浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

静物画 ヴァニタス(人生の空しさ)

大岡信抽象絵画への招待』(12)

大岡は、静物画について、次のように述べている。

西洋の言葉で「静物」を指す語がnature morte(死んだ自然)であったり、still life(静止した生命)であったりすることは意味深い。静物画は、これらの語が意味しているところによれば、「自然」や「生命」というものを「死んだ」「静止した」様相において捉えることで成り立つものだった。自然の姿を捉えるということが、ただちに自然を静止の相において捉えることに通じていたのが「静物画」の思想であったといえよう。…今日では、科学の発達そのものによって、自然(人体もその一つである)を、より一層生きた、動きつつある状態において捉えることが可能になっている。…こうして、静物画や風景画を支えてきた旧来の思想は、比喩的に言えば、電子顕微鏡天体望遠鏡の驚異的な発達に比例して、根本的にゆるがされているのである。ゴッホセザンヌの風景・静物を、20世紀において最もよく継承したのは、クレーやヴォルス、フォートリエやデュビュッフェ、ポロックやデ・クーニングであった、というような考え方が、あながち荒唐無稽とはいえないような自然観の変化というものが、今私たちの中に生じつつあるといっていい。…つまり、自然を「死んだ」あるいは「静止した」様相において捉える考え方は、早晩それ自体終焉を迎えねばならないだろうということである。

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大岡のこれだけの記述では公正を欠くようなので、以下の解説を引用しておこう。

静物画とは、切花,果実,食器,喫煙具,楽器,書物,死んだ魚や小禽獣など,人間の生活に深いかかわりをもつ,それ自体では動かぬ種々の事物を卓上などに自由に構成・配置して描いた西洋絵画の一分野である。(世界大百科事典 第2版)

14世紀末ころから現実の物や自然への関心が高まるにつれ、宗教画の一部に卓上の静物、草花や花瓶の花などが描かれ始める。…15世紀には、静物への関心とその精密な再現への志向が高まりをみせ、とくに聖母マリアの純潔を示すユリやイチハツの花瓶、「最後の晩餐(ばんさん)」や「カナの結婚」のための食卓、音楽と虚栄の象徴でもあり遠近法の探究の好対象でもあった弦楽器リュート、瞑想する聖者の机上の書物などが、その主要な題材に選ばれている。…17世紀になると…市民社会の現実的関心が強まったオランダでは、多くの画家がこぞって花や果実、食卓、市場、狩りの獲物を題材にして、17~18世紀の他国における静物画制作の先鞭をつけた。…18世紀フランスの「花と果実の画家」シャルダン。…この伝統は19世紀に再生し、印象派以降、風景画とともに絵画の中心的ジャンルとなってセザンヌらを生んだ。20世紀はさらにセザンヌが追求した「物と物との空間の関連」の課題を先鋭化し、フォービスム、キュビスムによって静物画の観念が一新している。(中山公男/日本大百科全書)

静物画は、西洋画のジャンルの一つで、静止した自然物(花、頭蓋骨、狩りの獲物、貝殻、野菜、果物、台所の魚など)や人工物 (ガラス盃、陶磁器、パン、料理、楽器、パイプ、本など)を対象とする。細分すると、コレクション画、花束、ヴァニタス、朝食画・晩餐画、台所画などのカテゴリーがある。 (Wikipedia)

古代ローマの時代から静物画は描かれていましたが、ジャンルとして本格的に確立していくのは17世紀の時代です。宗教改革後のプロテスタントの地域では、カトリック世界に比べると宗教画や神話画の需要が少なくなり、静物画が風俗画、肖像画、風景画とともに絵画の主流となっていきます

ところがイタリアやフランスでは静物画は位置づけが低かったのです。すでに15世紀に美術理論家アルベルティは歴史画が他のジャンルより優れていると述べていました。17世紀にフランスの王立アカデミーの美術理論家フェリビアンが位置付けしたところによると

1位 聖書や古代文学を主題とする歴史画(絵画のあらゆるジャンルを含んでいるから)

