浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

音楽…「言語からサウンドへ」のパラダイム転換

岡田暁生『音楽の聴き方』(13) 

指揮者のアーノンクールは、19世紀に入って生じた音楽のパラダイム転換を、次のように定式化しているという。

「単純かつやや大まかではあるが、私は「1800年以前の音楽は話し、それ以後の音楽は描く」と言いたい。前者は、語られるものすべてと同様に〈理解〉されねばならない。理解が前提なのである。後者は気分によって働きかける。気分は理解する必要はなく、感じるべきものなのである」。

でも一体なぜ近代において音楽は、言語であるよりも、気分に訴えかけることの方を重視するようになったか。

「[フランス革命において]問題となっていたのは、音楽を政治的な全構想に統合することであった。その理論的原理によれば、音楽は万人に理解できるほど単純であらねばならなかったし(その場合、「理解する」という言葉はもはや妥当ではない)、音楽はその人の教養の度合いにかかわらず、万人を感動させたり、興奮させたり、眠らせたりしなければならなかった。音楽は、万人が学ばずして理解するある種の〈言語〉であらねばならなかった」。

この文章を理解するために、市民革命について復習しておこう。

市民革命…新興の産業資本家を主体とする市民階級が封建権力や絶対主義権力を倒し、国家権力を掌握する政治変革。封建的秩序を解体し、議会制の確立、身分制の廃止、営業の自由に代表される近代市民社会を確立した。フランス革命[1789-1799]やピューリタン革命の類。ブルジョア革命。

市民階級…市民革命の推進力となり、封建制を打破した近代民主主義の担い手となり、資本主義経済体制を確立した都市の中産階級ブルジョアジー。(大辞林

 かって音楽は王侯・貴族(封建権力や絶対主義権力)のものであった。市民革命の理念からすれば、王侯・貴族のそのような独占は許されない、ということであろう。しかし「新興の産業資本家(都市の中産階級)を主体とする市民階級」にとって、音楽は難しく理解しがたいものであった。それゆえ、「言語としての音楽」から「サウンドとしての音楽」へと、「音楽のパラダイム転換」があったとアーノンクールは主張する(と私は理解した)。

岡田は、アーノンクールは「誰にでも分かる音楽を、欺瞞に満ちた近代イデオロギーとして手厳しく批判する」と述べているが、引用だけではよく分からない。「サウンドとしての音楽」が何故「欺瞞に満ちた近代イデオロギー」なのか? 「言語としての音楽」でなければ音楽ではないと考えていた、ということなのだろうか。

 

岡田は、「18世紀末から19世紀に生じた言語からサウンドへの変化について、同時代人の興味深い証言を二つ紹介している。一人目は、ピアニストのツェルニー(1791-1857)である。(二人目の証言者は、グスタフ・ホイザーであるが、これは省略)

19世紀初頭に生まれてきたいわゆるリリアントな奏法(ステージ映えする華麗な弾き方)について、ツェルニーは次のように言う。

「何人かの集まりや、とりわけ公の場で話さなければならない者は、一人ないし数人を相手に穏やかな会話をする人とは全く違う話し方をしなければならないことは、言うまでもあるまい。常に大声でしゃべったり、いわんや叫んだりする必要はないまでも、聴衆の数や会場の大きさに応じて我々は、声の調子を高くし、すべての言葉にしっかりアクセントを置き、単に明瞭というだけでなく、自分の演説によって意図した印象を聴衆に与えるようにしなければならない」。

ツェルニーがここで想定しているのは、大ホールの観客である。こうした場所では、親密空間における教養豊かな人々を相手にするときとは、全く違う弾き方が必要になってくる。「ブリリアントな演奏とは、きれいに配置され、無数の電灯によって作り出される照明のようなものであって、夢想家のゆらゆらする花火ではない」。「ブリリアントな演奏とは、遠くからでも読むことが出来る文字のようなものである」。彼によれば、単に音楽的であるだけでは、成功はおぼつかない。

