浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

大人への問題:1+3=? について

先日の記事「大人への問題:1+3=□ の空欄を埋めよ。(認知症テストではありません)」に、匿名さん(以下、Aさん)のコメントがありましたので、私の疑問について教えてください。また私の考えを少し述べたいと思います。(私は、数学に疎い文系人間ですので、分かりやすい説明をお願いします。私の理解に誤りがあれば直ちに訂正します)。

Aさんのコメントは、次の3点になろうかと思います。

  1. 数の基本的な概念全般(1+1=2、など)を公理としてよいなら証明は簡単である。
  2. 具体的な概念を数量というモデルに抽象化して扱う算術の埒外で話している。
  3. 算術におけるルールを勝手に相対化して懐疑視している。

 

1.数の基本的な概念全般と公理について

  • 「数の基本的な概念全般」とは、どういう意味でしょうか? 
  • 1+1=2が「数の基本的な概念」だとすると、次のような等式も「数の基本的な概念」でしょうか?
    184+184+184+184+184+184=1104(イヤヨ6回でイイワヨ)*1          1111111111×111111111=12345678987654321*2
  • 公理とは、「その他の命題を導き出すための前提として導入される最も基本的な仮定」という理解は誤りでしょうか?
  • 仮に「数の基本的な概念全般」を公理するなら、どのような証明になるのでしょうか。
  • Aさんは、「数の基本的な概念全般」を公理として良いという立場でしょうか、それとも公理としてはダメという立場でしょうか?

https://twitter.com/asunokibou/status/1333425557590200321

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「数の基本的概念」とか、「算術におけるルール」というのは、自然数における「ペアノの公理」を指しているのではないかと想像します。テンメイ氏のブログから一部引用します。*3

ペアノ(Giuseppe Peano、1858-1932)がこだわったのが、数の基本である「自然数」だった。

自然数に正と負の符号を付ければ整数になり、さらに割り算を作れば有理数になる。その極限を取れば無理数になって、有理数と合わせれば実数全体。そして、実数2つの組合せで複素数になるわけだ(虚数単位 i は必要ない)。したがって、高校数学までに登場する数のすべてを、自然数から構成していくことが出来る

自然数 m,n に関する足し算を、次のように一般的に定義する。

① m+0=m

② m+n’=(m+n)’

ここで、数や文字の右上の「´」(ダッシュ または プライム)は、「次の数」(successor)を表す記号。

一般的な加法(=足し算)の法則を、以下のように証明する。…(証明は略)(テンメイ a)

ペアノは、「公理」という言葉を使っていない。…訳本では、「原始命題」とされている。つまり、他からは導けない、最初に位置する命題だから、現代では「公理」と言い換えるのだ。この言い換えが可能かどうか

「原始命題」と「公理」が本当に同じかどうかはかなり気になる所だ。今の所、少し違うような気がするものの、はっきりした事はまだ言えない。

実際上、ペアノの5つの原始命題は、自然数の定義として機能することになる。…ただし、そこで使われてる「1」とか「+」は、明確な定義が与えられていないから(いわゆる無定義語)、5つの命題も厳密な意味では定義と言えないのだ。(テンメイb)

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  • もし「算術におけるルール」というのが「ペアノの公理」ではないとしたら、それは何でしょうか?
  • 自然数から実数や複素数はどのように構成されるのでしょうか? 説明されてもたぶん理解できないでしょうから、何を勉強すれば理解できるようになるのかだけでも教えてください。

 

2.「具体的な概念を数量というモデルに抽象化して扱う算術」について

  • 「具体的な概念」とは何でしょうか? 「りんご」という概念は具体的でしょうか? 「屁」という概念は具体的でしょうか? 「河童」という概念は具体的でしょうか?
  • 「数量というモデル」とは何でしょうか?
  • 「算術」というのは、「具体的な概念を数量というモデルに抽象化して扱うもの」(上記のように私には意味不明)という理解でよいでしょうか?
  • 私の記述のどこを指して「算術の埒外で話をしている」と考えられたのでしょうか?
  • 私の記述のどこを指して「算術におけるルールを勝手に相対化して懐疑視している」と考えられたのでしょうか?

***

私の提出した問題は、「大人への問題:1+3=□ の空欄を埋めよ」です。この問題文で、「1」とか「3」を、「自然数」とは限定していません(小学生に教える「算数」の問題ではありません。「大人」への問題です)。「数字」であるとも限定していません。では、何か? 単なる「記号」です。「+」も「=」も記号です。だから、1+3=5は、証明1に示したように、「屁の河童とは造作ないという意味である」という文章の簡略表現であると言っても誤りではないと考えます。記号の意味をそのように定義しているからです。

キラキラネームが話題になっています。例えば、涼介(クールガイ)、愛理(ラブリ)といった具合です。こういう読み仮名をつけることは、「漢字の読み方のルール」に反しているから認められないという立場は、検討の余地があるでしょう。

数詞や数学記号は一定の意味を持っています。1+3=? が、一般に認められた一定の意味で解釈されることは普通でしょう。それはいいのです。ただ、私が言いたいのは、「一般に認められた一定の意味」というのが前提にあるということを認識する必要があるだろうということです。その前提は、絶対に正しいと言えるのかどうか、物事をより深く理解しようとするなら、まず「前提を疑え」というのが鉄則であると考えます。

*1:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089869995

*2:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387490668?sort=1&page=2

*3:

私がここで「ペアノの公理」という言葉を使ったからと言って、それがどういう内容でどういう意味を持っているのかを理解しているわけではありません。テンメイ氏のブログ;

a.「1+1=2」はなぜか?~ペアノの自然数論(足し算)(https://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2009/11/post-81dd.html)、

b. 自然数に関するペアノの公理~論文『数の概念について』に即して(https://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2010/01/post-70b9.html