浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

推論の技術-消去法

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(12)

今回は、第9章 推論の技術 第2節 消去法 である。

消去法

①AまたはB ②Aではない それゆえ ③B

これは単純である。「様々な選択肢がある場合に、誤りや、あり得ないものを消去していき、最終的に残った選択肢を選ぶ方法」(Wikipedia)。

この消去法には、次のような欠点がある。

様々な選択肢の中に正しい答えがあることを前提とするので、仮に選択肢が全て誤りであった場合には、正しくないものを選んでしまう。

最後に残った選択肢を選ぶので、消去していく順番によっては、どれを正解にすることも可能になってしまう。これを利用して、こじつけに消去法を利用する人もいる

例:「民主主義は衆愚政治になりうる」,「共産主義は労働意欲を喪失させる」→「ナチスのようなファシズム全体主義が正しい」(wikipedia

この例が興味深い。①民主主義、②共産主義、③全体主義と並べて、①②がダメだから、③だと言っている。この選択肢の①②いずれも一面の真実を突いているので、③が正しいとダマされる。しかしこの例では、②③をとりあげて①や、③①をとりあげて②もあり得る。

野矢は、消去法の注意すべき点を述べている。

消去法を用いるにあたって最も注意すべき点は、選言が網羅的かどうかと言うことである。

アンケート調査で、「はい」か「いいえ」で答えなさいと言うのがある。「どちらでもない」という選択肢がない。「はい」か「いいえ」で答えられるという前提がある。「どちらでもない」という選択肢を認めないのはあえてそうしているのだろう。また「はい」のなかにも、「文句なくはい」から「どちらと言えばはい」まである。そこで(はい、どちらかと言えばはい、どちらでもない、どちらと言えばいいえ、いいえ)の5つから選ぶというものも多い。しかし5分法でも答えにくいこともある。そこで10点満点で点数をつけることも考えられる。しかしこの細分化にはきりがない。つまり、選言が「網羅的」か否かは、選言の数で判断することはできない。

上記例で言えば、民主主義、共産主義全体主義の他に、いろいろな〇〇主義があり得る。ここでも選言が「網羅的」か否かは判断が難しい。従って、「網羅的」か否かではなく、「他の選択肢があるのではないかを検討する」ことが重要であると考える。

消去法で何かを主張することは、一見「論理的」であるふうを装って、前提を意識させない(検討させない)論法ではないかと思わせる。(悪用された場合)

では、消去法は全くナンセンスな論法なのだろうか。他の論拠と併せ考えれば、主張の一論拠となり得るだろう。