2位 肖像画(神が作りたもうた最も完全なものは人間)

3位 風俗画、風景画、静物画

この順にジャンル位階が高いとしました。こうして上位のジャンルである歴史画、肖像画をnatura vivente(生きている自然)と呼び、静物画を蔑視的にnatura morta(死せる自然)と呼ぶようになったと言います。カトリック世界では静物画を「死せる自然」と呼び、イタリア的価値観(カトリック的価値観)から比較的自由であった地域でstill life(英)、stilleven(蘭)、stilleben(独)「動かざる自然」と表現するのは、面白いですね。(http://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-631.html

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以上のように、静物画の歴史は古く、決して否定的に評価されるものではないだろう。冒頭の大岡の記述は、静物画に対するカトリック的価値観による評価をそのまま採用したものであろう。「静物画や風景画を支えてきた旧来の思想は、比喩的に言えば、電子顕微鏡天体望遠鏡の驚異的な発達に比例して、根本的にゆるがされている」というのは疑問である。

 

上記の静物画のカテゴリーの一つに「ヴァニタス」というのがあった。これが実に興味深い。

ヴァニタス(ラテン語: vanitas)とは寓意的な静物画のジャンルのひとつ。16世紀から17世紀にかけてのフランドルネーデルラントなどヨーロッパ北部で特に多く描かれたが、以後現代に至るまでの西洋の美術にも大きな影響を与えている。ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味する様々な静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、あるいは時計やパイプや腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていた。ヴァニタスは、「カルペ・ディエム」や「メメント・モリ」と並ぶ、バロック期の精神を表す概念でもある。(Wikipedia)

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カルペ・ディエム(その日を摘め、今という時を大切に使え)やメメント・モリ(自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな)の話も面白いが、ここでは「ヴァニタス」の話にとどめる。

ヴァニタスとはラテン語で「空虚」「むなしさ」を意味する言葉であり、地上の人生の無意味さや、虚栄のはかなさなどと深く結びついた概念である。

静物画はジャンルとしては宗教画など歴史画に比べて格が低いとみられており、キリスト教的な内容を比喩的に取り入れることで静物画の格を高め、同時に魅力的で感覚的な絵画を描くに当たっての道徳的な正当化も行おうとする試みがなされた。聖母を象徴するバラや、清らかさの象徴である水の入ったコップなどは代表的なモチーフである。ヴァニタスと呼ばれる静物画のジャンルは、生のはかなさ、快楽の空しさ、死の確実さを観る者に喚起するためのジャンルであり旧約聖書の「コヘレトの言葉」の内容を呼び覚ます絵画であったが、やはり一方では絵画の画面の心地よさを享受するに当たっての正当化という側面もあった.

ヴァニタスにおける象徴物には、頭蓋骨(死の確実さを意味する)のほかに、爛熟した果物(加齢や衰退などを意味する)、シャボン玉遊びに使う麦わら・貝殻や泡(人生の簡潔さや死の唐突さを意味する)、煙を吐きだすパイプやランプ(人生の短さを意味する)、クロノメーターや砂時計(人生の短さを意味する)、楽器(人生の刹那的で簡潔なさまを意味する)などがある。果物、花、蝶なども同様の意味を持たされることがある。皮を剥いたレモンや海草は、見た目には魅力的だが味わうと苦いという人生の側面を表す。(Wikipedia)

私はこれまで静物画を(この細密描写には何かあるなと感じつつ)何気なく見ていたのだが、上の解説でなるほどと思った。…本書は抽象絵画を論じているので、静物画については詳細に立ち入らないことにしよう。

上位のジャンルである歴史画・肖像画がnatura vivente(生きている自然)なのであり、静物画が蔑視的にnatura morta(死せる自然)と呼ばれるようになったのだとすれば、近代自然科学の発達により「生きた自然」が捉えられるようになったのではない。なおかつ、上の3枚の絵画を見てみれば、「死んだ自然」あるいは「静止した自然」を描いているとは思われない。