浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

憎悪のピラミッドとマイクロアグレッション(悪意なき差別)

平野・亀本・服部『法哲学』(32) 

今回は、「表現の自由」と「ヘイトスピーチ」の話の関連で、(本書を離れるが)「憎悪のピラミッド」(Pyramid of Hate)と「マイクロアグレッション」(microaggression)についてみていこう。

テキストは、金友子「マイクロアグレッション概念の射程」*1である。聞きなれない言葉かもしれないが、まず「憎悪のピラミッド」について、 

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  この図は、先入観や偏見、差別行為がどのようにしてジェノサイドに行きつくのかを示した「憎悪のピラミッド(Pyramid of Hate)」である。*2この図においてヘイト・スピーチが偏見によって駆動される「暴力行為」および「偏見による行為」に該当するとすれば、マイクロアグレッションが焦点を当てる日常的な差別・抑圧は、最下段の「先入観による行為」に該当する。この下段にある行為を許していると、そのうちジェノサイドにつながるというのがピラミッドのコンセプトである

 この図はなかなか興味深い。本図において、暴力行為の類型として「殺人、強姦、暴行、脅迫、放火、テロ、器物損壊、冒涜罪」が挙げられているが、これらすべての基底に「差別、偏見、先入観」があるとするのは誤りである。ここで言う暴力行為とは、あくまでジェノサイド(ある人種・民族等の集団殺害)*3に至る前の、ある人種・民族等に対する暴力行為のみを指すと考えるべきだろう。ジェノサイド条約におけるジェノサイドの定義では、上の図の暴力行為のみならず、差別行為の一部も含むようである。

私の関心は、ジェノサイドというよりは、「先入観による行為」、「偏見による行為」、「差別行為」にある。これらは極めて広範囲にみられる行為である。マイクロアグレッションは、このうち「先入観による行為」(日常的な差別・抑圧)に焦点をあてるという。

では、マイクロアグレッション(Microaggression)とは何か? その概念成立の経緯は、金友子の論文を参照願うとして、Derald Wing Sue(コロンビア大学教授)の定義は、

マイクロアグレッションとは、日々のありふれた言葉、行動、または環境の面での侮蔑的な行為で、意図的かどうかにかかわらず、有色人種に向けて彼ら・彼女らを軽視し侮辱するような敵対的、中傷的、否定的なメッセージを送る。マイクロアグレッションの犯人はたいていの場合、人種的/民族的マイノリティとの対話のなかでそうしたメッセージを伝えていることに気づかない。(Sue 他)

辞書によれば、

Microaggression…自覚なき差別。異なる文化・人種・身体的能力を持つ人々に対して、悪意がないにも関わらず相手を傷つけてしまう可能性を持つ言動または行動。(Weblio英語表現辞典)

この辞書の解説は明快である。直訳すれば「微細な攻撃」かもしれないが、私は「悪意なき差別」と意訳したらよいと思う。

Sueは、マイクロアグレッションを三つの形態に分類している。

  1. マイクロアサルト(Microassaults)[暴力]…明示的な人種的性格付けで、相手を傷つけることを目的になされる暴力的な言葉や非言語行為による攻撃。意識的に避けたり差別目的の行為もこの中に入る。マイクロアサルトは、いわゆる古典的人種差別のうち、個人に向けられるものに近い。
  2. マイクロインサルト(Microinsults)[侮辱]…無礼で気遣いのない言動で、個人の人種的出自やアイデンティティの価値を下げる。たいていの場合は自覚していないままに行われるが、有色人種に対する侮蔑のメッセージが込められているのが明らかな場合がこれに該当する。
  3. マイクロインバリデイション(Microinvalidations)[無化]…有色人種の心理状態や考え方・感情・経験を排除、否定、無化する。非意図的か、意図されていたとしても心の片隅で少しだけ、という場合が多い。

以上の説明では、「人種」が念頭にあるが、私はこれを「コミュニティ」と理解しておきたい(但し、グローバル・コミュニティを除く)。他のコミュニティに対する暴力・侮辱・無化である。

 