「あまり難しくない協奏曲を、穏やかでやわらかいやり方で、そして軽く優しい陰影のみによって公開の場で演奏したなら、せいぜい注意深い聴衆の間に快適な気分を呼び覚ますだけで、決して特別に温かい反応ないし熱狂を喚起することは出来まい。しかし同じ協奏曲をブリリアントなやり方で演奏するなら、より刺激的かつ演奏家にとって分のいい効果が確実に得られるだろう」。つまり成功のためには一にも二にもパンチを効かせることが必要なのだ。ツェルニーいわく「聴衆の大半は、心を動かすよりは、驚嘆させることの方が容易な連中」である。彼らを相手にするときは語る必要はない。サウンドでもって圧倒した方がいいのである。

 ここで言う「親密空間における教養豊かな人々を相手にする音楽」は、どういう場所で演奏されたのだろうか。それは恐らく「貴族ないし富裕な市民の邸宅におけるサロン」であったろう。(サロンについては、ピアノ演奏のあるボタニカルカフェ 参照。私はこういうサロン・ミュージック[上品な軽音楽]が結構好きです)。そこでは「夢想家のゆらゆらする花火」を観ることができる。

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では、コンサートホールはどうか。

現代において、コンサートホールは狭義的には「オペラを除くクラシック音楽の演奏が催される専用ホール」と定義される。…19世紀においては、“一般市民”でも料金さえ払えばだれでも音楽を聴ける場所という意味を含んでいた。ヨーロッパにおいて、古くから自らの城や宮殿を「演奏会場」として音楽を聞いていた“王侯貴族”と違い、“一般市民”が入場料を支払えば気軽にだれでも音楽を聴けるようになって200年程しか経っていないこともあり、ヨーロッパ各地に『コンサートホール』が作られ始めたのは19世紀以降である。(Wikipedia)

このようなコンサートホールでは、聴衆の変化にあわせて、「ブリリアントな奏法」(ステージ映えする華麗な弾き方)が求められたであろうことは理解できる。主たる聴衆は、新興の産業資本家を主体とする市民階級=ブルジョワジーだったか?

 

再度、「言語としての音楽」とは、どういうものであるか。

言語としての音楽は、ややもすると私たちがそれだけを音楽だと思いがちな「うっとりさせる響き」とは、かなり性格が異なるものである。…「必要とあらば、崇高から悪徳にまで及ぶ、そして平穏から病的な興奮にまで及ぶ、あらゆる人間の感情を、音楽は表現しなければならない。すべてを「美しく歌う性質」で飾り立てる必要はない。えてしてある種のパッセージについては、鼻歌で歌ったり、囁いたり。時には叫んだりした方が良いのである」。

一つの見解ではあろうが、だからといって「うっとりさせる響き」や「美しく歌う性質」を否定することもないだろう。

 

岡田は、「言語としての音楽」と「サウンドとしての音楽」の違いが端的に理解できる曲として、アルテゥール・シュナーベルによるシューベルトイ長調のピアノ・ソナタD959の演奏を紹介している。

終楽章の主題の弾き方を、誰でもいいから別のピアニストと聴き比べてみれば、シュナーベルの解釈の特異性はすぐ分かるはずだ。…彼は明らかにこの主題をセンテンスとして「読もう」としている。つまりシュナーベルの演奏は「語る」。少し思わせぶりに間を置いたり、早口で畳みかけたり、強いアクセントを置いたり、あるいは囁くように流したり……。まるで名優のモノローグのように聴こえるシューベルトと比べると、例えばブレンデルポリーニの弾き方は、良くも悪くも実に滑らかである。…すべての音が、きれいに磨かれた響きでもって、よどみなく流れていく。…意地悪く言えば、単にきれいな響きが、だらだらと続いているだけのようにも聴こえる。少なくともフレーズのアクセントや陰影という点では、まったくメリハリが効いていない。シュナーベルが俳優だとするなら、彼らはラジオのDJなのだ。見得を切る歌舞伎役者に対する、テレビ・ドラマの美男美女と言ってもいいかもしれない。

シュナーベルポリーニによるシューベルトピアノソナタ第20番イ長調D959を、YouTubeで聴いてみたが、私のような俗物には、「見得を切る歌舞伎役者よりも、テレビ・ドラマの美男美女」の方が良い。

 

ところで、次の協奏曲は、ブリリアントな演奏であろうか、それとも穏やかでやわらかい演奏だろうか。

 ロドリーゴ: アランフェス協奏曲

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