一つは、人間の環境適応におけるステレオタイプ固定観念、常識]の認知的経済性ということである。ステレオタイプに頼らず、日常生活のすべての事物を新たに、詳細に知覚しようとすれば、たいへんな労力と時間が必要であって、次々に生起するできごとを考えると、実際上不可能である。

日常生活のすべての事物(他者を含む)を詳細に知覚することはまず不可能である。それ故、固定観念/常識に従う。

ステレオタイプ固定観念、常識]は、正確な世界像ではないけれども、「世界に関する秩序だった、多かれ少なかれ首尾一貫した映像」であり、人々にとって「よく知られているもの、正常なるもの、頼りになるものの魅力」をもち、「ひとたびすっぽりはまり込むと、履きなれた靴のように、気持よくぴったりとあう」のだ。その結果、ステレオタイプを揺り動かすものはなんであれ、われわれの存在基盤そのものへの攻撃となり、われわれの自尊心を傷つけることになる。

私たちが「当たり前」と思っているもの(常識)は、「正常なるものの魅力」を持つ。その「当たり前」と思っているもの(常識)の否定は、私たちの「存在基盤そのもの」への攻撃とみなされ、自尊心を傷つける。これが、ステレオタイプ固執する二つ目の理由であるという。なるほど。

社会統制の手段としてのステレオタイプ

それ故、次のことが言える。

ステレオタイプ固定観念、常識]が価値規範や道徳を内包する信念体系である限り、ステレオタイプの意味体系は社会統制の有効な手段として機能する。人々が支配的なステレオタイプを受容せず、拒否するならば、反道徳的、反社会的というスティグマ(stigma、汚名、恥辱)を彼らに刻印し、非難と攻撃を浴びせ、制裁を加えても、正当化できるからであり、この正統性のゆえに、人々は一般にステレオタイプへの従順と同調を示すのである。現代社会では、マスコミがステレオタイプ固定観念、常識]の培養基ならびに増幅器として、きわめて重要な役割を果たしている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

ステレオタイプが社会統制の手段として機能するという点は見落としてはならないだろう。誰がどのようにして「価値規範や道徳を内包する信念体系」を形成するのか?

冒頭に、「しかし、これが問題である」と述べたのは、ステレオタイプ固定観念、常識]は誰もが持っている信念だからである。

 

*1:活版印刷とは(https://cappan.co.jp/archives/2116)参照。

*2:朝ドラで「回転焼き」論争勃発!大判焼き今川焼き、地域の呼び方を1000人に調査(https://macaro-ni.jp/107917)参照。

*3:小規模メディアなら、「今川焼き器」という器械を指す。