第1のMicroassaultsの例は、

「ニガーNigger」や「ジャップ Jap」といった蔑称で呼ぶこと、人種間での交際を避ける・避けさせること、黒人を前にして白人のみにサービスすることなどである。 

 他のコミュニティとの交流を避ける、自コミュニティの利益優先で行動する。(思い当たるふしがあるだろう)

 

第2のMicroinsultsの例は、

就職の面接の際に、黒人の被雇用者に「もっとも能力のある人が職を得る」と言うことや、黒人の被雇用者が「どうやって就職したの?」と聞かれたりすることである。これらには、①有色人種は能力が足りない、②マイノリティ集団のメンバーとして、(技術や能力ではなく)アファーマティブアクションか何かで就職したのだろう、というメッセージが織り込まれている。また、マイクロインサルトは言語を使わなくても行われる白人の教師が黒人学生にお知らせを伝えなかったり、白人の上司が黒人の部下と話す時には上の空で目も合わせないとか、背を向けるとかいった行為である。この場合、黒人の側には、「あなたのアイデアや貢献は重要ではない」というメッセージが伝わる。

アンダーラインを引いたような非言語行為に、(無意識的にせよ)「侮蔑のメッセージ」が込められていることに留意する必要がある。

 

第3のMicroinvalidationsの例は、

アメリカ合州国で生まれ育ったアジア系アメリカ人が、英語が上手いとほめられることや、どこで生まれたのか何度も聞かれることである。これらは彼・彼女がアメリカ文化を身につけて育ったことを否定し、永遠によそ者扱いしかされないことを伝える。また、黒人が「色なんて関係ない」であるとか「私たちはみな人間だ」と言われることもこの事例に該当する。これらの言葉は彼・彼女の人種および文化に関連した経験を否定し軽んじることになる。ラテン系カップルが、レストランのサービスが悪かったと白人の友人に言ったら「そんなの考えすぎだ」「そんなせせこましい」と言われることも、人種に関連する経験を無化し、その重要性が顧みられない事例である。

 この例には考えさせられた。私は「色なんて関係ない」、「私たちはみな人間だ」、「そんなの考えすぎだよ」と言う。これが、彼らの心理状態や考え方・感情・経験を否定し軽んじる(無化する。「そんなものは無い」とする)ことになる! これは上から目線あるいは第三者的(傍観者的)発言なのかもしれない。…これは彼らに向かって言う言葉ではない。理性的な議論より以前に、心情的な理解を示さなければならない。相手の気持ちが分からなければ、「理論」には血が通わない。小田原ジャンパー事件(生活保護なめんなよ!)が思い出される。

 

具体的にはどのような言動がマイクロアグレッション[悪意なき差別]に該当するのか、具体例が挙げられている。一部引用しよう。( )は、隠れたメッセージである。[ ]は、私の追記である。

  •  「英語上手いね」(あなたは異邦人/よそ者である)[日本語お上手ですね]
  • 「アメリカは人種のるつぼだ」(支配文化への同化が好ましい)[東京は田舎者の集まりだ]
  • 「人種なんてない。ただ人類があるだけ」(個人が人種/民族的存在であることを否定)[人間みな同じ。差異など小さいもの]
  • エレベーターに黒人が乗っていたら白人は乗らずに見送る(あなたは危険)[エレベーターに外国人が乗っていたら乗らずに見送る]
  • 「男と女は均等に機会を持つ」(女性が何かできなくてもそれは彼女らのせいである)[もちろん男女は平等ですよ。でも、ご飯は作って欲しいな]
  • 有色人をサービス従事者と勘違いする(有色人は白人の召使)[東南アジア人を見たら、肉体労働者だと思う]
  • タクシーが黒人を素通りして白人には止まる(あなたはトラブルの元。行先は危険な地域)[ショッピングしていても、店員が近づいてこない(あなたの服装をみていたら貧乏人に見える)]
  • 女性に年齢を聞くこと、31歳という答えを聞くや否や左手の薬指を見る(女は子を産める間に結婚すべき。それが義務だから)[実年齢を知って「意外にお若いんですね」(老けて見える)]
  • 盲人の話では、人が自分に話しかけるときに、たいていの場合声を高めるという。優しい看護師でさえ、彼が薬を飲むときに何がどこにあるのか示してくれるのだが、ほとんど「怒鳴っている」状態である。彼は「そんなに大声で話さないでください。よく聞こえているから」と答えた。(障害のある人はすべての点において機能不全である)[厚労省は、障害者雇入れ計画の適正実施勧告に従わず、障害者の雇用状況に改善が見られない2社(エル・エム・エス、きもと)を、H29/3/31に公表した]

