気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

連弾

岡田暁生『音楽の聴き方』(24)

マチュアの領分(続き)

岡田は、アドルノ(1903-1969、ドイツの哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家)の連弾(1台の鍵盤楽器を複数人で同時に演奏すること)についてのエッセイ(「四手で、もう一度」)を引いた後、次のように言う。

まるでプルーストの小説に出てきそうな、かつてのブルジョワの幸福な日常の一コマである。この文章を読むといつも私は、子供の頃のアドルノが母と一緒に弾いたモーツァルト交響曲の連弾バージョンの録音が残っていないものかとつい考えてしまう。不器用なものではあっただろう。だがそれはきっと、私たちが知っているどんな録音よりも楽しげで、愛に満ちたモーツァルトだったのではないだろうか。

本書に、ルートヴィッヒ・リヒターの「家庭音楽」(1855)という挿絵があり、「シューベルトの連弾やリートなどは、こうした中流階級の食後の娯楽だったのだろう」とあり、この絵を探してみたが見当たらなかったので、代わりに次の動画をあげておきます。

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いみじくもアドルノはこのエッセイの中で、近代音楽が決定的にアマチュアの領分[支配地、勢力範囲]から切り離されてしまう境界線を、「連弾へのリダクション[変形]不能性」の中に見ようとしている。右の引用にもあるように、19世紀においてはありとあらゆる交響曲が連弾に編曲されて、素人が自宅で弾けるようになっていたレコードなどない時代にあって、そうでもしない限り、アマチュアが日々音楽に親しむことは出来なかったのである。そして連弾に編曲することが可能な限りにおいて、交響曲もまた、コンサートホールという公空間だけではなく、同時に家庭の居間という親密圏にも属している「私たちの」音楽なのであった。

交響曲が連弾に編曲されて、自宅で弾けるようになっていたとは知らなかった。

 

美術と違って音楽においては、所有の概念が極めて曖昧である。絵の所有者ははっきりしている。金を出して買った人だ。だが音楽の場合、楽譜を購入しただけでは、まだ本当にその作品を所持したことにはならない。またCDを買って聴いたところで、ほんとうにそれが自分のものになったという満足感は、必ずしも得られまい。高価で滅多に入手できない古いレコードなどは、美術品所有に似た満足感を与えてくれるのだろうが、それはあくまで「モノ」を持つ歓びだろう。おそらく芸術における真の所有とは、愛しい作品がこの世でただ一人自分にだけ、その内心を打ち明けてくれたと感じられることなのだと思う。文学で言えば、大好きな小説や詩を声に出して読んでみるとき。あるいは苦労してその国の言葉を勉強して、原語でお気に入りの作品を読破したとき。それに匹敵するものを音楽において探すなら何になるか。言うまでもあるまい。自分で音にしてみて初めて人は、その音楽が本当に自分のものになったと実感出来るのである。

岡田のこの考え方には同意できないが、あれこれ言わずに「所有」についてだけ一言しておきたい。岡田は、「美術と違って音楽においては~」と述べるが、私は、「芸術のみならず、物財においても」、所有の概念は極めて曖昧だと考えている。「所有」と「満足感」は関係ない。「所有」と「利用/使用」の違いを認識すべきだろう。なお「自分で音にしてみて初めて人は、その音楽が本当に自分のものになったと実感出来るのである」は、半分賛成、半分反対というところである。何故かはあえて述べない。

 

アドルノによれば「彼ら(=かつてのアマチュアたち)の避けがたいミスタッチすら、作品との生きた関連を保っていた。この関連は、演奏会での完璧な再現にうっとり耳を傾ける人々が、とうの昔に既に失ってしまったものなのだ」。かつての交響曲は、ステージの上で粛々と演奏される公的存在であると同時に、アマチュアが連弾にして弾ける親密さを兼ねていた。しかしブラームスよりも後のオーケストラ音楽は、あまりにも肥大化しすぎて、もはや連弾にアレンジすることは出来ないリヒャルト・シュトラウスドビュッシーのオーケストラは、無理をすれば連弾になるかもしれないが、素人が弾きこなすことは無理だ。弾くことでアマチュアが所有することは不可能なのであるそしてアドルノは、ここに近代音楽の岐路を見る。「ポスト・ブラームス時代の近代音楽は、既に技術上の難しさから、そして何よりもそれらにおける音色の自己目的化の故に、連弾とは縁がない」。1900年前後を境として西洋音楽は、決定的にアマチュアの手を離れてしまったのである。

ブラームスよりも後の交響曲があまりに肥大化して、連弾にアレンジすることが出来なくなった(連弾へのリダクション不能性)」というところに、近代西洋音楽がアマチュアの領分[支配地、勢力範囲]から離れたと、アドルノは見ている。

 

連弾については、もう少し知っておきたい。

連弾とは、1台のピアノを2人で演奏すること。この種の最古の例は、17世紀初頭にイギリスで書かれた三手用の作品であるといわれているが、本格的に連弾曲が書かれるのは18世紀後半の古典派以降のことである。連弾によって広い音域と充実した和声が可能となることから広がりをみせた。とくにモーツァルトシューベルトらが連弾の特色を生かした作品を残している。19世紀ヨーロッパではピアノの普及に伴い、管弦楽曲の連弾用編曲が家庭音楽のなかで重要な位置を占めた。連弾は四手用ともいわれるように、1台のピアノを2人の4手で奏するのが普通であるが、例外的には2台4人、4台8人、8台16人、16台31人の作品例もある。(アルバレス・ホセ、日本大百科全書

連弾とは、1台の鍵盤楽器を複数人で同時に演奏することである。…ピアノは元来、1人が両手を用いて演奏することを想定して作られている。しかし、ピアノは、演奏部(鍵盤)の幅が通常120cm以上あり、そこには標準で88の鍵が備えられるため、十分に2人で同時に演奏にあたることが可能である。このため、独奏曲ほどは多くないが、数多くの連弾曲が作曲されてきた。…なお、2人が2台のピアノで演奏するように作曲されたものはピアノ二重奏、2台ピアノなどと呼ばれる。2台ピアノのための作品をそのまま連弾で演奏することは不可能であるが、連弾のための作品を2台ピアノで演奏することは技術的に可能である。(Wikipedia)

 

マチュアではなく、プロの演奏をみてみよう。

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まずは楽しい曲から

WILL & GRACE theme song/Anderson & Roe

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Daft Punk - Lose Yourself to Dance/Anderson & Roe

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VIVALDI - A Rain of Tears/Anderson & Roe

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astor piazzolla: libertango/khatia buniatishvili &  gvantsa buniatishvili

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PIANO NIGHTS 2009 / Duo Kutrowatz

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他に、以前の記事 ベートーヴェンの《ワルトシュタイン》 ンダダダダダダダダダダダダダダダ アリス=紗良・オット で、次のピアノ二重奏(2台ピアノ)を紹介しました。

Scandale - Stravinsky/Alice Sara Ott & Francesco Tristano

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