浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

推論の技術-背理法

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(13)

今回は、第9章 推論の技術 第3 背理法 である。

背理法とはどういうものか。Wikipediaは、次のように説明している(ア)。

P を仮定すると、矛盾が導けることにより、P の否定を結論付けることは否定の導入という。

P の否定を仮定すると、矛盾が導けることにより、P を結論付けることは否定の除去狭義の背理法)という。

否定の導入と否定の除去(狭義の背理法)をあわせて広義の背理法ということもある。一般的に、背理法と言った場合は広義の背理法を指す。(Wikipedia、消去法)

狭義の背理法がお馴染みであるように思う。

野矢は次のように説明している。

ある主張Aを仮定し、その仮定の下で演繹を進めると矛盾が生じることを示す。そして、そのことから仮定Aの否定を結論する。これが「背理法」(あるいは帰謬法)である。

これは、上記の「否定の導入」に相当する。

Wikipediaの説明(イ)が興味深いので見ておこう。

①雨が降っている。(A)

②雨が降っていないのではない。(¬¬A)

という2つの命題について、①から②を推論するのが二重否定の導入、②から①を推論するのが二重否定の除去である。(Wikipedia、二重否定の除去)

(ア)の消去法の説明とこの(イ)の説明は同じようでもあり、少し違うようでもある。…(イ)で、②から①を推論するのが二重否定の除去であるというが、これは(ア)の否定の除去(狭義の背理法)と同じではないか。また(ア)では「仮定」と言い、(イ)では「仮定」という言葉が入っていない。

先ほどの「否定の導入」について、

否定の導入により、¬P から矛盾が導けた場合、¬¬P を結論できるが、いわゆる古典論理では推論規則として二重否定の除去が認められているため、結局 P が結論できることになる。

排中律や二重否定の除去が成り立たない直観論理では、狭義の背理法による証明は成立しないが、否定の導入や、¬¬¬P から ¬P を結論することは、認められる。(Wikipedia、消去法)

直観論理(直観主義論理)は不勉強で難しい(Wikipedia、「直観主義論理」参照)ので、ここではふれないことにしよう。

ただ抽象的な数学(記号論理学)の話ではなく、上記(ア)の例を現実世界の背理法の説明とするならば、つまりその意味内容を考えるならば、「雨が降っていない」の否定は「雨が降っている」とは限らないだろう。現実世界は「雨が降っている」と「雨が降っていない」に二分されない。…「みぞれ」は雨か否か。「時間帯」を考えれば、雨が降っている時間もあるし降っていない時間もある。「空間」を考えれば、雨が降っている地域もあるし降っていない地域もある。狭い範囲の地域でも雲の上では雨が降らない。これらを考えれば、「雨が降っている」の否定は、「雨が降っていない」ではなく、「雨が降っているかもしれないし、降っていないかもしれない」。同様に、「雨が降っていない」の否定は、「雨が降っている」ではなく、「雨が降っているかもしれないし、降っていないかもしれない」となろう。

 

帰無仮説」という統計用語がある。「統計学の仮説検定において、その当否が検定される仮説。通常、否定されることを前提として立てられ、この仮説が棄却されると対立仮説が成立する」(デジタル大辞泉)。これは「狭義の背理法」に似ている。仮説検定においては、仮説を棄却するかどうかは、有意水準次第である。

データ見て「60%と57%に差あり」と思う人の盲点(中野 暁)

https://toyokeizai.net/articles/-/535758?page=3