川崎修・杉田敦編『新版 現代政治理論』(1)
今回より、本書(2012年3月30日発行 新版第1刷)の読書ノートを始めます。
第1章 政治 は省略し(後で戻るかかもしれません)、第2章 権力 から始めます。
まず、第1節は「権力のさまざまなかたち」です。
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権力の諸形態
川崎は、権力の形態を3タイプに分類している。(ここでは、権力を「自分以外の行為者(個人または集団)に、その行為者が元々は行う意図がなかった行為を行わせる行為」と暫定的に定義して議論を始めている)。
威嚇型…行為者Aが行為者Bに対して、「Xをせよ。さもなければ、君(B)がしてほしくない行為Yをする」というメッセージを伝えることによって、BにAが望む行為Xをさせるというタイプ。…組織における上司の権力もこのタイプとしての要素が強い。こうした権力はしばしば「強制」として認識される。
報償型…AがBに対して、「Xをせよ。そうすれば、君(B)がしてほしい行為Xをしてやる」というメッセージを伝えることによって、BにAが望む行為Xをさせるというタイプ。…利益の供与を見返りに相手にいうことをきかせるということが典型例だが、組織における上司の権力などにはこの要素もある。
説得型…AがBに対して、Bが自発的にAが望む行為Xをするように仕向けるというタイプ。
何らかの組織のメンバーとして、組織活動に従事してきた者(典型的には会社の従業員)には、上記3分類のいずれにも納得できるだろう。
川崎は、威嚇型と報償型に違いについて、次のように述べる。(報償とは、「損害を償う、弁償すること」という意味なので、報奨の誤りだろう)。
報償型[報奨型]の権力とは、服従しなかった場合は報償[報奨]を剥奪するという威嚇としてみることもできる。そして現実には、当事者がその状況を威嚇型と受け取るか報償型[報奨型]と受け取るかは流動的である。
これはどうだろうか。私は、威嚇型と褒賞型については、例えば、就業規則の「懲戒」と「表彰」を思い浮かべるのだが、これが流動的であるとは思えない。
懲戒…会社は、労働者が次条のいずれかに該当する場合は、その情状に応じ、次の区分により懲戒を行う。[懲戒の種類:譴責、減給、出勤停止、懲戒解雇]
表彰…会社は、労働者が次のいずれかに該当するときは、表彰することがある。
説得型が権力の1タイプとされることについては、次のような説明がある。
行為者Aが何らかの働きかけをすることによって、他の行為者Bに「その行為者(B)が元々は行う意図が無かった行為を行わせる」という意味では、説得もまた権力の一つの型とみることができる。
ここでは、行為者AとBの関係を考慮する必要がある。
上司が部下を説得したり[①]、医者が患者を説得したりする場合[②]もあれば、自分たちは対等だと感じている友人の間で忠告をするような場合[③]もある。また理性的な説得もあれば情緒的な説得もある。
③の場合には、「説得」ではなく「話し合い」であり、「ある行為を行わせる(行わされる)」ではなく「ある行為を行う」と言うべきだろう。これを「権力」の行使というのは言い過ぎだろう。
②の場合は、専門家が非専門家に「説明」する場合である。インフォームドコンセントは、医療行為について「十分な説明」を行い、患者はそれに「同意」するものであり、これを「権力」の行使というには「権力」の暫定的な定義の変更が必要であると思われる。
①の場合は、組織に指揮命令系統がある限り、常に見られるところであり、権力行使の1タイプとみなしても良いだろう。
ここに示した権力の類型はあくまでもモデルである。現実の具体的な権力の状況はどれか一つの類型に一義的に当てはまる場合は少なく、たいていは混合的な性格を持っている。そこには、威嚇や取引や説得、また「意に反して」服従させられることと「自発的に」同意することといった、一見対立する様々な要素が絡み合っている。
「権力」という言葉を聞いた時、「威嚇型」をイメージする人が多いかもしれないが、「報奨型」が権力の一態様であること、一部の「説得型」も権力の一態様とみなされるべきであることに留意すべきである。