 

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金はこう述べている。

どれも(アメリカ)社会で広く浸透している人種やその他マイノリティ集団に対するステレオタイプ*4や偏見、それらに基づく期待などがベースとなっていることがわかる。そして対象となるマイノリティ個人(集団)が、その社会にとってよそ者であり、劣った者であり、異常な存在であるということを(再)確認させる。以上の事例は、そのひとつだけをとれば無害か無垢な言動にみえるが、受け手にとっては有害である。というのも、心に傷を負わせ、あるいは不均衡を生みだすからである。及ぼす効果の点でいえば、旧型の人種主義(個人に向けられるもの)とあまり変わりはないといえるのではないか。

「自分は、よそ者であり、劣った者であり、異常な存在である」、このように思わずにはいられない者が増え続けている(あるいは減少しない)「社会」。彼ら*5はマイノリティである。このようなマイノリティを生産し排除する繰り返しのメカニズムが厳としてあるように思える。

 

マイクロアグレッションが明らかにしたことは何であるか。 

  1. 極端な差別主義者が最も大きなダメージを与えているわけではない。いわゆる旧式の人種主義や性差別主義が最も人を傷つけているのかというと、そうではなく、現代的な形態の人種主義、象徴的な人種主義、人種的嫌悪、そしてマイクロアグレッションなど、新たな形の人種主義も人を傷つけている。
  2. 行う人がたいていの場合、無意識である。私たちはみな個人的に、あるいは制度的に、人種やジェンダー性的指向に関するバイアスが存在する社会の中で社会化される。また、それらのバイアスは世代によって受け継がれてきたものであり、制度や社会が保持し続けてきたものであり、それを受け継ぐことから誰も逃れられない。
  3. 少数者集団にとっては連続していて継続的である。一つ一つは小さいが、暮らしの中でずっと続くことで害は蓄積していく
  4. マジョリティは何がマイノリティを傷つけているのか理解できないうえに、傷を過小評価する。

 

「発し手と受け手の認識上の、あるいは受け手の心的ジレンマ」について 

  • マイクロアグレッション[悪意なき差別]を行ったのか? それとも受け手がその行為を誤認したのか? 受け手は、過剰反応しているのか? 敏感すぎるのか? 心が狭いのか? 
  • 誰がマイクロアグレッションが起こったと証明するのか? 発し手にどう気付かせるのか?
  • マイクロアグレッションは、取るに足らないものなのか? 放っておけばよいものなのか? …マイクロアグレッションは、[マイノリティの属性]に関して否定的な雰囲気をつくりだし、自己疑念を抱かせ、ストレスと孤立感を与える。マイクロアグレッションは、一見、悪気がなく、重要視されないが、その影響は劇的である(心の健康、ヘルスケアや教育、雇用の不平等)。
  • マイクロアグレッションが起こったときに、受け手は通常、キャッチ22 状態*6になり、その場での反応は疑問の連続になってしまう。「自分の受け止め方は正しいのか?」「相手は何か考えがあってそうしたのか、それとも意図せざる軽蔑?」「どう反応すべきか?」「だまってやきもきするか、立ち向かうべきか?」「立ち向かったらどうなる?」「このことを話題にして、証明できるか?」「苦労してまで言う価値があるか」「放っておくか」などである。

