気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

官能的な豚にしてくれ (三島由紀夫)

岡田暁生『音楽の聴き方』(8)

音楽/言語の分節規則

例えば、ベートーヴェンの《運命》冒頭を「ダダ・ダダーン」と区切って聴く(弾く)人など、まずいないだろう。こんな聴き方をしたのではややこしくて仕方がない。このように普段からなじんでいる音楽について私たちは、正しい分節が何となくわかる。文法の教科書など読まずとも、その土地で暮らしていればいつの間にか、言葉の分節規則について察しがつくようになってくるのと同じである。とはいえ、日常的になじんではいない音楽の場合、誰でもすぐ分節が分るというわけにはいかない。

音楽にせよ言語にせよ、「なじみ」がないと分節がわからない。なじみがないと、「ダダ・ダダーン」と区切って聴く。

すべての音楽には暗黙の分節ルールというものがあり、人はそれを学習しなければならない。こうした音楽の分節規則と密接に関わっているのは、やはり「言葉」である。どんな言葉をふだん話しているかが、自ずと音楽の分節規則をも規定してくるわけである。例えば日本人なら誰でも、山田耕作の《赤とんぼ》を「ゆうやーけ、こやけーの、あかとんぼー」と聴く。「ゆうやー、けこやけー、のあかと、んぼー」などという区切り方は不自然極まりない。だが日本語の知識がまったくないドイツ人なら、この旋律をひょっとするとこのように聴いてしまうかもしれない。それはつまりこういうことだ。ヨーロッパ近代音楽(特にドイツ音楽)の場合、一つの小節の中の個々の拍は、その位置によって、予めアクセントがつくものとつかないものとが決まっている。例えば、2/4拍子なら、強弱・強弱・強弱、3/4拍子なら、強弱弱・強弱弱・強弱弱といった具合である。ただしヨーロッパ音楽で非常に重視されているのは、小節の最後の弱い拍から、次の小節の冒頭の強い拍へと落ちる感覚である。…だから例えばドイツ人が《赤とんぼ》の唄を、「ゆうやー、けこやけー、のあかと、んぼー」と感じたとしても、必ずしも不思議ではないのである。

音楽には分節ルールがある。それは誰かに教えてもらわなければわからない。ドイツ人が「ゆうやー、けこやけー、のあかと、んぼー」と区切るのを奇異に感じるのは、日本人が「夕焼け、小焼け…」の意味を了解しているからにほかならず、意味なしの音だけであれば、ドイツ人流の分節は奇異なことではなく、それは言語(ドイツ語)の分節規則と密接に関わっている、というのが岡田の言いたいところだろう。

シュトラウスは、ドビュッシーの、《ペレアスとメリザンッド》をまったく理解できなかった。《ペレアス》以前の問題として彼は、フランス語的なメロディーの感覚がまったく分っていなかったのであろう。言葉と音楽の分節規則(リズム)は深く関連しあっていて、背景になっている言語を知らないと音楽もまたよくわからないといったことが、しばしば起こる。

シュトラウスはドイツ人であり、ドビュッシーはフランス人である。ロマン・ロランは、シュトラウスに対して、次のように言っているという。

「あなたが文学的なフランス語を全然感じ取っていないことはよくわかります。あなたはドイツ語から類推しているのです。フランス語はドイツ語と何の関係もありません。ドイツ語には強いアクセント、長母音と短母音、強音と弱音の際立った不断の対置があります。ドイツ語ではいつもあれかこれかです。フランスの詩が活動するのはまさに長短、強弱の中間部なのです。それはハーフトーンの中で無限のニュアンスを持っています」

ロマン・ロランの主張が正しいかどうかわからないが、言語に対するこの見方はなかなか面白い。

音楽はまた、複数の文章が集まって段落となり、段落が集まって節になり、複数の節から章が作られるといった多層的な建築構造の点でも、一つの言語である。建築が凍った音楽だとはよく言われることだが、聴き手に対して集中力を要求する音楽ほど、この建築構造が複雑だ。つまり音楽を聴きながらそれをきちんと言語として把握し、そして言語性があるが故に可能になる音の建物を、しかるべき形で眼前に表象する能力が必要になってくるのである。

岡田は、音楽は一つの言語であり、「音楽を読む」という言い方をしているが、普通の素っ気ない言い方をすれば、音楽を「構造」として把握するということだろう。

 

三島由紀夫は、『小説家の休暇』のなかで、次のように言っているという。

他の芸術では、私は作品の中へのめりこもうとする。芝居でもそうである。小説、絵画、彫刻、みなそうである。音楽に限って、音はむこうからやって来て、私を包み込もうとする。それが不安で、抵抗せずにはいられなくなるのだ。

すぐれた音楽愛好家には、音楽の建築的形態がはっきり見えるのだろうから、その不安はあるまい。しかし私には、音がどうしても見えて来ないのだ。

ところで私は、いつも制作に疲れているから、こういう深淵と相渉るようなたのしみを求めない。音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、ということに尽きる。だから私は食事の喧騒のあいだを流れる浅はかな音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米の音楽をしか愛さないのである。

 そして岡田は、音楽における言語/建築性について話を進めるのであるが、私は三島のこの文章が気になったので、少し詳しくみてみよう。以下は、http://www.sdi-net.co.jp/anti-daily-life-20090523.htm からの孫引きである。

理智と官能との渾然たる境地にあつて、音楽をたのしむ人は、私にはうらやましく思はれる。音楽会へ行つても、私はほとんど音楽を享楽することができない。意味内容のないことの不安に耐へられないのだ。(略)

音楽といふものは、人間精神の暗黒な深淵のふちのところで、戯れてゐるもののやうに私には思はれる。かういふ恐ろしい戯れを生活の愉楽にかぞへ、音楽会や美しい客間で、音楽に耳を傾けてゐる人たちを見ると、私はさういふ人たちの豪胆さにおどらかずにはゐられない。

音といふ形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕へられ檻に入れられた幽霊と謂った、ものすごい印象を私に惹き起す。音楽愛好家たちが、かうした形のない暗黒に対する作曲家の精神の勝利を簡明に信じ、安心してその勝利に身をゆだね、喝采してゐる点では、檻のなかの猛獣の演技に拍手を送るサーカスの観客とかはりがない。しかしもし檻が破れたらどうするのだ。勝つてゐるとみえた精神がもし敗北してゐたとしたら、どうするのだ。音楽会の客と、サーカスの客との相違は、後者が万が一にも檻の破られる危険を考へてもみないところにある。(略)

作曲家の精神が、もし敗北してゐると仮定する。その瞬間に音楽は有毒な恐ろしいものになり、毒ガスのやうな致死の効果をもたらす。音はあふれ出し、聴衆の精神を、形のない闇で、十重廿重にかこんでしまふ。聴衆は自らそれと知らずに、深淵につきおとされる。・・・・・・

ところで私は、いつも制作に疲れてゐるから、かういふ深淵と相渉るやうなたのしみを求めない。音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、といふことに尽きる。だから私は食事の喧騒のあひだを流れる浅墓な音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米の音楽をしか愛さないのである。

この記事の著者によると、三島はオペラ を幾度も観ているそうである。(ヴェルディ作曲のオペラ『アイーダ』を5回観たと)。

この文章を読む限りでは、私は三島はかなりクラシックに詳しいのではないかと想像する。それは、上記引用で赤字にした部分からの推測である。

三島がどういう曲を念頭において、この文章を書いたのかはわからないが、音楽が「人間精神の暗黒な深淵のふちのところで戯れること」であるとするならば、そして作曲家の精神が敗北していて、「暗黒な深淵」が口を開けているとするならば、聴衆は深淵に突き落とされてしまうだろう。三島には、そういう深淵が見えやすく、危険を感じていたのかもしれない。だから、「かういふ恐ろしい戯れを生活の愉楽にかぞへ、音楽会や美しい客間で、音楽に耳を傾けてゐる人たち」の「豪胆さ」に驚くのである。私には、三島が「豪胆さ」というとき、「音楽会や美しい客間で、音楽に耳を傾けてゐる人たち」の「軽薄さ」を皮肉っているようにも思うのだが…。

 

ところで、「食事の喧騒のあひだを流れる浅はかな音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米の音楽」は、「官能的な豚」には楽しい。例えば、次のような曲だ。


Halie Loren - Sway - Live at Upstairs

ヘイリー・ロレン(1984-)は、アメリカのジャズ・シンガー。

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Sway - Michael Buble

 

ラテンアメリカンダンスの一種、チャチャチャです。

チャチャチャとは、

チャチャチャが生まれたのは1940年代はじめのキューバ。マンボのリズムに乗った楽し気なダンスはあらゆるキューバ人をとりこにし、その人気はキューバから周辺諸国、さらには日本や欧米にまで広がりました。中でもニューヨークで爆発的な人気となり、一気に普及、発展して今のチャチャチャが完成されたと言われています。陽気なリズムで歯切れがよく、踊りやすいのがチャチャチャのステップ。前半5歩と後半5歩から構成されていて、そのうち3歩は「シャッセ」と呼ばれる「開く・閉じる・開く」です。このシャッセをカウントするのに「チャチャチャ」と聞こえることから、そう呼ばれるようになりました。

チャチャチャのリズムと音楽…4分の4拍子で1分間に30~33章節で演奏される軽快なリズムです。チャチャチャの音楽を聞いてみると「タン・タン・タ・タ・タ」というように聞こえます。つまり5歩ステップすることになります。この後半3歩が強いリズムで「チャチャチャ」と聞こえることから、その名がつけられたのです。チャチャチャは2のカウントから踊り出します。

http://www.morikawa-ds.com/syurui/chachacha/

  

おまけ

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