 次の指摘は重要である。

マイクロアグレッションへの反応の仕方は、犯人だけでなく受け手の側でも一人ひとり違う。怒りを抱えたまま何もしないことにする、というのが一つの例である。この反応が出るのは、受け手が①マイクロアグレッションが起こったのかどうか確信がない、②どう反応するべきか当惑する、③「そんなことをしてもしょうがない」と合理化する、④否認により自己欺瞞に陥って「なかったことにしよう」とする、⑤結果を過大評価する、⑥発し手を救ったりかばったりする、からである。反応しないことに対する説明は有色人種[マジョリティあるいは権力者]にとって妥当性はあるだろうが、何もしないことは潜在的には精神に害を与える。というのも、自分が経験した現実を否定することになり、自分をだましているという感覚に対処せねばならず、あるいは心理的・肉体的な犠牲をはらって鬱積した怒りとストレスに対処せねばならなくなるからである。

 私はテロをはじめとする犯罪は、このような「鬱積した怒りとストレス」が閾値を超えた場合に起きるものと考えている(犯罪ではなく、自殺に向かう場合も多い)。(心理学に無知な素人意見かもしれないが…)。もしそうなら、テロをはじめとする犯罪の真の加害者は、マイクロアグレッション[悪意なき差別]の発し手であり、彼らは「実行者」(被害者)であるに過ぎない(と言えなくもない)。

 

 「怒りを表明する」ことや「やり返す」ことは、有色人種[マジョリティあるいは権力者]にも否定的な結果をもたらす。人種に関して敏感すぎるとか、病的であるといった非難を受けるだろうし、感情的に爆発することはマイノリティへのステレオタイプを強化することになるからである。こうした場合、その場で鬱積した感情を解き放つことでいくらか気持ちは収まるが、現実的には何も変わらない。

まとめると、キャッチ22 状態は「やり返しても黙っていても、馬鹿をみる」となる。

 「やり返しても黙っていても、馬鹿をみる」ならば、出口なしなのか。…私は出口はあると思う。直接的にやり返しても、黙っていてもダメである。そうではなく、マジョリティに向かって、心情を表明するとともに、理性的に(本論文のように)議論することである。そうすればその思いはマジョリティに伝わるだろう。

マジョリティに属する人は、マイノリティに対して、マイクロアグレッション[悪意なき差別]をしていないか自省すべきである。私たちの制度や社会が、マイノリティをキャッチ22 状態に追い込んでいないか、分析すべきである。マイノリティを生産し排除する繰り返しのメカニズムがあるのではないかと問うべきである。 

*1:http://www.ritsumei-arsvi.org/uploads/center_reports/24/center_reports_24_08.pdf 

*2:アメリカの団体「The Anti-Defamation League」および「Survivors of the Shoah Visual History Foundation」が作成し、教育用に配布している。

*3:ジェノサイド…ジェノサイド条約(1948年12月9日、国際連合総会において採択。日本は批准していない)の第2条の定義は、集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもつて行われた次の行為のいずれをも意味する。(a) 集団構成員を殺すこと。(b) 集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること。(c) 全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。(d) 集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。(e) 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。(Wikipedia) 

*4:ステレオタイプ…本来は同じ鋳型から打出された多数のプレート (ステロ版) の意味であるが,社会学政治学の用語としては,一定の社会的現象について,ある集団内で共通に受入れられている単純化された固定的な概念やイメージを表わすものとして用いられる。通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「できあい」の概念,あるいは「紋切型」の態度というふうに訳される。ステレオタイプは,複雑な事象を簡単に説明するには役立つが,多くの場合,極度の単純化や歪曲化の危険を伴い,偏見や差別に連なることになる。特に支配者が社会統制の手段としてそれを意識的に操作する場合には,ナチスユダヤ人に対する迫害運動,アメリカの「赤狩り」のような,大きな社会的弊害を引起す。(ブリタニカ国際大百科事典)

*5:「彼ら」と呼ぶとき、私はすでに「彼ら」の範疇に入らないことを言明している。

*6:Catch 22…金縛り状態(catch-22 situation);不条理な状況、ジレンマ。米国の小説家Joseph Hellerの同名の小説(1961)の軍規から;狂気なら戦闘を免除されるが, 狂気の届を出すと正気と判定されるから, どのみち戦闘参加となる。(プログレッシブ英和中辞典)